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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第八章 恋する同居人
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その2

 昨夜のこともあるし、帰りづらくて近くでこちらの様子を窺っているかもしれない。そう思って家の外に出て辺りを見回したが、帰宅途中の会社員がたまに通るだけだった。

 今夜に限って妙に静かで、遠くから聞こえるサイレンの音が不安を掻き立てる。

 事故に遭ったのでなかろうか? 男に絡まれて困っているのではないか?

 最悪の状況ばかり頭を駆け巡り、フェリックスは携帯電話を手にしたが連絡手段がないことに気づいた。こんなことなら、持たせればよかったと今頃になって後悔する。

 

 と、ここで着信音が鳴った。相手はモニカだ。


『もしもし、コールダー隊長ですか?』

「ああ」

『ミシェルなんですけど、今晩うちに泊ります』

「ミシェルと一緒なのか?」


「はい」と返事を聞いて、フェリックスは力が一気に抜けていくのを感じた。どうやら最悪の状況は免れたようだ。


「彼女に代わってくれ」


 しばらく間が空いたが最新の携帯電話は性能が良く、モニカとミシェルのやり取りが筒抜けで


『隊長さんが代わってほしいって言ってるけど』

『だ、だめです!! 代われません!!』

『ちゃんと自分で伝えないと』

『いないと言ってください。お願いです』


 やがて『いないって言ってますけど、どうしますか?』と身も蓋もないモニカに、フェリックスは深くため息をつく。ここまで拒絶されるとさすがに傷ついたが、何はともあれ信頼できる人間と一緒にいるのだから一安心だ。

「よろしく頼む」と伝えて電話を切ると、少しだけほっとして家に戻ることにした。


 リビングのソファに座って缶ビールを飲む。プルタブを開ける音がやけに響いた。それにしてもこの部屋はこんなに広かっただろうか。おまけに、ミシェルもりゼットもいないので不気味なほど静かだ。

 一年前は帰宅してもこんな状態だった。ほとんど寝に帰ってくるような場所だったのに、ミシェルと暮らして家庭的な空間となった。

 独りに慣れていたのに、ミシェルがいなくなったらと不安が襲う。彼女の存在がこれほどまでに大きくかけがえのないものだったとは。

 

 

 通話を終えて、モニカはため息交じりにミシェルを見た。犬のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて蹲っている。

 モニカの自宅は店から徒歩数分の1DKのアパートで、二人でなんとか眠れる広さだ。取り敢えず、一人用のテーブルに夕食の準備をする。


「居場所は知らせたからひとまず安心ね」

「すみません」

「わたしは大歓迎よ」


 モニカの手料理を眺めていると、フェリックスが気になった。

 たいちょーさん、ご飯食べたかなあ。

 せめて、一品だけでも作っておけばよかったと後悔が残る。だったら、意地張らないで彼の元へ帰ればいいのではないか。初めての反抗を持て余す。


「要するに、ミシェルは完璧主義なのよ」


 ミシェルの、ナポリタンを口に持っていくフォークが止まった。


「完璧主義……ですか?」

「そう。だから、頑張っちゃうんじゃないかな?」

「わたしは当たり前のことをしているだけです」


 家事もバイトも望んでしたこと。どれ一つ取っても誰かに強用されてはいない。


「喜ぶ顔が見たいから頑張るのも分かるわ。昔のわたしがそうだったもの」

 

 確かに、みんなが「美味しい」と言ってくれるのが嬉しかった。そして、フェリックスがそばにいるのも……。


「ミシェル、隊長さんのこと好き?」


 どんな意味で訊いたのかはわからないが、ミシェルは素直に頷くと頬に熱いものが流れた。

 好きで好きでたまらない。多分出逢った時からずっと……。犬が駄目なら人間になって彼のそばにいたかった。

 フェリックスのために何ができるのか、それが知りたかった。本音が言い合えるリゼットが羨ましかった。なぜなら彼女は人間だから。

 なら、自分もフェリックスと喧嘩して答えが見つかるなら……。だが、結果はこんなにも切ない。


 ミシェルの涙は止まらなかった。フェリックス以外でこんなに泣いたのは初めてだった。モニカは黙って頭を撫でてくれた。獣の耳が現れても気づかない振りをして。


 どのくらい経っただろうか。さんざん泣いたらお腹が空いて食べかけのナポリタンを一気に平らげた。シャワーを借りて、モニカはベッド、ミシェルは床に布団を敷くと眠りにつく。


「ねえ、ミシェル」

「はい」

「気持ちって言葉にしないと伝わらないの。言葉は人間にだけ許された感情表現だけなんだから」

「モニカさん、あの……わたし……」


 ミシェルはあのことが聞きたかったが怖くて言い出せなかった。浴室の鏡に映ったのは犬の耳が生えた姿だった。だから、モニカはこんなことを言うのだろう。また、フェリックス以外の人間に正体を晒してしまったのか。


「灯り、消すよ」とモニカがスタンドに手を伸ばした。


「ミシェルはミシェル、どんな事情を抱えていてもあなたが大好き。隊長さんも同じ気持ちだと思うなあ」


 暗がりから聞こえるモニカの声に、ミシェルは嬉しさで布団の端を握りしめるのだった。


 


 朝起きたフェリックスはリビングへ向かう。


「おはようございます!!」


 と、元気いいミシェルの声はやはり聞こえてこない。彼女が家を出ていったのは夢ではなかった。

 トースターにパンを突っ込み、フライパンで目玉焼きを作る。冷蔵庫から取り出した野菜を適当にちぎり皿に盛った。ミシェルがちゃんと保管しているから鮮度がいい。

 出来上がったささやかな朝食をテーブルに置いて席に着いた。「いただきます」の挨拶も相手がいないので省略。

 一人きりの食事がこんなに味気ないものだったとは。


 出勤するまで行く先々でミシェルを感じる。キッチン、洗面所、玄関……きちんと整理整頓されているが殺風景ではなかった。


 誰もいないが「行ってくる」と言ってみた。もし、ミシェルが帰ってきた時淋しくないように声を残してドアを閉める。



「ミシェルにフラれた?」


 部隊へ行く途中、あの青年に出会った。カスタードクリーム色の髪に琥珀の瞳、忘れた頃に現れる若者はどこかで会っているのに思い出せない。  


「……何の用だ」

「落ち込んでいるんじゃないかって思ってさ」

「私が?」

「ミシェルとケンカしたんでしょ? せっかく自分の意思で新しいことを始めようとしていたのに、君のわがままで台無しにした」

「なぜそんなことがわかる」


 じっと青年を見つめるフェリックスがはっとした。彼の手に握られている野球のサインボールに口角が上がる。


「そうか……、お前も《ミシェル》だったのか」

「ようやく気付いてくれたんだね」


 フェリックスが少年の頃、親戚からもらった野球のサインボールを愛犬ミシェルと投げて遊んでいた。とても有名な選手だったらしく、親から叱られたがミシェルが気に入っていたのでそのまま遊び道具と化していた。

 なぜ死んだはずの愛犬が人間の姿となって、フェリックスの目の前に現れたのか。また非現実的な状況をあっさりと受け入れる。


「道理で会ったことがあるはずだな」

「さすが、驚かないんだね」

「当たり前だ。あのミシェルと暮らしているんだぞ」


 二人の眼差しが懐かしく交じり合う。『ミシェル』と会って問いたいことが山ほどあった。それが聞けたらとどんなに願ったことかと。




 

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