バクとミチルの夢
晴れた夜、月明かりに照らされながらバクは夢を食べに空を歩きました。バクは悪い夢をみている人の枕元に降り立って、むしゃむしゃとその夢を食べるのです。
バクには悩みがありました。赤い屋根の家に住むミチルという10歳くらいの少年のことが気になっているのです。ここ数ヵ月、ミチルの夢は暗く重く、不安の風が吹き荒れているのです。もちろんバクは、毎夜毎夜ミチルの夢を食べているのですが、数ヵ月間も悪夢が続いているということに心配しているのです。
ミチルは、同じ学校に通うツヨシという少年にいじめられているのです。夢によると、靴を隠されたり、行く手を遮られたり、どつかれて転ばされたり、というものでありました。
バクはミチルを不憫に思い、せめて夢の中だけでも穏やかに、と毎晩欠かさずに悪夢を食べるようにしているのです。
「他にぼくにできることは無いのかな…」
バクは考えました。それは、ミチルの悪夢を食べ、楽しい夢を挿入するというものでした。しかしバクはすぐに思いとどまりました。夢の中が楽しくなったとしても目が覚めればまたいつものいじめが待っているのでは、本当の解決にはならない、むしろ夢の中の方が幸せならずっと夢の中に居続けてしまうのではないか、という心配があるからです。
バクはツヨシという少年のことを考えました。「なぜツヨシは毎日のようにミチルをいじめるのだろうか」と。「ぼくだったら、毎日靴を隠されたり、転ばされたりしたら学校へ行きたくなくなっちゃうなぁ…」と呟いた時、バクはハッとしました。「ぼくだったら…ぼくがミチルだったら…」
そうなのです。ツヨシは自分がミチルのようにいじめられたら、という想像ができていないのです。
そう気付いたバクは、翌日の夜ツヨシのところへ行きました。ツヨシの家はミチルの家からさほど遠くはない集合住宅にありました。
今にも泣きそうな寝顔のミチルとは違って、ツヨシは軽い笑みを浮かべて眠っていました。ツヨシはおいしいものを食べている夢をみているところでした。
普段、バクは良い夢は食べないのですが、今夜はツヨシのおいしそうな夢を食べて、代わりにミチルの夢を挿入しました。するとどうでしょう。ツヨシの寝顔はみるみる曇っていきました。夢の中でツヨシはいじめられているのです。
「これでミチルの気持ちがわかってくれれば…」バクはそう呟きながらツヨシの家をあとにしました。
朝になりました。ツヨシは重たい気分で目覚めました。ツヨシの母親が「何かあったのかい?」と気遣いました。ツヨシは沈んだ声で「行ってきます」と言い学校へ向かいました。途中、ミチルの家の前を通ると、丁度家の戸が開き、ミチルが出てきました。ミチルはいつも通り暗い顔と声で「行ってきます」と言いとぼとぼと歩いていきました。そんなミチルの背中をミチルの母親は心配そうに見つめていました。ツヨシはその光景をじっと見ていました。そして少し離れてミチルの後ろを歩いて行きました。学校までの道をツヨシはミチルの背中をぼうっと見つめながら歩きました。学校の門をくぐり、ミチルの肩が少しこわばったことにツヨシは気付きました。そこはいつもツヨシがミチルをどつく場所だったのです。ミチルはランドセルの肩ひもをぎゅっと握り直しうつむいてすたすたと下駄箱の方へ入っていきました。
この日、ツヨシはミチルの様子を観察しました。授業中、休み時間、給食の時間、そして帰りの時間。ツヨシは今日みた夢とミチルとを重ねて見ていたのです。ミチルはずっと一人でした。誰とも話さず、誰とも目を合わさず、そして一度も笑いませんでした。
帰り道、ツヨシはまたミチルの少し後ろを歩きました。そこへいつもツヨシと一緒にミチルをいじめているタケルとマコトが来ました。「ツヨシ!ミチルいるじゃん!ちょっと驚かせてやろうぜ」とタケルが言いながらミチルに近づこうとしました。「やめろ!」ツヨシは小声で少し強めに言いました。タケルとマコトは驚いた顔をしていました。「もうやめる。ミチルなんていじめてもつまんねぇから」ツヨシは地面に視線をおとし真剣な顔をしていました。
それから一ヶ月たったよく晴れた夜、この日もバクは夢を食べるのに大忙しでした。けれど足取りは軽やかです。バクはミチルの部屋を覗きました。ミチルの寝顔は穏やかでした。「ぼくの食べられそうな夢は無さそうだね」と微笑みながらミチルの部屋を去りました。
夜空を歩くバクはみんなの幸せを願いながら今日も夢を食べるのでした。