<第十一話:昼、試合中にて>
私の演出を圧倒的な勝利宣言と受け取ったのか、会場は割れんばかりの声に埋め尽くされる。
旧式、旧式と勝どきを上げるものまでいる。
だが、まだ試合は終わっていない。何故なら夜男爵はギブアップしていなければ死んでもいない。
そう、ルール上では試合はまだ終っていないのだ。
仮面越しだから分からないが、腹部が上下しているところを見る限り呼吸はあるように見える。ただ、意識を失っている可能性はあった。
私は再び拳銃の安全装置を解除し狙いをつけてから、夜男爵の右肘と左肘をそれぞれ念入りに撃ちぬく。これで両手も封じた。腕と膝両方の関節部品が動かなければ格闘戦にも持ち込めない。事実上、攻撃手段は無くなったはずだ。
盾付機関砲と拳銃の弾薬を補充して、拳銃はホルスターに戻し、盾付機関砲の銃口を夜男爵に対して構えながらゆっくりと接近する。
普通ならここで顔面に向けて一斉射撃と行きたいところだが、そうはいかない。何しろ観客は夜男爵の仮面の下が気になっているようだ。彼の仮面のほうに観客の視線が集まっているのを感じる。
私としてもギブアップが聞ければそれに越したことはない。無駄弾は撃ちたくないし、殺さずに済めばそれが一番いい。いくら喰い合うことを覚悟しているといっても殺人狂というわけではないのだから。
仮面の下は何者なのかその正体を白日の下で無様に暴いてやろう。 私は夜男爵の上に跨るような姿勢を取り、三日月型の口から血液油が流れる白仮面を剥がそうとした。
――刹那、背筋に寒気が走った。一瞬だけ戦地がフラッシュバックする。どこかで見た光景、密林の匂い、見慣れぬ死体、耳を切り裂く爆裂音、まずい。考える前に直感的にシールドで顔をかばい慌てて後ろに飛び引いた。
着地する寸前に鼓膜が破れそうなほどの轟音と衝撃が発生した。その衝撃と飛び引いた時の反動で尻餅をつく。だがそんなことは些細な問題だ。
問題は全身に受けた正体不明の衝撃とそれ以上の痛みが私の身体を襲っているということだ。
補助用の人工知能が警告音を鳴らす。
<損傷警告>
<盾付対人機関砲:損壊>
<右腕:軽傷>
<左腕:軽傷>
<腹部:重症>
<右太腿:軽傷>
<左太腿:軽傷>
<血液油:残量:八割九分>
私は蒙昧な意識のまま盾付機関砲を支えにして立ち上がる。起き上がるとほぼ同時に大量の血液油を吐いた。砂が赤黒く染まる。それを見て食事を取らなかったことを安堵した。頭の中で警告音が響く。損傷箇所が多すぎてどこが痛いのかもうわからない。警告に従えば一番酷いのは腹部。確かにちょうどお腹の辺りから血液油が流れていくのを感じる。血液油が秒刻みで減っていくのを律儀に報告してくる辺り、頭部だけは無事守れたようだ。
完全に大破し使いものにならなくなった盾付機関砲と無用になったホルスターをパージして、左腕で腹部を押さえる。止血は出来ないが、気分の問題だ。
<痛覚遮断算譜:起動>
<腹部痛覚:遮断>
アラートがうるさいので、ついでに補助用の人工知能もカットする。必要な局面はとうに終わったのだから。
<補助用人工知能:遮断>
指示も問題なく行える。痛みは消える。しかし、早めに終わらせないとこちらがまずい。痛みが消えても血液油が流れるのを止められるわけじゃない。
私は夜男爵を睨みつける。仰向けの姿勢のまま身動きひとつしない役目を終えた人形。その腹部はまるで割れた風船のように弾け飛んでいた。
周囲にはボールベアリングが散らばっている。
『興行』はいくら殺し合いとは言ってもルールの中で行われる試合だ。戦場じゃない。仮に戦場だとしてもアレは無差別殺人兵器として非情だと罵られるものだ。私は怒りで頭が熱くなるのを感じていた。
