<第十二話:暗闇、工房にて>
差し込むような光が私の網膜を刺激した。
夢か現実か区別が付かないまま、私は目を開く。
曖昧な視界が真っ先に捉えたのはふわふわとした栗色の髪と澄み切った青色の瞳を持つ愛らしい顔。純白で穢れのない看護服と合わさって、はるか昔に絵画で見たような天使を彷彿とさせた。
「少女さん? 目が覚めましたか?」
わずかに震えている甘い声、私はそこでようやく気がついた。レイラがいるということはここは工房だろうか。それならとりあえず生きているようである。身体は動かせないが意識は次第にはっきりして来た。見慣れた工房の天井だ。相変わらず油汚れで汚らしい。
「今、ドクターを呼んできますね」
「ありがとう、レイラ」
「いえ、これが私のお仕事ですから」
そう言ってレイラはDJを呼ぶために工房の奥に去っていく。私は彼女にうまく言葉を伝えられなかった自分を歯がゆく思った。
私が感謝したかったのは彼女の瞳が潤んでいたからだ。私はその涙が滲んだ目を見て、出会って間もない私を心配してくれる存在がいることに心から感謝した。
私らしくない考えだった。一度死にかけてどこかの回路でも壊れたのだろうか。
「オウ、旧式。意識はアリマスカー」
工房の奥から薄汚れた白衣姿のDJが近寄ってくる。いつもどおりの口調だが、疲労が滲み出ているような声だった。この男でもこんな声を出す時があるらしい。
「あるわ。まだちょっとぼやけてるけど」
「それはよかったデース。流石に脳がやられていたら、私も修理出来ませーン」
DJは様々な油が入り混じった臭いを漂わせながら笑う。DJじゃなかったら冗談抜きに今回は死んでいたかも知れない。
ドアが開く音がした。
私の視界にいつものスーツ姿が飛び込んでくる。スティングだった。
「DJ、旧式は?」
「ブジデース。ただ、修理にちょっとかかりまスネー。ボールベアリングは全部取り除けましタガ、しばらく安静が必要デス。ボディパーツは繊細な部品がオオいのデス」
「そうか……」
スティングの近づく気配を感じる。直感的に仕事の話だろうなと思った。これまで彼とそれ以外の会話を交わした記憶がないからだ。
「旧式、すまなかった。今回は完全に俺のミスだ」
スティングが大きく頭を下げる。金髪が揺れてわずかにミントのような香りがした。プライドの高いこの男が私に頭を下げるという状況は初めて見た。
「……クレイモアのことなら気にしてないけど」
機械人形にとって腹部へクレイモア地雷を搭載するということは本来の生命活動維持に必要なボディパーツの大半を破棄する『命のない』仕様へと変わるということだ。どんな意図があったにせよ、本音としてはそんな生きる意志のない機械人形に私の命をくれてやれるほど、私の命は安くない。
だが、その一方で戦場で死体や壊れた機械人形にクレイモア地雷を搭載することは決して珍しく無い。身動きしない物体だと人は本能的に確かめようとする。今回の私のように。そして、不用意に近づいて起爆させ命を落とす。幸い助かったから良かったと言えるだけで、あと少し直感的な反射が遅れていたら、完全に全身を破壊されていただろう。もし、あんなので死んでいたら、元第七機械人形部隊の軍曹という肩書きが泣く。
「いや、アレはマネージャーとしての問題だ。さいわい防弾ネットのおかげで観客にケガは無かったし、試合場の修理費も向こう持ちになった。当たり前のことだがな」
「どういうこと?」
スティングは呆れきったような表情で言葉を続ける。
「君、ホントにレギュレーション把握していないな。機械人形に対するクレイモア地雷の使用はここでも禁止されてるんだよ。観客とか設備を巻き込むし、何より引き分けという中途半端な事態の発生を防ぐためにな。それをヤツらは破ったわけだ。勝ち負け度外視で君を潰すために」
「じゃあ、素性不明の夜男爵っていうのも……」
「全部でっち上げさ。俺は交渉した人間に騙されたマヌケというわけだ」
スティングが苦虫を噛み潰したような表情を見せる。彼は自分が騙されるというのに耐えられない。私の知っているスティングの数少ない性格だ。しかし、この男を騙せるとなると相手はよほど演技上手だったに違いない。
「それにしてもそんな違法改造でよく検査抜けれたわね」
私は意図的に話題を変えることにした。このままだとスティングの恨み節でも聞かされそうな勢いだ。
「あぁ、それに関しては検査員の一人が賄賂で検査をパスさせたのが判明した。君のファンを名乗る青年が無償で協力してくれたおかげで、君が寝ている間に犯人を見つけることが出来た。ただ、賄賂を受け取った検査員も中身がクレイモア地雷とは知らなかったらしいがな」
なるほど。演出のためでなく、クレイモア地雷を露出させないためにあんな奇怪な格好をさせていたわけだ。武装が軽かったのも始めからクレイモアを使う気でいたのなら何も不思議ではない。一度倒れること前提で戦いにいくなら、油断を誘う意味でもああいう装備になるだろう。
ノドに引っかかっていた小骨がとれたような気分だ。
「そういうわけで登録所からはきっちり今回分の慰謝料をふんだくってやったよ。後は本来なら相手事務所の違約金支払いという話になるんだが……ヤツら金が無いと来た」
「へぇ、金が無いヤツがそこまで無茶して私を潰しに来る? それはないでしょ」
私は笑う。ひどく歪んだ悪人の形相で。
