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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第九章 さよならを言う同居人
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その4

「たいちょーさん、朝ですよ!! 起きてください!!」


 元気な声とともに、勢いよくカーテンを開ける音がした。眩しい朝陽が夢うつつのフェリックスを直撃する。毛布を頭まで被り抵抗するも、今朝のミシェルは手強かった。尚も呼び掛けてくる。


「今日は家を早く出るっておっしゃってましたよね」


 そうだった。朝イチで会議があるからいつもより早く起こしてくれと頼んでいたのを思い出した。そして、夕べはその準備で就寝が遅かったのをミシェルは知らない。


「……もう少し寝かせてくれ」

「ダメです。早く起きてください」


 昨日まで暗い表情していたのに、やたら明るい彼女に面食らいながら眠りにつこうとした。すると、ミシェルが彼の体を揺すり始める。具合が悪いとかまったく考えが及ばないのか、揺さぶりがだんだん強くなりたまらず上体を起こした。


「おはようございます」


 にっこりと微笑むミシェルにしてやれたと頬を撫でる。


「……おはよう」

「ようやく起きてくれて助かります」


 ささやかな皮肉を残して部屋を出ようとするミシェルに


「もう大丈夫なのか?」


 彼女の足がぴたりと止まり振り返る。


「ご飯、冷めないうちにお願いします」


 笑みを絶やさず答えを聞き出せないまま部屋のドアが閉まった。



 フェリックスが出勤して、ミシェルは正直ほっとした。今朝は明るく振る舞えたが常に不安がつきまとう。フェリックスは職務上いろいろな人間を見てきた。あの鋭いダークグリーンの眼は些細な嘘を見抜くだろう。そして、優しい彼は口にすることはない。以前、「優しいんですね」と言ったら、フェリックスは「冗談だろう?」と本気で嫌な顔をした。

 ミシェルはくすりと笑う。食器を荒い終えて、対面式キッチンからリビングを見渡した。もう少し先に目をやると庭がある。フェリックスが独り暮らしのときは殺風景だったが、ミシェルの提案で菜園と花壇という豪華な庭へと変わった。ミシェルに気に入ってもらいたい一心で、マシューは野菜をクリスは花を競って植えたのだった。


 ミシェルは庭に出た。マシューとクリスが訪れた際に手入れするので、四季折々の花や野菜が楽しめた。不定期で行う夕食会で食卓を飾る。

 この場所でたくさんの思い出が生まれた。素敵な人に出会えて楽しい時間を過ごした。この上ない幸せももらい思い残すことはない。

 

 

 

 隊長室で書類にサインするフェリックスの手が止まった。ペンを置き、椅子に深く寄り掛かるとギギっと音を立てて大柄な体を受け止める。『革張り』といえば聞こえはいいが、たかだかいち隊長の身分では合皮だ。

 デスクワークの気だるさを追い払うかのように、両手で黒髪を掻き上げた。

 今朝のミシェルは明るくいつもの彼女だった。時折見せる暗い表情ではなく、屈託のない笑顔で彼を迎える。だから、余計気になった。


 コンコンと音が二回した。開けっ放しのドアにマシューが寄り掛かってこちらを見ている。


「ずいぶん開放的になったものだ」

「たまには風を通さんとな」

「ふうん、まめなことで」


 部下の声が聞きたくて……という感動的な理由はなく、ただ単に閉め忘れただけだった。


「何か?」

「お前さんとこの菜園、そろそろ土作りしようと思ってな」

「それこそまめなことだ」


 農家の息子であるマシューは菜園担当となっている。武道家みたいな体つきだが意外とこまめな性格だ。


「素人は次から次に植えたがるが間違いだ。肥料を入れてじっくり土を休ませる。これは人間にも言えることだ」

「だからそんなにデカイのか」

「俺じゃねえ。部下育成の話だ。黙って見守るのも大事だが、たまにはビシッとだな」


 上官に説教という大それた芸当をやってのける男に、フェリックスは寛大だった。


「いつでもこの椅子を譲るぞ」と、立ち上がる。マシューは大きくかぶりを振った。


「俺はナンバー2が合っているんだ。部下をけしかけてナンバーワンをこき使う」


 憎まれ口を叩いても、頼りになるナンバー2には違いない。見かけは怖いが些細な変化に気が付く、人と接するときは本音でぶつかる裏表のない性格。だからミシェルは初対面でも真っ先になついた。

 マシューが入り口の方へ歩いていくので帰るのかと思ったらドアを閉めた。


「ところでお嬢ちゃんは元気でやってるか?」


 なるほど、個人的な話がしたくて閉めたのか。

 フェリックスは感心した。声も態度も大きい彼なりに気を使ってくれるらしい。


「この間見掛けたら少し痩せたような気がしてな」

「痩せた?」

「ダイエットでもしているのか?」

「していないと思うが。気付かなかった」


 フェリックスはそっと下唇を噛んだ。滅多に感情を出さない彼だが、腐れ縁のマシューは些細な仕草を見逃さなかった。下唇を噛むのは不覚と感じたときで、見掛けたら「一緒にいるとかえって気付かないもんだ」とさりげくフォローする。

 

「ミシェルとは上手くやってるか?」

「多分な」


 マシューはギョロっとした目をさらに丸くした。


「自信家のお前さんらしからぬ返事だな」

「周りからはそう見えるのか。常に迷ってばかりだがな」

「どうした? 本音を吐くなんて珍しい」

「私とて生身の人間だ」

「ミシェルと喧嘩したならとっとと謝れ。ミシェルがいないと一番困るのはお前さんだろう?」


 フェリックスは腕時計に目をやり、壁に掛けている軍帽を手にした。数多い軍人の中で、彼ほど軍帽が似合う人物はいないマシューは思う。ちなみにマシューが戦闘服を着ればゲームのボスなみの迫力だ。


「悪いがこれから会議だ」

「じゃあ、おいとましようかね。隊長殿もなにかと大変だな」


 マシューは、やや低い上官の肩を二回叩いて隊長室を出ていった。続いて軍帽を小脇に抱えたフェリックスがあとにする。




 ドッグカフェ『Dolce cane』は今日も犬連れの客で賑わっていた。カップケーキとミシェルが店の看板と、イヌ友の間で口コミで広まった。


「ミシェルちゃん。うちのメグ、なんて言ってるのかしら?」


 中年の女性が愛犬のミニチュアダックスフンドを連れてきた。ミシェルはしゃがんで『彼女』の目を見る。実はミシェルにはほとんど犬の声が聞こえなくなっていた。

「わかりません」と素直に言えばどんなに気が楽か。しかし、犬の気持ちがわかる店員として期待されている以上口にできない。相手の気持ちをかすかに感じ取り、飼い主に伝える作業がとても体力がいるものとなった。

 疲れた表情で食器を片付けるミシェルに、モニカはたまらず声を掛けた。


「あなた、最近疲れているみたいよ」

「ご迷惑掛けているならこれから気を付けます」


 あくまでも自分の責任にするミシェルに、モニカはため息をつく。


「迷惑じゃないしあなたはよくやってるわ。でもね、ここのところコールダー隊長を避けるようにバイトに明け暮れているでしょう?」


 モニカの指摘が胸に刺さって痛い。事実、フェリックスと顔を合わせるのが怖かった。フェリックスの反応は、問い質すか黙ってこちらの出方を待つか、である。いづれにせよ、すべては打ち明けせざるを得ない。だから、日を空けずバイトに入って逃れていたのだ。


「バレないと思ってた? ミシェルは正直だからねえ」


 ミシェルは真っ赤な顔で俯くしかなかった。



 


 


 


 


 




 

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