その5
翌日、朝礼をするべく待機室へ来たフェリックスに、部下達の熱視線が一斉に集まった。隊長の立場では当然なのだが今朝は好奇の色も含まれている。
その理由はあの大男とのやりとりで明らかになった。
「我らが隊長殿も人の子ってことか」
大きな顎を撫で回しながらにやけるマシューに、フェリックスは鋭いダークグリーンの視線を投げる。
「なんのことだ」
「昨日、隠し子とパフェを食ってたんだって?」
「隠し子?」
「とぼけても無駄だぜ。十歳くらいの可愛いお嬢ちゃんらしいじゃねえか」
階級差を飛び越えてタメ口の彼に、周りはいつもハラハラするが両人は涼しい顔だ。
ああ、ミシェルのことか。
腕を組んでしばらく考えてようやく合点がいった。あれだけの人混みで、知り合いの一人や二人はいるだろうがまさか本当にいたとは。
「私の隠し子ではないし、パフェを食べたのも私ではない」
「問題はパフェじゃなくてお嬢ちゃんの方だ。どうも、最近早く帰ると思ったら娘がいたんだな?」
「だから私に子はいない」
「じゃあ、どなたなんですか?」とクリスの問いにはたと困った。歳の離れた妹? 拾ってきた? いずれもすぐばれそうな嘘である。苦しまぎれに出てきたのが
「あれは……姪だ」
「姪?」
「しばらく預かることになった。何か問題でも?」
「うん? いや」
大層なスキャンダルを期待していたのか拍子抜けだ。
意外と勘が鋭いマシューだけに、今夜あたりミシェルと口裏を合わせておかねばと思うフェリックスである。
いつものように家でご主人の帰りを待つミシェルだが、ピンと立った耳が最新のセキュリティよりいち早く侵入者の気配を捉えた。
そっとモニターを窺うと、庭をうろついている大男と若者二人。
実はこの二人、クリスとマシューだった。真相を確かめようとフェリックスに残業を押しつけてその隙に潜入したのである。
「マズいですよ。帰りましょう」
「大丈夫って。この通り手土産も持ってきたんだ」
酒数本で不法侵入がチャラになるとは到底思えない。
「隊長に見つかったら殺されますよ」
「殺られる前にやり返すまでさ」
「そんな無茶苦茶な……」
階級では上なのに力と年齢に勝てず、クリスは渋々お供して来たというわけだ。
ピンポーン
「あの、決して怪しい者じゃありません。むしろ隊長を尊敬していて、あの方のためならたとえ火の中水の中……」
すると、ギギッと少しだけドアが開いた。用心のためチェーンのわずかな隙間から長い栗毛の美少女が顔を覗かせた。
「お嬢ちゃん、ここを開けておくれ」
「ご主人様と同じ匂い」
「そうそう。俺達はご主人様と同じ……、ご主人様だあ?」
マシューの素っ頓狂な声はクリスの鼓膜を直撃した。
「おい、聞いたか!?」
ひどい耳鳴りで聴覚を遮断された彼の襟ぐりを掴んで激しく揺する。
「貴様等、そこで何をしている!?」
鋭い声が三人をぎくりとさせた。特にクリスの顔は血の気がない。殺気立った形相で銃を構えるフェリックスに、二人は両手を高々と上げてゆっくり振り向いた。
「ご主人様、この人達は悪い人ではありません」
必死に訴える彼女に向かって叫ぶ。
「家に入れ、ミシェル!!」
「俺だ!! マシュー・モーガンとそのお供だ」
「モーガン軍曹? 後ろにいるのはオルガレン少尉か?」
外灯の下までやってきた部下の姿に、フェリックスは銃を下ろした。
「なぜここへ?」
「こいつが行きたいってうるさいものだから」
「モーガン軍曹が無理矢理連れて来たんじゃないですか!?」
マシューの強引さは承知の上なので、涙目の部下を深く追及はせずミシェルの所へ歩いていく。
