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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第九章 さよならを言う同居人
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その6

 ミシェルはスープの味見をしてため息をついた。味ではなく気持ちの問題である。

《料理は心です》

 いつぞや見た料理番組でそんなことを言っていた。フェリックスに美味しい料理を食べてもらいたい、心を込めて作っていたが最近自信がない。

 この間、サラダを一口食べてフェリックスが激しくむせた。慌てて水が入ったグラスを手渡すと、彼は真っ赤な顔で飲み干した。


「大丈夫ですか!?」


 「ああ」と語尾が掠れている。ミシェルもサラダを食べてみてむせた。ぼんやりしてドレッシングの酢を入れすぎたらしい。


「たいちょーさん、ごめんなさい!!」

「寝不足も治りそうだ」


 酢は健康にいいというが、これはやりすぎである。

 

 思い出すだけで気が重くなる出来事だった。ドアが開く音に、ミシェルはコンロの火を止めて向かう。玄関には怖いほど顔を強張らせたフェリックスが立っていた。よほど急いできたのか肩で息をしている。


「たいちょーさん、どうしたん……きゃっ!!」


 いきなり抱き締められて、ミシェルはフェリックスの腕の中で大きく目を見開いた。温もりと力強さに包まれてしばし呆然とする。


「たいちょーさん、苦しいです」


 くぐもる声で訴えると、フェリックスが体を離した。なにか言いたげにして、また口を固く結ぶ。


「なにかあったんですか?」


 フェリックスのただならぬ行動にたまらず訊いた。


「物騒な事件があったから心配だった」

「そうなんですね。戸締まりをしっかりしなきゃ」


 少しも疑う様子がないミシェルに、フェリックスはほっとすると同時に嘘も上手くなったと自嘲する。


《せめて普通に過ごしてあげて》


 抱き締めたあとに、事実を確かめようとしたが《ミシェル》の言葉で思い止まった。詰問すれば答えるかもしれない。だが、それは彼女の意思を無視することになるのでないか。なぜミシェルが隠しているか、恐らく自分に心配をかけたくないからだろう。悲しんだりいつも以上に気を遣わせたくないのだ。

 動物は死に行く姿を見られたくないのだという。だとしたら、犬であるミシェルも行方をくらます可能性がある。

 初めて真実を知るのが怖いと感じた。数々の修羅場を経験したのに不安で身震いがする。


「たいちょーさん?」


 ミシェルが怪訝そうに見ていた。


「シャワーを浴びてくる。食事の支度をしてくれ」

「はい」


 明らかに様子が変だ。今日なにかがあったに違いない。それでも訳を訊けないのは、彼女もまた秘密を持っているから。



 朝、目覚めてリビングへ行くとテーブルには既に料理が並んでいた。


「おはようございます」

「おはよう」


 椅子に座りコーヒーに手を伸ばす。芳ばしい香りを堪能するようにゆっくり飲んでそっと口を離した。コーヒー好きなフェリックスのために、ミシェルが毎朝豆を挽いてドリップする。ドッグカフェで働き初めて一段とうまくなった。

 二人揃うと食事が始まる。今朝は野菜とベーコンを細く切って煮込んだコンソメスープだ。温かいスープは身も心も和ませる。

 もし、ミシェルがいなくなったら家庭的な料理も食べられなくなる。外食すればいいのだが、今となってはどこか味気なく感じる。


「また味が変ですか?」


 無表情は想定内にしても、失敗続きのミシェルが恐る恐る尋ねた。


「いや、今日も美味い」

「よかった。そのベーコン、マシューさんのお薦めなんですよ。なんでもご実家の近くにあるお肉屋さんで売っているとか」

「モーガン軍曹はああ見えて食い物にはうるさいからな」

「ああ見えて?」

「熊みたいになんでも貪り食うイメージがあるとは思わんか?」


 ミシェルは想像してみた。大きな熊のマシューが川で魚をくわえて仁王立ちしている姿に思わず吹き出した。


「ぷははは。マシューさんに悪いですよ」

「笑うということは認めたも同じだぞ」

「だって……」


 このあとは言葉にならず笑い転げた。こんなに笑ったのは久しぶりで、先が見えない自身も未来も忘れるほどだった。そんな彼女に笑顔にフェリックスも口角を上げた。




 部隊に出勤するとクリスが出迎えた。毎朝の日課なので、表情で部下のその時の精神状態がわかる。


「私に話があるのか?」

「えっ!! なんでわかったんですか!?」

「何年一緒にいると思っているんだ」

「さすがです。隊長、実はミシェルちゃんのことなんですが」


 また、ミシェルか。

 二人は隊長室へ入り、フェリックスがクリスに向き直った。


「隊長直々にお願いがあります」

「言ってみろ」

「ミシェルちゃんとの交際を許可してください」

「はっ?」

「あ、いえ、フラれたんですが諦めきれません」


 と、口ごもる。そういえば、この青年はミシェルに片想いなのをマシューから聞いたことがあった。あれから目立った動きがなかったので、てっきり諦めたと思っていただけに驚いた。


「保護者代わりの隊長に話を通しておくのが筋だと思いまして」


 若いのに律儀なものだ、そう感心しながら頭は警戒体制を促している。今の状態で長い時間、人と接するのは危険だ。アルバイト先のモニカは事情を察している節がある。安心してミシェルを任せられる人間は限られているのだ。果たして、クリスに残酷な未来が受け止められるのか。

 フェリックスは正面を見据えた。


「心掛けは立派だが、許すわけにはいかん」

「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

「私のことはどう思うと構わない。だが、これ以上ミシェルに関わるな」

「それは命令ですか?」

「だとしたら?」


 ダークグリーンの瞳はきっぱり『命令』と言っている。


「……わかりました」


 クリスは納得したと思えない顔で敬礼して部屋を出た。



「ああ、くそっ!!」


 クリスは隊長室をあとにして裏庭で叫んだ。それでも怒りが収まらず地面を蹴散らす。


「大荒れだな、隊長付き」


 マシューの登場に、クリスは恥ずかしいやら情けないやらで顔を真っ赤にした。余計なことに首を突っ込みたくないが、あまりにも荒れていたので理由を訊くことにした。


「どうした?」


 クリスは言い掛けてはやめて口をつぐんだ。ミシェルと何かあったら落ち込むだろうし、勤務ではここまで感情を露にしない。考えられることはただ一つ。


「隊長殿とやり合ったか?」


 クリスの顔色がさっと変わった。

 当たりか。こりゃ、穏やかじゃねえな。

 マシューはポリポリと後頭部を掻いた。


「忠犬のようなお前さんがなんでまた?」

「実は、隊長に交際を許してくれと頼んだんです」

「へっ!?」


 これにはマシューも驚いて目を丸くした。


「おいおい、いくら敬愛しているからってそりゃマズいだろう?」

「どうしてですか!? これは本人たちの問題でしょう!?」

「まあ、そうだけどよ。で、あいつはなんて?」

「だめだそうです」

「だろうな」


 呆れた口調に、クリスは掴みかかる。


「命令してまで拒む理由ってなんですか!?」

「落ち着けって!! よく考えろ。相手は隊長だ、立場もある」

「そんなに俺は頼りないですか!?」


 いつもこうだ。フェリックスの色恋沙汰を尻拭いするのはマシューの役目だった。別れた女が復縁を懇願するのを宥めて帰すの繰り返し。影の努力も知らないで次から次と火種を残す上官にうんざりする。

 まったく、今度の酒はしっかり奢ってもらうからな。

  




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