その2
フェリックスが一日ぶりにわが家へ帰ると、そこにはマシュー、リゼットと騒々しい面子が揃っていた。
「なぜ、お前達がここにいる?」
「わたしは婚約者だもの。当然ですわ」
「俺はミシェルに招待されたぞ」
文句の一つでも言おうとしたが、隣にミシェルが来たので飲みこんだ。以前、部下達と食事をして「みんなで食べたら楽しかった」と彼女が嬉しそうだったのを思い出したのだ。
リゼットのことで気苦労も絶えないだろうから、ミシェルのささやかなわがままを聞いてやろう。
「オレガレン少尉も呼んでやれ」
「そうだな。仲間外れにしたらあとが面倒臭い」
マシューは、胸ポケットから携帯電話を取り出して操作する。
「お疲れのところ、ごめんなさい」
ミシェルが謝ると、フェリックスは頭を撫でた。
「隊長様、わたしには?」
なに言ってるんだ!? そんな目で彼女を見下ろした。
「その呼び方はやめろ」
部隊でも家でも「隊長」の肩書きでは心休まる暇がない。
「ミシェルだって呼んでるわ」
思わぬ反撃に、フェリックスが視線を移すとミシェルは悲しげな表情だ。
「『たいちょーさん』って呼ばれるのは嫌だったんですね」
「別に嫌ではない」
「本当のことをおっしゃって下さい。わたしは気にしませんから」
「だから……」
「わたしはダメで、どうしてミシェルはいいのよ!?」
リゼットが口を挟んだせいで、事態は余計ややこしい方向へ流れる。
「少し黙ってろ。今はミシェルと話している」
はい、そうですかと大人しく引き下がるお嬢様ではなかった。大きな目を吊り上げてフェリックスの腕に掴みかかる。
「このオジサンだって『隊長殿』とか言ってるじゃない!!」
とんだ流れ弾に、マシューが肩を竦めた。
「こいつは俺の隊長だから仕方ないだろう」
上官を『こいつ』呼ばわれする時点で説得力がない。それはリゼットに充分伝わったらしく見事にスルーされた。
「だったら、なんて呼べばいいの!? ハニー? ダーリン?」
「どっちも却下だ!!」
フェリックスが吐き捨てると、ミシェルがいつもの癖で、「たいちょーさん」と言いかけて口をつぐんだ。
「お前は今まで通りでいい」
「ねえねえ、わたしは!?」
リゼットの甲高い声が耳元で響き、フェリックスは顔をしかめる。
これだから、女は面倒だ。
過去の交際相手にこんなタイプがいたのを思い出しげんなりした。部下に協力要請の目配せをしたが、首を左右に振って拒否される。
「リゼットさんに申し訳ないので、やっぱりわたしも……」
「そうよ。ここは平等に扱うべきよ!!」
家事も全部ミシェルに押しつけて、なにが平等だ。
ビシッと言えばリゼットも考えを改めるるかもしれないが、またミシェルが変に気を回すのは分かりきっている。
人がいいのか、いや犬か。などと、暢気に思っていると、リゼットが爆弾を落とした。
「フェリ様♡」
「ぶはっ」
華美な呼び名に、マシューがたまらず吹き出した。
「まるで王子様みてえだな、コールダー隊長。ぶははは」
随分がらの悪い王子様だと、笑いが止まらない。憮然とするフェリックスには悪いが、ミシェルはちょっびり羨ましかった。
フェリ様か……、いいなあ。わたしも呼んでみたいなあ。
「ダーリンかフェリ様、どちらにする?」
どちらもご免被りたいフェリックスはますます不機嫌だが、リゼットはそんな彼にお構いなしで一歩も引かない。
不穏な空気がリビングに漂いかけたその時、不意にカーテンが風で大きく靡いた。窓際にいたマシューの顔面を直撃して、これが思いの外痛かった。
「皆さん、お待たせしました!!」
クリスがリビングに躍り出たが、殺伐とした雰囲気ににこやかな笑顔が引きつる。突然庭から登場するサプライズは見事すべり、三人の冷ややかな視線を一斉に浴びた。
「や、やだなあ。皆さん怖い顔して、どうしたんですか?」
クリスがたじろいでいると、リゼットと目が合う。
「ねえ、そこの人」
「俺?」
「ほかに誰がいるのよ!! 聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「フェリ様とダーリン、?あなたはどちらがよくて?」
「は?」
状況のわからないクリスが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「いい加減にしろ」
怒鳴る上官とにじり寄る女性、答え次第でどちらも呪いそうな目力である。
神様、俺なにか悪いことしましたか? みんなに楽しんでもらおうと思っただけなのに……。
クリスが返事に困っていると、ミシェルが動いた。
「リゼットさん、一緒にお料理作りましょう」と、彼女の腕を取りキッチンへ引っ張る。
「ちょっと!! 今、大事な……」
「たいちょーさん、お腹が空いていると思います。リゼットさんの手料理を食べれば、機嫌が良くなるかも知れませんよ」
こそっと耳打ちすると、リゼットの表情が緩んだ。
「一理あるわね。なにをすればいいの?」
「じゃあ、野菜を洗ってもらえますか?」
「わかったわ」
ミシェルの機転で二人がキッチンに入ると、ようやくリビングに平和が訪れる。それを見届けて、マシューがソファーに深く体を預けた。
「やれやれ。自分で蒔いた種をミシェルに刈らせるなよ」
「私は蒔いていない」
フェリックスとマシューの会話に、クリスは首を傾げるばかりだ。
隊長が花壇に種を蒔いたけど、ミシェルちゃんが間違って摘んでしまった……ってことでいいのか?
まったくの勘違いである。
いろいろと騒動はあったが、五人は無事食事にありつけた。料理の最終確認はミシェルがしたので間違いはない。
マシューとクリスが帰る前に食器などを片付けてくれたので、ミシェルはソファーでゆっくり寛げた。
フェリックスも隣に座りコーヒーを飲む。シャワーを浴びたばかりの彼は、濡れた黒髪は艶やかで体からボディソープのいい匂いがした。
リゼットがシャワーを浴びている、つかの間の二人きりの時間。
「寂しくなかったか?」と訊かれて、ミシェルは頷く。
「リゼットさんと一緒だったから」
「あれでも役に立つんだな」
意地悪な言い方に、彼女が苦笑した。
「リゼットさんに優しくしてあげてください。たいちょーさんのために頑張っているんですから」
「そんな風に見えんがな」
またカップに口をつける。窓を開けているので、爽やかな夜風が心地いい。たった一晩なのに、一週間ぶりに会った感覚だ。
「ほかに変わったことは?」
ミシェルの胸がドクンと脈打つ。リゼットの父親から貰った礼金をはやはり隠してはおけない。
「昨日、リゼットさんからお金を受け取りました」
「父親からの礼金か?」
「はい。生活費として半分だけ頂くことにしました。もちろん、残ったらお返しするつもりです」
断った自分とリゼットの板挟みで、従順な彼女はさぞ悩んだに違いない。だから、「そうか」と一言だけで責めははしなかった。
横にいるミシェルをしみじみ見つめる。
クッションを胸に抱いて蹲る姿は幼かった頃と少し変わった。例えば、長くなった栗色の髪とか大人っぽい横顔。
彼の視線を目の端で感じたミシェルは身動きできずにいた。口から飛び出しそうな心臓をどうにか抑えたが、その代り犬耳が頭から飛び出てしまう。
そしてパタパタとこちらへ近づくリゼットの足音に、ミシェルは大いに焦った。




