その6
クリスが一番人気のカップケーキセットを注文すると、ミシェルは軽やかな足取りでカウンターへ行った。
クリスは手持ち無沙汰となり店内を見渡すと、奥のテーブルがなにやら賑やかである。どうやらささやかな誕生パーティーをしているようだ。
間もなくミシェルが注文の品を持ってテーブルへ来た。
「お待たせしました」
「ありがとう。向こうのテーブルは誕生パーティーをやっているみたいだね」
ミシェルは首を巡らして後ろの席を見た。
「ええ。ワンちゃんの誕生日なんです」
「へえ!! 犬もするんだ!!」
「大切な家族ですから」
驚くクリスに、ミシェルはにっこり笑って答えた。
「ふうん。ところで、ミシェルちゃんの誕生日っていつ?」
「え?」
クリスにしたら無難な質問のつもりが、ミシェルは大きく目を見開いてとても驚いている顔をしている。
「誕生日……ですか?」
「俺はもう過ぎたんだけど、ミシェルちゃんがまだならパーティーをやろうよ」
「えっと……」
フェリックスとの関係は伯父と姪。それしか決めていなかったので、ミシェルは大いに焦った。
たいちょーさん、どうしよう!!
ミシェルが狼狽えていると、「オーダーお願いします」とモニカの声が聞こえた。まさに天の助けとばかりに、ミシェルは頭を下げると逃げるようにクリスの席を離れていく。
「どうしたの? あの客と揉めた?」
カウンターからミシェル達の様子を窺っていたモニカが心配そうに尋ねた。
「あの方はたいちょーさんのお友達です」
「へえ、コールダー隊長って友達いたんだ」
さらりと失礼なことを言ったが、気が動転しているミシェルは気付かない。
それからクリスは三十分くらいで帰っていったが、誕生日の話題はしなかった。
この夜、ミシェルはフェリックスが帰宅するとすぐに彼の部屋へ連れ込んだ。ミシェルにしてはかなり強引だったので、また何か起きたのかと身構える。
「今度はなんだ」
「クリスさんに誕生日を聞かれました」
フェリックスの頭には二つの疑問が湧く。一つは誕生日はいつにしようか、そしてもう一つはなぜ部下と一緒だったのか。
「なぜオレガレン少尉が?」
「お店に来たんです。犬も一緒でした」
「犬? 飼っているとは聞いていないが」
「お友達から借りてきたそうです」
クリスは確か、軍用犬に近づこうともしないほど犬が苦手だった。それなのに犬を借りてまでミシェルに会いにくるということは、考えられるのはただ一つ……。
腕組みをして黙ってしまったので、事態が深刻なのかとミシェルは不安げな表情だ。問題はクリスの下心ではない。
「それで、なんて答えた?」
ミシェルが首を横に振った。
「ほかには?」
「クリスさんが誕生パーティーをやろうって言ってました」
いかにも若いクリスが考えそうなことだ。ふっとフェリックスの胸に不安がよぎる。
「まさか二人っきりじゃないだろうな!?」
「そこまでは……。あの、誕生日はいつにすれば……」
なかなか本題に進まないのでミシェルが恐る恐る尋ねると、彼は咳払いをして散らばった思考を元に戻した。
ミシェルは野良犬なので生まれた日はわからない。記念日があれば一番とってり早いのだが
あの日があったか。
フェリックスの口元が綻んだ。
「お前がうちに来た日にすればいい」
「たいちょーさんの家に来た日?」
ミシェルの喜ぶ姿を想像していたのだが、どうも反応が鈍い。彼の表情がさっと曇った。彼女は、成長の節目にいたマリーやアランまで忘れてしまっている。
当時は月日の観念がなかったから正確な日にちは覚えていないかもしれないが、せめて季節だけでもいいから覚えていてほしい。フェリックスは祈る思いで彼女の言葉を待った。
「数字の『1』がいっぱい並んでいましたよね。えっとあれは……」
ああ、覚えていてくれたか。
フェリックスは深く安堵した。
「11月11日だ」
「そうでした!! ちょっぴり風が冷たくて」
「あの頃は秋の終わりだったな」
これをきっかけに、二人はベッドに腰掛けて出会った頃の話を始めた。シャワーで溺れかけたこと、踏み台に乗って料理を作ったこと。
「踏み台はたいちょーさんが作ってくれたんですよね」
「ああ」
「今でも重宝しているんですよ」
『重宝』だなんてどこで覚えたんだか。
フェリックスが感慨深く見つめていると、笑顔で語るミシェルと幼い頃の彼女を重なった。自然と手がミシェルの頭に伸びた。いつまでも撫でているので、ミシェルの方が照れてしまった。
「あの、たいちょーさん?」
返事の代わりにダークグリーンの瞳を細める。
「どうしたんですか? お仕事で何かあったんですか?」
「いや。なぜ?」
「その……、なんかいつもと……」
いつもと違うと言ってしまえば、この手が離れていくかもしれない。それが怖くてミシェルは口を噤んで甘んじる。
整髪料の爽やかな香りとそばで感じる体温に、ミシェルの鼓動が速くなった時だった。撫でる手が止まったので、ミシェルが上目遣いで見やるとフェリックスが呟いた。
「耳が出ている」
最初はなんのことかわからなかったが、慌てて頭をまさぐり悲鳴を上げる。
「あーっ!!」
久々に姿を現した犬耳に、ミシェルの甘い気分は一瞬にして吹き飛んだ。
悪いことは重なるもので、ドアをノックする音がした。
「フェリ様、帰ってきているの?」
このタイミングで来るリゼットにもはや恐怖すら感じる。あらゆる事態を想定して訓練を積んできた彼でもこの状況は危機だ。
侵入を拒む間も与えず、ドアのノブが回る。
「あら、お帰りなさい」
「誰が入っていいと言った!?」
「ちゃんとノックしたわよ」
リゼットは頬を膨らませて部屋を見回した。
「ミシェルは?」
「さっき入れ違いに出ていった」
「どこへ行ったの?」
「買い物じゃないのか?」
「ふうん」
「とにかく、着替えるから出ていってくれ」
「意外と恥ずかしがり屋なのね。わたしに構わずどうぞ」
本当に着替えればリゼットも逃げ出すだろうが、フェリックスにそうできない事情があった。実はクローゼットの中にミシェルが隠れているのだ。随分ベタな隠れ場所だが仕方がない。
「なんならわたしも脱ぐ?」
「……冗談でも言うな」
「いいじゃない、どうせ夫婦になるんだから。ミシェルが帰ってこないうちに、ね?」
何が「ね?」だ!! ミシェルはそこにいるんだぞ!!
フェリックスの視線の先には、このやりとりをドキドキしながら聞いているミシェルがいた。暗闇の中様子が分からず妄想だけが膨らんでいく。
え? え? わたしがいない間になにをするんですか!? リゼットさんの言ってることがよくわかんない!!
ミシェルは必死になって聞き耳、ではなく犬耳を立てた。
彼が部屋を出ればいいのだが、ミシェルを置いたままリゼットを一人にしてはおけない。
本気なのか、リゼットがブラウスのボタンを外していく。白い肌が見え隠れするさまにフェリックスも目が離せないでいた。
なんだかんだ言って、フェリ様も男なのね。
フェリックスは操られるようにほくそ笑むリゼットの腰を抱いた。




