<第十話:午後、試合開始>
夜男爵は写真と違わない容姿をしていた。
全身を覆うように黒ずくめのマントを羽織り、頭にはシルクハット、顔には白の仮面。三日月型の目と不気味につり上がった口元。痩身であり、一見するとかなり軽装に見える。
視界で捉えられる範囲での武装は手にした事前情報通りの西洋剣。近接戦を挑むにしても心もとない装備だ。これで未だ誰も仮面にすら手をつけられていないというのは不可解な話である。
私の思考を遮るように試合開始のサイレンが鳴り響く。
相手の武器が判明しない以上、警戒してもし過ぎるということはない。前回それで痛い目を見ただけに余計に、だ。
私は左手に取り付けた機関砲の安全装置を外すと正面に構え、ゆっくりと歩いて間合いを詰めていく。
射程距離まで捉えたところで、いきなり夜男爵が私に向かって走りだした。
1秒だけトリガーを引いてすばやく指を離す。足元を狙うがきれいに狙いは定めない。牽制のための1秒射撃。6mmの弾丸の雨が1秒間分だけ夜男爵を襲う。
排莢音と硝煙の匂い、本当の意味での戦闘開始の合図だ。わずかな弾幕だが砂埃が巻き上げられた。気づけば夜男爵は私の視界から消えていた。
――上かッ!!
私は直感的に判断して、上空に機関砲の銃口を向ける。案の定、自由落下に身を任せ、突き立てるよう私に西洋剣を向ける夜男爵の姿が見て取れた。
私はその一撃を機関砲に取り付けられた盾で防ぐ。重力と体重が加わった重い衝撃が身体に伝わるが、外傷はない。足で踏ん張りそのまま盾で薙ぐように振り払う。
さらに着地予測地点に機関砲で牽制射撃を行う。着弾前に夜男爵は後ろに大きく飛んで直撃を回避した。私との間合いが大きく開く。
一瞬の攻防に湧き上がる歓声。なるほど、今まであの一撃奇襲で決めてきたわけか。
上空からの奇襲にとっさに対応出来なければ、今頃喉元を串刺しにされていただろう。
とはいえ、手品の種は割れた。
夜男爵は再び走りだす。今度は私に対して円を描くようにしながら、間合いを詰めてくる。狙いは推測できる。走ることで私に無駄弾を撃たせようという魂胆が見え見えだ。
私は左手は構えたまま、右手はいつでも抜けるようにしておく。
撹乱するように走るというのは銃器相手に接近戦を挑む上では有効だが、それなりに体力を消耗する戦法だ。私が典型的な乱射狂ならそれも効果があっただろう。或いは連射の利かない散弾銃のような銃なら弾薬補給の合間に接近することも可能だろう。
だが、私はどちらにも該当しない。
私は銃に依存するようなスタイルを取っているわけではないし、試合においての機関砲は見せかけだけの牽制道具に過ぎない。
重量と装弾数、そして口径を考えれば、これが主武装で無いことは経験があればわかる。
問題は夜男爵がそれに気づいているかどうかだ。
夜男爵の動きを目で追いながら、接近を待つ。
1秒、2秒、動きに合わせるように目と銃口だけで追いながら夜男爵との間合いを計る。徐々に近づいてくるが、間を図っているのだろうか一向に仕掛ける気配を見せない。
おそらく私が焦れて動き出すのを待っているのだろう。
定石ならここは無駄を防ぐために動かない。射程距離まで待つ。だが、ここは戦場ではない。観客のいる興行なのだ。
だから、私は挑発に乗ってやることにした。守るばかりでは性に合わない。
――次は私から仕掛ける。
私は夜男爵を狙い打つふりをして機関砲をフルオートで掃射する。
夜男爵が走った後の地面をなぞるように掃射した。
響き渡る爆裂音がありとあらゆる喧騒をかき消し、不必要なまでの砂塵を巻き上げた後、ガトリングは約1分間のドラムロールを終える。弾倉が空になり機関砲は虚ろな回転音だけを響かせる。私はトリガーから左指を放し、右太腿に右手を伸ばした。
その瞬間、夜男爵が砂煙の中から私へと一気に間合いを詰めて来た。夜男爵はサーベルを大きく振り上げ、弾薬を込める隙を狙って頭から袈裟切りにしようとする。
――だが、行動を読んでいる分、私のほうが速いッ!
私は即座に太腿に装着していた予備弾倉ではなく、ホルスターから拳銃を抜いて発砲した。軍事訓練で培った技能と機械人形特有の補助人工知能の補助による射撃は夜男爵の右腕に命中した。撃たれた反動で夜男爵の手からサーベルがこぼれ落ちる。
夜男爵は空いた左腕で西洋剣を拾おうとするが、私は敵にそんな隙を与えるほど微温い場所で生きてきたわけじゃない。 狙いを定め左腕も撃ち抜く。
更には中空に舞う西洋剣の刀身に向けて連発する。9mmの銃弾による衝撃が西洋剣の耐久力を上回り、刀身を破壊する。刀身と柄は空中で分離し、試合上に敷き詰められた砂の中へと吹き飛ばされた。
おそらく時間にすれば二秒に満たないであろう攻防。人間では決して反応しきれない動作。軍事用に訓練された機械人形ならではの本領発揮だ。
観客の多くは何が起こったのか理解出来なかったのだろう。
しかし、動きを止め銃口を向ける私と両腕から血を流す夜男爵を認識した瞬間、何が起こったのか理解したのだろう、ひときわ熱のこもった歓声が上がった。
とはいえ、ここで手を抜いたら『旧式少女』の名が泣く。両手を損傷し手持ちの武器を失って尚、果敢に挑もうとしてくる夜男爵。私は銃口を向けて左右の膝関節を狙って撃ち抜いた。黒のズボンから血液油が吹出す。
先程は咄嗟の攻防での反射的な狙いだったが、今度はゆっくりと照準器を合わせた上での精密射撃だ。決して外しようがない。
膝関節を破壊された夜男爵はバランスを崩してもなお、立とうとするも結局自らの体重を支えきれず天を見上げるようにして仰向けに倒れた。
機械人形がいくら痛覚を遮断できるとは言っても物理構造を無視出来るわけではない。当然ながら体重を支える膝の関節を壊されれば倒れるしかない。
倒れた夜男爵を見て私は勝利を確信し、拳銃に安全装置をかける。
「あらあら、舞踏会はもうおしまい? まだまだ私は踊り足りないのだけれど?」
私はわざとらしく台詞を吐いて、硝煙の立ち上る銃口を一吹きし、指先で銃をくるりと一度回転させて再び持ち直す。少尉が練習の際に昔やっていたことのモノマネだが、こういう場合だとそれなりに様になるらしい。
観客席から喝采が沸き起こった。




