その11
ミシェルが朝食の支度をしていると、ワイシャツ姿のフェリックスがやってきた。黒髪に白いシャツが凛とした雰囲気をより一層際立たせる。
ああ、やっぱりたいちょーさんは格好いいなあ。
うっとり眺めているとフェリックスと目が合った。昨夜、抱き締められた感触が蘇りミシェルは伏せ目がちに挨拶する。
「お、おはようございます」
「おはよう」
何事もなかったように席に着く彼に、やはり勘違いだったと心ひそかにがっかりした。盗み見したミシェルの様子にフェリックスの胸がちくりと痛む。実はつい先ほどまでミシェルがどう出るか気掛かりで仕方なかった。ダンスパーティーでは彼女の期待に応えたい一心だったが、昨夜は酔ったせいで理性がほつれかけた。
だから、罪滅ぼしではないがフェリックスが今夜は外食しようと提案する。
「わたしは大丈夫ですが、たいちょーさんこそお疲れでは?」
「お疲れというほど大した仕事はない」
すると、ミシェルは何か思いついたらしく顔を輝かせて身を乗り出した。
「わたし、今日お給料をもらうのでご馳走します!!」
「お前が?」
「モニカさんに美味しいレストランを教えてもらいました。もちろん値段もお財布に優しいんですよ」
財布に優しいなんてどこで覚えたんだか。
愛らしい口から陳腐な台詞が飛び出すので、フェリックスは頬を緩ませた。
たいちょーさん、笑ったら素敵だなあ。
と言えば、また仏頂面に戻るからミシェルの胸だけに仕舞っておく。
フェリックスは部隊から直接行くということで、待ち合わせの時刻と場所を決めた。
「ふんふんふーん♪」
ミシェルの楽しげな鼻歌は『ドルチェ』の店内に響いていた。彼女のご機嫌はフェリックスによって変動する。今日はいいことがあったらしい。
「実は今夜、たいちょーさんとお食事することになりました。 この間、モニカさんが教えてくれたレストランです」
ミシェルが声を弾ませて答えた。
「外食はあまりしないの?」
「今夜は特別でわたしがご馳走しようかと」
「へえ、二人で?」
「はい!!」
「デートか、いいなあ」
モニカは遠い目をしてため息をつくと、ミシェルは頭から湯気が出るくらい顔が真っ赤になった。
「で、で、デートっ!?」
「二人っきりで食事して、そのあと夜道を散歩して……、ロマンチックねえ。軍人さんだから暴漢に襲われても護ってくれるし」
恋人不在の期間が長いせいか、モニカの視点はいささかずれていた。ちなみに彼女の好みはモデル体型よりマッチョ系である。
「二人で食事したらデートになるんですか!?」
「まさしく!!」
狼狽えるミシェルに、モニカは得意げに親指を立ててみせた。
一方、フェリックスはデスクワークに追われていた。隊長は指揮を執る華やかさが目立つが、書類の判押しに半日を費やしたり各部署とのすり合わせなど地味な仕事が意外と多い。特に何かと問題ある軍人もいるので苦情や調整に事欠かない。
ほとんど当てはまるのがマシューで、自覚しているだけにタチが悪い。「そのためにお前さんがいるんだろうが」としまいには開き直る始末だ。
「隊長殿、今夜空いてるか?」
なので、マシューの誘いを「先約がある」との一言でシャットアウトする。こともあろうか隊長の机に腰を掛けるものだから、書類に影が差して一気に見えづらい。フェリックスの迷惑そうな上目遣いに、マシューがニヤニヤしながら見下ろした。
「お嬢ちゃんか?」
「夕食を奢ってくれるらしい」
「ほお、俺もご相伴あずかろうかな」
大食漢で酒はザル、こんな彼を連れていったらミシェルの給料では足が出る。それに、はっきり約束していないが今朝の雰囲気から恐らく彼女と『二人きり』だろう。というか、プライベートな時間まで暑苦しい部下の面は見たくない。
なので、仕事が終わると私服に着替えて部下を撒くように部隊をあとにした。
待ち合わせの場所は『Dolce cane』から歩いて五分ほどの噴水だ。夜になると、暖色のライトがとめどなく流れ落ちる水面を彩る。幻想的な光景がカップル達に人気で、この日もあちらこちらで仲睦まじい男女の姿が目につく。
フェリックスが腕時計を見ると、約束の七時を過ぎていた。早歩きから小走りで噴水に辿り着いて辺りと見渡す。周りには数人の女性がいたが、ミシェルはすぐわかった。こちらに気付いて大きく手を振る彼女に息を呑む。
煌めく噴水を背にしたミシェルは眩しく美しい。化粧が派手でもなく、目立つ格好をしているわけでもない。ちょっとだけ薄化粧してちょっとだけお洒落な服を着ている。その『ちょっと』が相乗効果を生んでダンスパーティーと同じくらい輝いて見えた。
「待ったか?」
「ほんの少し」
ミシェルは時間に正確だ。だから、「今来たところです」という気遣いより正直に答えてくれた方がフェリックスも気が楽になる。
二人並んで話をしながら歩いていると、ミシェルの目線が少し高いことに気がついた。彼女の足元には真新しい白いパンプス。まだ不慣れで危なげな足取りのミシェルに手を差し伸べたら「ダンスパーティーみたいですね」と照れ笑いをする。
レストランに着くと、店員が窓際のテーブルへ案内した。来店のタイミングが良かったらしく、所々空いていた席はすぐに埋まった。
「なんでも頼んでください」
「お言葉に甘えて」
メニュー表を広げたら確かに値段は高くないが、ミシェルの財布を見越して出来るだけ安い料理を選んで注文する。ミシェルが手を上げてウェイターを呼んだ。
「たいちょーさんはビールとワイン、どちらがいいですか?」
「酒までご馳走してくれるのか?」
「もちろんです」
「気前がいいな」
「たいちょーさんにはいつもお世話になってますから」
「世話になっているのは私の方だと思うが」
「そんなことないです。たいちょーさんがいなかったら、今頃わたしは……」
しんみりした空気を打ち切るように、フェリックスがビールを注文する。ウェイターが去ると、フェリックスはグラスの水を一気に飲み干した。急いで来たので喉が渇いていたのだ。
恋は盲目で、なんでもない仕草にミシェルの胸がときめく。ときめいたのは彼女だけではなく、女性客も同じ感想だったようで熱い視線をフェリックスに注いだ。彼も決してめかしこんでいるわけではない。白いシャツにベージュのスラックスという質素な装いだが、引き締まった体と精悍な顔立ちがそれ以上に魅せる。ミシェルは羨望の相手を独り占めする優越感に浸った。誰が何と言おうとこれは『デート』なのだから。
やがて、テーブルに料理が並んで二人は食べ始めた。こういう店に来ると、ミシェルはレパートリーに加えられないかと堪能しつつ探究する。
「このサラダのドレッシング、教わりたいです」
「お前が初めて作ったのもサラダだったな」
ミシェルがまだ幼い頃、フェリックスのために作ったのがサラダだった。洗った野菜を手でちぎっただけのもので、三つのボウルに山盛りの野菜をひたすら頬張ってまるで青虫になった気分だったのを覚えている。
「そうでしたか?」
ミシェルの一言に、緩みかけた頬が強張った。
「覚えていないのか?」
昨日のことみたいにはっきり思い出す彼とは対照的に、ミシェルはまったく身に覚えがない風だった。