「ドアを開けるなと言ってだろう!?」
「ご主人様と同じ匂いがしたので悪い人々ではないと思いました」
「同じ匂い? お前さんも風呂に入っていねえのか」
三人は顔を顰めてマシューから遠ざかった。
「俺と隊長を一緒にしないで下さい!!」
「たい……ちょー?」
ミシェルの素朴な疑問にクリスが答える。
「隊長というのは隊で一番偉い人なんだよ」
「じゃあ、ご主人様は一番偉いんですか!?」
「そうだよ。コールダー大尉は偉いんだよ」
「たいちょーさん、偉い人!!」
「隊長、偉い人!!」
フェリックスのファン二人は大盛り上がりだが、そばで聞いている本人は恥ずかしくてたまらない。
「……分かったから静かにしろ」
「まったく近所迷惑な連中だ」
ガハハと大声で笑うマシューこそいい近所迷惑だ。このままでは本当に苦情が殺到しそうなので、仕方なく自宅へ招き入れる羽目となった。
「どうだ、クリス!! 隊長クラスになると住む家も違うだろ?」
マシューは、まるで我が家のようにリビングのソファーにどっかり座った。
「お嬢ちゃん、グラスはあるかい?」
「はい。幾つ用意すればいいでしょうか?」
「えっと、四つかな。ミシェルちゃんのジュースも買ってきたよ」
すっかり仲良くなったミシェルと部下達が宴の準備を始める。フェリックスはというと、水色のシャツにジーンズというラフな格好に着替えると仏頂面で眺めていた。
「それにしても『ご主人様』はちとマズいんじゃねえのか?」
今日一番まともな台詞がマシューの口から飛び出したので一同は慄く。
「やっぱりマズいですか?」
「だったら『隊長』はどうかな?」
三つのグラスとジュースの入ったコップを持ってきたクリスが提案した。
家に帰ってまで肩書で呼ばれては気が休まらない、そう言おうとした時にマシューがポンと手を打つ。
「『くそったれコールダー』ってのはどうだ?」
「「却下!!」」
主従コンビの声が綺麗にハモった。
「やっぱり、クリスさんの『隊長』さんにします」
おどおどと同意を求める彼女に渋々頷く。これ以上長引くとろくな結果にならないのは目に見えているからだ。
結局、突撃訪問の二人は酔い潰れてフェリックスの家に泊まることになった。
「お二人はどうしましょうか?」
「その辺に転がしておけ」
「風邪、引きませんか?」
「そんな柔な鍛え方はしていない」
せめて毛布だけでも、と隣の部屋から運んでくるミシェルを手伝い、リビングで寝転がる二人に毛布を掛けた。
「お前も寝なさい」
「はい。今夜はとても楽しかったですね」
「楽しかった? もし、彼等が強盗だったら殺され兼ねんぞ」
「あれほど戸締りには用心しろと注意したのに」ときつく咎める彼にミシェルは返す言葉がない。
「分かったらもう寝なさい」
「……はい」
背中を丸めて自分の部屋に戻るミシェルを見届けるとため息をついた。
「なかなかの父親ぶりだな。感心感心」
寝ていたはずのマシューがむくっと上体を起こす。
「起きていたのか」
「俺様があれしきの酒で潰れると思うか?」
酒豪で名高いマシューにしては早い就寝だと思っていたが、案の定足りていなかったらしい。
「可愛いお嬢ちゃんだ。訳アリか?」
特殊部隊から腐れ縁の彼には誤魔化せなかったが、犬とは言えず「そのうち話す」と言葉を濁したに留まった。
そんな彼の心情を察したのか、マシューがグラスを目の前に差し出す。
「お前さんもまだ宵の口だろう? これからが本番といこうじゃないか」
傍若無人で武骨者、だが人一倍配慮深い悪友と共に酒を酌み交わして夜が更けていく。