*8 石橋を叩く
蓮見先生の所を退室した僕は、再び研究室へ戻ることにした。
先とは違い、話し声が漏聞こえている。
他の学生も戻ったようだ。
「戻りましたぁ」
言いながら、研究室のドアを開ける。
「お、市田。さっきのどうだった?」
樋田さんが僕の姿を見るなり大きな声で言う。
さっきのイチゴオレは飲み終わったのか、今度はコーヒー牛乳を片手に持っていた。
「返却は明日って言われました」
樋田さんに近付いて行くと、側のデスクから椅子を引っ張り出し、座るように促された。
促されるがままに座る。
「市田は進路は? まさか考えてねぇとか言わないよな?」
「一応、院へ行きたいなと思ってます」
特別隠すことでもない。
年内には試験があるのだから。
「なるほどなぁ。市田ならそうだよな。佐伯は?」
「院に進みたいとは聞いてますけど」
「……お前らってさぁ、ほんと仲がいいよな。付き合ってどれくらい?」
なんか聞き捨てならない一言が聞こえて来た。
「は?」
「考えてみたらお前ら、うちの研究室に来た時から仲良いもんな」
「いや、だから僕と佐伯は付き合ってませんって」
慌てて樋田さんを制止する。
僕は勘違いされても構わないが彼女が構うだろう。
「え? 付き合ってないの? あんだけ仲良くて?」
「付き合ってません」
「え~。まじですか」
樋田さんがうげぇ、と言いながら椅子の背もたれにしなだれかかった。
「え? 市田さんとなっちゃんて付き合ってると思ってた」
僕の後ろから、4回生の森田さんが顔を出した。
森田さんはなんか小さくて女の子らしい感じの人だ。
あまり年上という感じがしない。
どうやら、食後のお茶を取りに行ったところで割り込んできたらしい。
「……森田さんまで……」
「え? だってあれだけ仲が良くて、しかも二人とも浮いた話のひとつもないからてっきりそうなんだなぁって」
「だよなぁ」
森田さんの言葉に同調して、偉そうに腕を組んだ樋田さんがうんうんと頷く。
「大体浮いた話って……そんなの僕にある訳ないじゃないですか」
「「え!?」」
「……なんですか、その"え!?"って」
……浮いた話のひとつもなくて悪かったね。
自慢にもならないけど、この22年間彼女がいたためしはない。
「まさかとは思うけど、市田って彼女いない歴=年齢!?」
「……そうですけど」
樋田さんに再度確認される。
何か問題でもあるんだろか。
正直、落ち込むからあまり言わないで欲しかったりもする。
「市田君って……」
「お前って……」
二人が呆れたような目で僕を見る。
彼女がいたことがないのがそんなに問題なんだろうか。
「一言で言うなら、石橋を叩いて壊した挙句、渡らないっていう選択肢を選ぶタイプだな」
「それを言うなら、渡れないだと思うよ」
「どっちにしてもひどい言われようなんですが」
「お前、相当鈍いよなってこと」
「僕が?」
自分が鈍い(運動神経ではなく)のはある程度自覚しているが、そこまで言われるのはどうなんだろう。
「市田、お前って自分が思うほどモテてないわけじゃねーぞ?」
「?」
「その前髪さえなけりゃそこそこだし、服の趣味はかなり良いし」
「市田君ってさぁ、下級生とか他学部に人気あるんだよねぇ」
樋田さんに続いて森田さんまでが言う。
その割には、告白とかされた覚えもないんだけど。
「何度か、蓮見先生の講義の手伝いしたこと、あったでしょ?」
それは何度かある。
自分の講義がないときに、プリントの印刷や配布の手伝いをしたり、スライドなんか機材を使う時なんかに代わりに操作したり。
だけど、それがなんだと言うのだろう。
「そういう時に目をつけてるんだって。1回生や2回生や他学部の子が上級生と会う機会なんて、滅多にないんだから」
「……なんで森田はそんなこと知ってんの?」
樋田さんが呆れたように言う。
本来、学年の違う森田さんが内部事情(?)に詳しすぎるからだろう。
「私、サークルやっててさ。あ、弓道なんだけどね。他の学部の子に市田君のこと聞かれたりしててさ。それでね」
「なるほど」
だから無駄に詳しいのか。
「ま、そんな訳だから市田君はモテてないわけじゃないんだよ」
「……森田さん、その台詞はなんか変だよ」
「ま、まぁ、多少は自信持てよってことだな。うん」
「はぁ」
あれ、僕ってなんで励まされているんだっけ?
まぁ、いいか。