――クレイモア地雷。指向性対人地雷の一種で爆薬によってボールベアリングを広範囲に撃ち出す極めて殺傷範囲の広い殺戮兵器。
それを機械人形の腹部に詰める。それはつまりこの『興行』は私を殺すためのものを意味していた。それも勝つのではなく、『自爆』という形で引き分けを狙う。最低の手段だ。そこに『試合』なんて娯楽性は無い。これではただの戦争の再現だ。
私は血液油が流れ出る右手で手斧を鞘から引き剥がす。腕が無事で生き残れたのが幸いだ。クレイモア地雷なら構造上、連射はない。アレは仮面を剥がすと同時に起動する文字通り決死の切り札なのだ。
――殺してやる。私は今、純粋に『殺意』という動力で動き出した。
私は血液油を流しながら、一歩ずつ細い鉄骨の上を渡るかのような危うい足取りで進む。
わずかに進むだけで、腹部から溢れるように血液油が流れる。痛みは無いが左手に嫌なヌメりを感じる。意識が混濁していく。視界がゆがむ。遮断していない部分の痛覚がかろうじて意識をつないでいる。辿り着く前に死んでしまうかも知れない。しかし、それは今ではない。今であってはならない。
会場は閑静に包まれていた。或いは私の聴覚が爆音のせいでおかしくなったのだろうか。何も聞こえない。さながら水を打ったような世界。そう形容するしか無かった。
けれどもそんなことは関係ない。私は夜男爵を『憎悪』で殺したくて仕方がなかった。
それはこれまで決して持つことのなかった感情。今までは生きる結果として殺していただけであって、私自身に殺意という感情なんて無かった。戦地でも興行でも変わらず、何も考えず生きるために殺してきた。
私は私を殺しに来たのが許せないのではない。そんなことは生きる以上、日常茶飯事で、私はそれを生業にしている。実際、私は多くの命を奪ってきた。それはいずれ私の命で償う日が来るだろう。そのことに文句はない。
使い捨ての兵士。殺すしか脳の無い使い捨ての機械人形。
それでも私たちは『生きている』
だから、私が許せないのは多分……夜男爵が『生きること』を放棄したということだ。
少尉の命令とは言え、今まで生きることを放棄しなかった私にとって、それは何よりも耐え難い侮辱に見えた。『機械人形』という存在を道具として考えているからこそ出来る行為。人間がそれをやるのは構わない。彼らと私は違う。扱いが異なるのは当たり前のことだ。けれども、同族が、同類が、戦地を潜り抜けたであろう兵士が、それを受け入れ行ったという事実がどうしても許せなかった。
生きることを放棄した存在に殺されてなどやるものか。
意地が身体を維持していた。とっくに活動限界は超えているだろう。
私は満身創痍の身体を引きずるようにしながら、仰向けで身動き一つしない夜男爵に近づき、残る体力の全てを手斧に込め、躊躇なく、憎しみを込めてその首に向けて振り下ろした。
夜男爵の頭がボールのように敷き詰めた砂地を転がり、首からは残量の少ない血液油が流れ出る。
転がった首から仮面が剥がれ、夜男爵はその正体を見せる。
傷にまみれた歴戦の勇姿を感じさせるような男性的な顔立ち。戦うために生まれ、兵器として死ぬと決めた道具の表情を浮かべていた。
しかしそれは私の目には生きることを放棄した惨めな男の顔として映っていた。
――あぁ、こんな顔で死ぬのはあまりにも酷い。
あの時少尉はきっとこんな顔になる私たちを見たくなかったのだ。
死ぬのなら最後まで足掻いて死ねとそう言いたかったのだ。
今なら少尉の言葉の意味が……
意識が黒く昏く染まっていく。活動限界という言葉が脳裏に過ぎった。




