その7
この若者が以前から黒髪の上官を慕っているのは知っていたが、ここまで想いが深いとは予想外だった。フェリックスは誰にも靡かず、老若男女問わず難攻不落の要塞みたいなところがある。
それにしても、ついこの間まではミシェルにぞっこんだったのに、脈なしと悟ったのか変わり身が早い。しかも、よりによってあの男とは気の毒だ。
「あいつ、ガードが堅いぞ」
「そうなんですよねえ」クリスがため息混じりに言った。
「でも、これを解決しないとミシェルちゃんと交際できません」
「ちょっと待て」
よくよく聞けば食い違う内容に、マシューは話を止めた。
「つまり、付き合いたいのはミシェルか?」
「はい。ほかに誰がいるんですか?」
「いや、別に」
てっきり相手がフェリックスだと勘違いしていたので言葉を濁した。改めて見るクリスの表情はご機嫌とはほど遠い。伯父と上官の立場を利用して、二人の恋路を邪魔していると捉え兼ねない顔だ。
敬愛するフェリックスに反対されて、増幅した怒りとショックで暴走するかもしれない。こじらせる前に先手を打った。
「あの二人は親戚じゃない。赤の他人だ」
クリスはぼかんとしていた。やがて、瞬きを数回して我に返った。
「他人?」
「そうだ。事情は聞くな」
マシューがすかさず釘を刺す。
「どういうことですか!?」
「だから、聞くなって言っただろう?」と言わんばかりの目で動揺するクリスを見た。それから口を閉ざし出ていってしまった。マシューは、問いを投げかけて答えを出さず去るところがある。『自分で考えろ』という意味だろうが、当事者は悶々とした気持ちが残るだけだ。そして、案の定クリスの胸と頭は靄が立ちこめる。
待機室に帰ってきたクリスは、自身の席に着いたもののどうも落ち着かない。
爆弾を投げたマシューは何食わぬ顔で接しているし、フェリックスは相変わらず無表情で庶務をこなしている。チラチラと窺っていたら目が合った。口を開きかけた上官に思わず目を逸らす。フェリックスは怪訝げに見てまた書類に視線を落とした。
こんな状態が続き、クリスは心身ともに疲れ果てた。こんな時に限って一日が恐ろしく長い。それにフェリックスのそばにいるのがとてつもなく苦しい。
クリスは、ようやく勤務と上官から解放されると大きく息を吐いた。そして、向かった先はミシェルの家だ。彼女に今一度確認しなければならないことがある。
辿り着いて、呼び鈴に伸びた指が寸前で止まった。感情の赴くまま来てみたが、今になって真実を知るのが怖くなった。引き返そうと背を向けた時、玄関のドアが開いた。
「クリスさん?」
ミシェルだった。夕食の支度中らしく、髪を束ねてエプロンを付けている。
「こんばんは。隊長はまだだよね?」
「はい。何かご用ですか?」
「あ、いや。ミシェルちゃんに聞きたいことがあって」
「でしたら、中へどうぞ」
「ここでいいよ」
部屋に入りフェリックスが帰ってきたら目も当てられない。一度は断ったが、ミシェルの強い勧めで渋々受けた。
久々の訪問にいささか緊張しながら、廊下を抜けてリビングにやってきた。今夜はトマト料理だろうか、甘酸っぱい匂いがリビングに漂い、空腹を覚える。
「よかったら夕食いかがですか?」
トマト鍋なので量はたくさんあると、察したミシェルが誘った。そろそろ彼女の手料理が恋しくなった頃なのでありがたい申し出だ。だが、問題を片付けないと美味しい料理も喉に通りそうにない。
「ちょっといいかな?」
クリスが真剣な表情だったので、ミシェルは向い合わせの椅子に座った。
「なんでしょうか?」
クリスは出された紅茶をぐいと飲み干してすうっと息を吸った。
「ミシェルちゃんと隊長は親戚だよね?」
「え?」
ミシェルは一瞬戸惑った様子だった。
「お母さんは隊長のお兄さんかお姉さん?」
「えっと……、お姉さんです」
「ミシェルちゃんはお父さん似かな? 隊長とは似てないし」
踏み込んだ質問に、ミシェルに困惑の色が見えた。『事情は聞くな』というマシューの忠告を思い出して胸がざわつき、ミシェルも心臓が激しく波打つ。こういう質問は想定内で、フェリックスと何度も打合せしていたはずなのに、瞳の奥を覗きこむクリスにしどろもどろだ。
「そ、そうですか?」
クリスは大きく息を吐いた。嘘を突き通すには、更に嘘を重ねなければならない。小さな嘘が次第に膨らみ自身に重くのし掛かる。事実、目の前のミシェルは不安で瞳が潤み、悟られまいと唇をきゅっと結んでいた。そんな思いをしてまで何を守ろうとしているのか。
「そろそろ支度しますね」とキッチンへ逃げるミシェルの腕を咄嗟に掴んだ。
「本当のこと言ってよ」
「本当のことって……」
「二人は血が繋がっていない」
ミシェルの顔が一気に青ざめて、愛らしい唇が小刻みに震え始める。
「な、何をおっしゃっるんですか」
「隊長とは親戚じゃない、赤の他人。違う?」
「わたしとたいちょーさんは親戚です」
「ミシェルちゃん、もういいよ」
「本当です!!」
琥珀色の瞳に涙をためて必死に否定した。
「ミシェルちゃんの好きな人ってコールダー隊長だろ?」
ミシェルは大きく目を見開いてぎこちなく首を横に振る。ついに白い頬に一筋の涙が流れた。クリスの恋心が自分にあるのは知りつつ、残された時間をこの青年ではなくフェリックスと過ごしたいと願った。ただの同居人でいい、そばにいたい。そんなささやなか希望も終わろうとしている。
両手で顔を覆いむせび泣くミシェルを見て、クリスはとても後悔した。ここまで追い詰めるつもりはなかったからである。ただ、真実を彼女の口から言ってほしかっただけだった。
ミシェルの気持ちが自分にないと知っていたはずではないか。むしろ禁断の恋じゃなくてよかったと安堵するべきだ。今までいきり立ったものがふっと消えて、ミシェルを掴んだ腕がだらりと落ちた。
「誰にも言わないから泣かないで」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
多分、隊長もミシェルちゃんのこと好きだと思うよ。本人は気付いていないだろうけど。
口にすればあまりにも滲めだから黙っておくことにした。
ミシェルを宥めてようやく泣き止んだところで家を出た。一メートルくらい歩いたところで立ち止まり振り返る。あの泣き腫らした顔だと、今夜の出来事がばれるのも時間の問題だ。もうすぐ呼び出しの電話がかかるかもしれない、どんな言い訳をしようか。この場に及んで上官が怖いとは。
また歩き出すと、足元に人影が伸びた。顔を上げるとごっつい男がいる。
「モーガン軍曹……」
「やっぱりここだったか」
いかついくせに眼差しは優しい。
「ミシェルと話したか?」
クリスが頷くと、分厚い手が頭に乗り金髪を撫でられた。まるで父親にされている感覚に涙腺が緩む。勝ち目のない恋にさよならして前に進め、気付かされて我慢しきれず涙がこぼれた。爆弾を放って手当てに来る、マシュー・モーガンはそういう男だ。
「なんで隊長なのかな? 俺も悪くないけどな」
「そうだ。お前さんの方がいい男だ」
「珍しく慰めてくれるんですね」
「いつも慰めてやってるのに、お前さんが気付かんだけさ」
二人は肩を抱き合って夜の道を歩いていく。




