その5
《あの二人、どう思う?》
《本当に姪なのかしら?》
リゼットの言葉が、呪文のようにクリスの耳から離れなかった。もし、これが彼女以外の人間に言われたならここまで気にしなかっただろう。だが、相手はミシェル達と一緒に生活しているリゼットだ。女の勘は侮れない。
改めて思い起こせば、ミシェルの身の上どころか誕生日すら知らない。出身は?家族構成は?今まで気にも留めなかったことが次々と疑問となって湧いてくる。
二人の関係は親戚というより親子に近かった。フェリックスは普段の沈着冷静な隊長とは違って、年頃の娘を心配する父親みたいに彼女の言動に頭を悩ます。バイトで大騒ぎするくらいだから、彼氏を自宅に呼んだ日には大ごとだ。今のところミシェルもその気がないので平穏な日々が続いているが。
俺がミシェルちゃんと付き合うことになったら、隊長は激怒するだろうなあ。生きて帰れるかな。
想像しただけで身の毛もよだつ。
フェリックスは隣人の視線をひしひしと横顔に感じた。クリスが朝っぱらから神妙な顔つきをこちらに向けているのだ。
「おい、隊長付き。女がご無沙汰だからって隊長殿に惚れるなよ」
マシューに冷やかされてフェリックスの迷惑そうな視線に、クリスは大きくかぶらを振った。
「隊長には一切興味ありませんのでご心配なく」
興味を持てと強要しないが、そんなに目一杯否定しなくてもいいのではないか。ミシェルのことで気持ちが揺れているせいか、舞い上がった部下の失言は思いのほかフェリックスの胸に突き刺した。
「隊長殿、そろそろご婦人方を出迎える時間じゃないですかね?」
追い打ちをかけるマシューの声に、フェリックスは腕時計を見た。これから部隊を視察する民間団体の出迎えなくてはならないのだ。定期的に行われるこの行事は、女性の参加者が多いので軍のイメージアップに欠かせない。
だからといって警衛隊長自ら出向くことではないが、どうせならマシューみたいないかつい軍人より、容姿が整った彼の方が先方も喜ぶと言うものだ。これも命令なので仕方がない。
本来なら人当たりがよいクリスが適任だが、前回熟女から熱烈的な歓迎を受けて以来トラウマとなっている。だから、この話が出た時は真っ青な顔で眩暈を起こすほど首を左右に振ったくらいだ。
「お役に立てず申し訳ありません」
フェリックスは、項垂れるクリスの肩を「気にするな」と軽く叩いた。
「代われるものなら俺が代わりたいくらいだ。いやあ、残念」
その気もないないくせに、マシューが形ばかり残念がる。
これがミシェルちゃんだったら誰にも譲らないのになあ。
クリスは、過去の苦い経験をミシェルの笑顔に置き換えて克服を試みたが失敗に終わった。
半日、熟女達のエスコートで気疲れしたフェリックスがようやく自宅へ帰って来た。
「お帰りなさい!!」
ミシェルはコンロを使っている時以外、どんなに忙しくても彼の出迎えには飛んでくる。だが、身も心も癒されるはずの笑顔が一気にしかめっ面に変わった。
「ただいま」
「……たいちょーさん、女の人と会ってたんですか?」
ミシェルの鼻は人間よりよく利く。そうでなくても、あれだけ大勢の香水や厚化粧の女性に囲まれて匂わないはずかない。
「任務だ、仕方ないだろう」
まるで浮気がバレた夫のように、後ろめたい気持ちになるのは何故だろうか。
「ふうん。警衛隊長ってホストまがいなこともするんだ」
リゼットが、金髪の毛先を指で巻きつけながらやってきた。彼女に忌々しい視線を投げてミシェルに鞄を渡す。
「食事の支度してきます」
キッチンへ行くミシェルを目で追っていると、リゼットに袖を引っ張られた。
「隊長付きの人、何か言ってなかった?」
「いや。何かあったのか?」
リゼットの口からクリスの話題が出たので、フェリックスは怪訝な顔をした。この二人はあまり仲が良くないと認識していたからである。リゼットは指を顎に当てて考える仕草をすると「なんでもないわ」と笑顔が不気味に思えた。
「そういえば、様子がおかしかったな」
フェリックスが鎌を掛けてみたところで、したたかなリゼットが応じるわけもなく「そう」の一言であっさり流される。フェリックスは釈然としないまま、着替えに自室へ戻った。
そして、彼の反応にリゼットはほくそ笑む。
フェリックスとミシェルには重大な秘密がある-
これが二人のそばで観察してきたリゼットの結論だが、より決定づけるためには証拠がない。そこでクリスをけしかけてみたのだ。
フェリックスは仏頂面で感情が読みづらいが、クリスは喜怒哀楽がはっきりしてわかりやすい。おまけに、ミシェルに好意を抱いているので必ず行動に移すと睨んでいた。フェリックスが探りを入れてきたのも想定内である。
あとはクリスがミシェルを捕まえておけば、リゼットもゆっくりフェリックスを攻略できるというものだ。
頼んだわよ、隊長付き。
少々頼りないが、今はクリスの働きにかかっているのだ。
その隊長付きは、リゼットの思惑通りの動きを今日もしている。
本日休日のクリスは、ミシェルのバイト先である『Dole cane』の近くまで来ていた。
クリスはどちらかというと猫派で、犬は幼い頃に追い掛けられて苦手な部類に入る。そんな彼がわざわざ友人から犬まで借りて、ここへ来たのにはやはりミシェルに会いたい一心だった。
いざ勇気を振り絞って店内へ入ると、チャイムの音でミシェルが振り返った。エプロン姿の彼女にクリスの胸が高鳴る。
「あ、クリスさん。こんにちは……じゃなくていらっしゃい」
彼が連れてきた犬がミシェルの足元にじゃれついた。
「クリスさんって犬を飼ってたんですか?」
「これは友達の。あいつ、ここが気になるけど恥ずかしくていけないって言うからさ」
などと、自分の事情をすり替えて説明した。
「そうなんですね。ご注文が決まったら呼んで下さい」
ミシェルはメニュー表をテーブルへ置いて一礼すると、呼ばれた席へ小走りで向かう。それからのミシェルは忙しそうに店を駆け回り、一つに結んだ髪が背中で揺れるさまをクリスは恍惚の表情で見守った。
ミシェルちゃんのエプロン姿、可愛いなあ。結婚したら毎朝拝めるんだろうなあ。ん? 待てよ。ということは、隊長も毎朝見てるってことか? ………なんか無性にむかつくのはなんでだ!?
頬杖をついてやり場のない怒りを鎮めようと店内を見渡すと、目が合ったミシェルがニコッと笑ってこちらへやってきた。
「お決まりですか?」
「え? えっと、何かお勧めある?」
「モニカさんのカップケーキが絶品です!! あ、でも男の人は甘い物は苦手ですよね?」
「俺、好きだよ」
「よかった。たいちょーさんはあまり好きじゃないので」
「そうだったね」
ここでまたクリスはムッとする。
あの顔でスイーツ好きだったら笑えたのに、どこまで予想を裏切らない完璧なお方だ。
尚も、嬉しそうな顔でフェリックスの話をするので、遮るように注文をする。すると仕事中だったのを思い出したミシェルは、「ごめんなさい」と自分の頭をぽかりと叩いた。
あまりにも可愛らしい仕草に、もやもやした気持ちが帳消しになった。




