その4
アランを知らないと言ったミシェルが、わだかまりとなってフェリックスの胸に残った。
そういえばこの前も、市場で久しぶりにマリーとすれ違っても見知らぬ顔だった。マリーとは、ミシェルが初めて友達になった人間の女の子である。出会った当時は十歳くらいで、マリーを守るため大型犬と乱闘した思い出深い人物だ。
たまに街の中でマリーを見掛けるが、彼女がミシェルに気づくことはなかった。マリーに限らずマシューやクリスなど、ミシェルに関わったすべての人間が大人になるまでの彼女を覚えていない。マリーの記憶がないのは頷けるが、ミシェルの方も忘れてしまったかのように素通りしてしまう。
この時はミシェルの意思を汲んで敢えて口にしなかったが、やはり胸に引っ掛かるものがあった。
そんなことを考えて帰宅していたら、遠くからやってくる集団が目に入った。賑やかに談笑する女性達のほとんどが、胸元が開いた薄地の上着に膝上丈のスカートをひらつかせている。今どきの服装は目のやり場に困るほど軽装で露出が多い一方、同年代のミシェルは控え目の格好だ。
最近はお洒落好きなリゼットの影響か、少しばかり華やかになった。店員が勧める服をはにかんで試着するミシェルは今も昔も可愛い。
「フェリ様―――♡」
甘えた甲高い声で、フェリックスは回想から我に返った。声の主は数人の女友達を随えたリゼットだった。通行人から注目を浴びた彼は、気恥ずかしさでリゼットが男だったら殴りたいと本気で思ったくらいである。
「待ちきれなくて迎えに来てくれたの?」
見事な身のこなしでフェリックスの腕に自身のそれを絡ませると、女友達から黄色い悲鳴が上がった。
「この方が婚約者のコールダー隊長?」
「そうよ」
「へえ、噂通り素敵ね」
「でしょ?」
羨望の中心にいるリゼットはドヤ顔である。噂通りというが、一体どんな噂をしているのかとても不安だ。フェリックスは女友達に速やかに訂正を加える。
「私は婚約者ではない」
「ええっ!? そうなんですか!?」
女友達がにわかにざわめき始めたので、リゼットは「ごきげんよう」と言い捨てて強引にフェリックスの腕を取るとこの場を離れた。
彼女等の視界から消えたのを確かめて、リゼットは目を吊り上げて詰った。
「なんで、あんなことを言うのよ!? 往生際が悪い人ね」
「事実を述べたまでだ」
「わたしの立場も考えてくれないかしら」
「なら、私の立場はどうなる」
「だから、わたしとさっさと結婚すればいいじゃない」
「……まったく話にならん」
あまりにも自己中心的な考えに、フェリックスは呆れてものが言えない。と、ここであることを思い出した。
「ミシェルがバイトをしているのは知っていたか?」
うすうす感づいていたリゼットの返事は「そうなの? 知らなかったわ」
リゼットは驚くべきことに一切動揺せず、フェリックスを真っすぐ見据える度胸は恐れ入る。
知っていたくせに、これだから女は怖い。
女の詐欺師よりこそ泥の男の方がまだ扱いやすいというものだ。リゼットは置いといて、フェリックスが言いたいのは別の話である。
「バイトで忙しい時は、できる範囲でいいから手伝ってやれ」
「ほら、またそうやってミシェルばかり可愛がるんだから」
リゼットは頬を膨らませて彼に詰め寄った。
「まるで恋人みたいじゃない。本当に姪なのか怪しいものだわ」
フェリックスの心臓がドキッと音を立てたが、勘の鋭いリゼットに隙を見せたらとことん追及される。彼こそ動揺を無表情で隠し通した。
そんな二人の後ろ姿を切なく見つめる者がいた。買い物袋を抱えたミシェルである。夕方のタイムサービスの帰り道、フェリックスを見掛けて声を掛けようと思ったら、リゼットの姿にタイミングを失いそのままあとをついてきてしまった。
和やかな雰囲気ではないが、二人の会話はよく続く。機関銃トークのリゼットに対抗するには、自然と口数が多くなるらしい。彼女は気持ちと感情が直結していて、恋心をフェリックスに押しつけるものだからよく言い合いに発展する。
ミシェルとフェリックスは喧嘩をしたことがない。もちろん、ケンカになる要素がないので当然なのだが羨ましいとミシェルは感じた。
こんな時、自分が本当の人間だったらとつくづく思う。そうしたら、もっと素直に彼に想いを告げられたかもしれない。
人ごみの中、目を離せば見失ってしまう二人の距離がもどかしい。
物思いに更けていると肩を叩かれた。振り向くと、私服のクリスが笑顔で立っている。
「クリスさん、こんにちは」
「随分買い込んだね。持ってあげる」
クリスが受け取った買い物袋の中を覗くと、色とりどりの野菜がぎっしり詰まっている。
「夕方のタイムサービスに行ってきました。今日も大収穫です」
ミシェルは、暗い気持ちを吹き飛ばすように精一杯笑顔を作った。
ああ、今日もミシェルちゃん可愛いなあ。
そう思った途端ぞくっとしたクリスは、だらしない顔が一気に引き締まり辺りを見回した。ミシェルを想うと必ずあの存在が脳裏をよぎる、一種の条件反射みたいなものである。
「あれ、隊長と一緒じゃないの?」
「たいちょーさんは……」と言い終わらないうちに、クリスは黒髪の上官をすぐ見つけて大声で呼んだ。
「隊長!!」
聞き覚えのある声にフェリックスが振り返った。部下のクリスと小さく笑ったミシェルの組み合わせに、フェリックスはどうも気に食わない今日この頃である。
最初、クリスは隊長しか目に入らなかったが、隣にいたご機嫌斜めのリゼットにぎょっとした。
「えっと……、リゼットもこんにちは」
「ついでにどうもありがとう」
取ってつけた挨拶に、リゼットはますますむくれた。
「二人でデートですか?」
何気なしに言った言葉が地雷を踏んだらしく、喜んでいるのはリゼットだけでクリスは上官に凄む目で睨まれた。
「あなた、意外と空気読むのね」
「て、訂正した方がよさそうですね」
「しなくて結構。事実なんだから」
りゼットがミシェルの反応を窺いながらそう言った。案の定、ミシェルは戸惑った表情でリゼットとフェリックスを交互に見ている。
「帰り道に偶然会っただけだ。ミシェル、帰るぞ」
憮然としたフェリックスは、クリスから「ご苦労」と買い物袋を取り上げるとミシェルを従えて帰ってしまった。
「ねえ、あの二人どう思う?」
クリスは呆然と二人を見送っていると、視線を残したままリゼットが訊いた。
「どうって……どういうこと?」
「あなた、鈍いのか鋭いのかどっちなの!?」
合点がいかないクリスに、リゼットはしかめっ面で腰に手を当てる。
「ただの親戚にしては仲がよすぎない?」
「そうかな。俺も姪と仲いいけど?」
「わたしの所は仲悪いのよ!!」
「まさか変なことを想像しているんじゃないだろうな?」
コールダー隊長に限って禁断の恋などあり得ない。それこそ少女まんがの読み過ぎだとクリスはまったく相手にしないが、リゼットは疑いを払拭できずにいた。なぜなら、色恋沙汰で彼女の勘が外れたことがないからだ。
狙った獲物は逃がさない、リゼットが軍人だったらさぞ功績を上げて出世しただろう。