私を殺して得をする相手は同業者以外にいない。しかし金がない事務所なら自爆というリスクを犯してまで、私を潰しにくる理由がない。金が無ければ、機械人形や事務所の維持は出来ない。結果、私を潰したところでその後の興行で勝てる見込みが無くなり、資金繰りに困って闇金にでも手を出すのが眼に見えている。となると必然的に私に勝てるかどうかあやしいライン程度の有望選手を保有している事務所が架空の事務所を作り出し今回の引き分け話を持ち込んだと考えるほうが妥当だ。そんな状況で両者に金がないわけがない。
金が無いところでは決して興行という経済の話は進まないのだから。
「そうだよ。無いわけがないんだよ。確かに君を潰して引き分けに持ち込もうとした事務所には無いかも知れない。ただその裏に必ずいるな。金を持っているヤツが」
スティングも笑う。獣の形相で。彼は必ず気づいている。下手したら糸を引いていた事務所の目星ももう付けてるのかも知れない。
不意にスティングの胸ポケットが振動する。スティングは胸ポケットから端末を取り出し、二、三言交わすと私に投げ渡した。
『よぅ、軍曹か、私だ』
機械越しでも分かる聞きなれた声。少尉だ。
『少尉? 何事ですか?』
『あぁ、軍曹を潰そうとしている不埒なやからがいると聞きつけたものでな。つい、おせっかいというヤツだ。まぁ、戦って負けて死ぬのは私も諦めが付く。ただ、軍曹を死なせるためだけに引き分けを狙ったというのが、ファンとして気に入らなかったんでな』
少尉は淡々と、けれども心のどこかに怒りをともした声で告げる。
『よって……ヤツらには私から個人的に制裁を加えることにした』
カチリという金属音と共に強烈な爆音が端末越しに響いた。考えなくてもわかる。爆弾である。それもかなり大量の火薬を使用した文字通り骨も残さないような代物であることが音から推測出来た。
「相変わらず、クールです。少尉」
制裁ということは事務所の爆破だけでなく、関係者も多少は巻き添えにしたのかもしれない。スティングが許可したところを見ると情報は抜き取れるだけ抜き取ったのだろうと推測した。
『そういうわけで軍曹は安心して静養してくれたまえ。私からは以上だ』
通話はそこで途切れた。私は端末をスティングに投げ返す。スティングは起用にそれを受け取る。
「君の元上官はイカレているな。正直、ヤツらの事務所は教えたが、爆破するとは思わなかったぞ」
端末越しに音が聞こえたのだろうか、スティングは苦笑する。
少尉は元々そういう性格の人だが、スティングはそれを知らない。いつか知る時が来るのだろうか。
「元じゃないわ。今でも上官だと思ってるもの」
本当に部下思いの素敵な上司に恵まれて良かったと心から思う。
「で、今後についてなんだが、旧式、君にはしばらく休暇を取ってもらう」
突然の発言に私は唖然とする。
「……それってクビってこと?」
バカげていると思いながら、念のため確認を取ってみる。ここでクビになったらどうやって生きていけばいいのだろう。私は頭のなかでスティングの事務所を襲撃する計画を真面目に検討する。
スティングはため息をついて、首を横に振った。
「違う。言葉通りの意味だ。表向きの犯人が爆破された以上、その裏側にいるやつに違約金やらなんやらの支払いをきっちりどこかでしてもらわんとな。それまで興行日程も組めそうにない。安心しろ、修理が終わる前には全部片付けてやる」
なるほど。スティングにはスティングなりの報復方法があるようだ。元々、自分から詐欺を名乗るような男だ。騙されっぱなしは気に入らないのだろう。そうなると当面の不安材料は一つだけ。
「私の生活費は?」
「……心配するな、俺が出す」
意外な言葉に驚いた。この金の亡者が私に金を出す気になるということもあるらしい。生き延びてみるものである。
「明日は雨が降るかもね」
「かもな。旧式、確かに戦うことが君の仕事だよ。だが、死ぬな。君が死ぬと意外に多くの人間が悲しむ」
「アンタの場合、金を稼ぐ手段が無くなるから、でしょ」
私は照れくささを感じて、軽口を叩く。言葉を素直に受け取れるほど、まっすぐな生き方はしていない。
「俺を見くびるな。金を稼ぐ手段は君と違っていくらでもある。だが、今の俺にとって君以上の資金源は無いんだよ、旧式」
緑碧の瞳の奥に宿る感傷的な視線。それは私に向けられていた。
今日のスティングは随分と感情的だ。元々淡泊な性格が売りだというのに。自分のミスがよほど許せないのだろうか、やけに私に対して気を使っているように見えた。
「君が万全で無ければ、実入りも悪くなる。俺が言いたいのはそれだけだ」
スティングはそう言って私に背中を向け、工房を後にする。
全く訳の分からない男だ。道具扱いしてみたり、人間扱いしてみたり。
ただ、何にせよ配慮してくれているのは理解できた。
なら、せっかくなので皆のご好意に甘えるとしよう。金が出るのなら工房での入院生活もたまには悪くない。
窓の外に視線を移すと、まるで降りだすタイミングを待っていたかのように大粒の雨が降りだした。
私は窓を叩く雨粒を見る。
この街では戦争の影響で化学物質混じりの灰色になった雨が降る。
決して美しくない雨を見ながら、私は終戦から抱いていた自分自身への疑問を回想する。
――私は今日を生きれているのか?
今ならあの疑問に答えられる気がした。
私には私の意志で今日を生きているという実感があった。
人を喰らって生きる獣。金と暴力だけが支配する最低な惑星で見世物にされる同族殺しの機械人形。
――旧式少女として。




