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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第六章 大いに悩む同居人
57/103

その1

 買い物を済ませたミシェルの足取りは軽い。

 たいちょーさんが帰ってくる!!

 それだけで憂鬱な雨も楽しくなり、地面を跳ねるしぶきさえ踊っているようだ。

 

 帰路につく道すがら、ミシェルは今晩のおかずに想いを馳せる。夜通しの勤務だから、あっさりした料理がいいのか、それともスタミナがつくがっつり系にしようか。彼女が作る食事はなんでも美味いと残らず食べてくれる黒髪の彼。

 マシューが「最近、幸せ太りじゃねえか」と冷やかしたが、フェリックスに限ってそれはない。なぜ断定できるかというと、時々上半身裸でリビングをうろつく姿で確認済みだ。リゼットが居候してから身の危険を感じるのか、今はちゃんと服を着て現れる。


 マシューに比べれば線が細いが、筋肉質で無駄な肉がない。以前筋トレをする彼に、隊長だからそんなに鍛えなくてもいいのではないかと訊いてみたことがあった。すると、フェリックスは目を細めて「昔の癖だ」と小さく笑った。なんだか寂しげだったので印象に残っている。


 時々、フェリックスは遠い目をすることがあった。仏頂面だから分かりづらいが暗い表情をする。彼もまた何かしら事情を抱えているのだろうか。

 話を聞いてやりたいが、人間の複雑な構図を理解するにはミシェルが過ごした時間はまだ浅い。


「人の過去より自分の将来を心配したら?」


 若い男の声に顔を向けると、クリーム色の金髪が赤い傘から覗いている。そして、あの青年だと分かると、ミシェルは小さく笑って言葉を交わす。


「今はたいちょーさんのことだけを考えたいんです」

「どんな結末が待っていても?」


 ミシェルがこくりと頷いた。青年は琥珀色の目を細めて彼女を見ている。


「あなたのお陰でたいちょーさんと暮らせました。とても感謝してます」

「褒めても状況は変わらないよ?」


 少し意地悪な言い方に、ミシェルは切なく微笑んだ。


「それはそうと、ライバルが出来たようだね」

「リゼットさん?」

「彼女もフェリックスが好きなんだろ?」

「『こんやくしゃ』だそうです」

「人間相手じゃ勝ち目ないか」


 相手が人間で可愛い女性なら、犬のミシェルに勝ち目はない。そんなことは百も承知なのに、フェリックスの幸せを願うと胸がズキッと痛い。


「勝ち負けは望んでいません。それに、たいちょーさんもいつかわたしを忘れてしまうから」


 霧雨がしっとりミシェルの心も濡らしていく。青年は「ふう」と息を吐いて、今度は優しい口調になった。


「でもね、絆がある限り心のどこかで覚えているものだよ」

「『きずな』……?」

「そう、ぼくとフェリックスのようにね」


 青年が空を見上げたので、ミシェルも倣った。相変わらず雨は降っていたが、遠くの空は明るくなっていた。


 

 夜警帰りのマシューが、大あくびをしながら街を歩いていると赤い傘を見つけた。雨模様に映える色に見覚えがあり、そっと近づくとやはりミシェルだった。

 声を掛けようとしたが、向かい合うもう一つの赤い傘に思い留まる。

 ミシェルの親戚か?

 そう思わせるほど、どこか彼女と雰囲気が似ている美形の青年だ。彼はマシューの存在に気づいてミシェルに伝えると、二人して振り向いた。


「マシューさん」

「お邪魔だったかい?」

「いいえ。じゃあまた」


 穏やかな笑みを残して青年はミシェル達から離れていく。ミシェルとマシューが見送ると、青年が挨拶代わりに赤い傘をくるりと回した。


「友達か?」


 マシューが尋ねると、ミシェルが小さく頷いた。二人の関係を詮索してほしくない風なので、マシューは敢えて触れずに買い物袋を持ってやる。いろいろと買いこんだのか、結構な重さだ。


「ありがとうございます」

「いいってことよ。ところで、もう一人のお嬢さんはまだいるのかい?」

「はい。ご両親が戻るまでだそうです」


「ご苦労なこった」と、マシューが同情する。フェリックスとリゼットの世話を一人で引き受けているのだ。前者はいいとしても、後者は一筋縄ではいかぬお嬢様である。わがままで自己中心的、おまけに自称『婚約者』と明言してはばからない。

 上官が最近機嫌が悪いのは、ミシェルとの平穏な日々を邪魔されているからだろう。

 同い年の娘なのに、育った環境でこうも性格が違うのかとマシューは軽く唸った。もし自分の娘が生きていたら、ミシェルみたいに優しく純粋に育ってほしい。


「ミシェルはいい嫁さんになりそうだ」


 解決することはいっぱいあるのに、自身の結婚などあり得ない。先ほどの青年との会話を思い出して、ミシェルもついため息をついた。息と一緒に吐き出したので、思いのほか大きく響いた。


「知ってるか? ため息をつくと幸せが逃げていくらしい」


 マシューの言葉に、慌てて自身の手で口を塞ぐ。最近ため息ばかり漏らしているので、きっと一生分の幸せは逃げてしまったかもしれない。

 

「逃げた幸せは、どうやったら取り戻せるんでしょうか?」


 恐る恐る尋ねてみた。単なる言い伝えだが、ミシェルにとっては一大事である。真剣な表情で詰め寄られて、マシューは鼻の頭を人差し指で掻いた。


「そん時は隊長殿に分けてもらえ。なにせフェリックス《幸福》だからな」

「ふふふ。そうします」


 我ながらキザな台詞を吐いた照れ臭そうに笑うマシューに、ミシェルもつられて笑った。

 幸せはいつも近くにある、彼のそばにいるだけで心が満たされる。こんな単純なことが、感情という雲に覆われて気づかなかった。

 彼女の心が一気に晴れ渡る。


「マシューさん、ありがとうございます」

「よせやい。礼を言われるほどじゃねえよ」


 マシューは、ますます照れて太い眉毛が八の字に下がった。


「よかったら、夕食いかがですか?」


 沈んだ気持ちを一掃してくれた彼を誘うと、「では、遠慮なく」と笑顔の返事だ。

 雨もいつしか止み、ミシェル達は陽の光で反射する濡れた道路を歩いていった。



「遅い!!」


 リビングで出迎えたリゼットの第一声だった。ミシェルの後に大男がぬっと現れると、途端に眉を顰める。


「よお、お嬢さん。まだいたのか?」

「いちゃ悪いの!? あなたこそなんで来たのよ!?」

「成り行きだ。気にするな」


 重量級の彼が近くに座るものだから、クッションのいいソファーがぐんと沈みリゼットがよろめいた。


「隊長様はまだ帰ってこないの?」

「もうすぐ来るだろうよ」


 帰って来たばかりのミシェルは、一休みする暇もなくエプロンを付けてキッチンへ立つ。


「お前さんは手伝わないのか?」

「今日はミシェルの当番なのよ」


 当番など決めていないのに、リゼットはしれっと嘘を言う。


「仮にも婚約者なら、手料理くらい披露してもらいたいものだ」

「料理なんて誰でもできるわ。わたしはわたしにしかできない方法で彼に尽くすの」

「金か?」

「失礼ね!!」


 リゼットはむくれてソファーの端へ移動すると、ファッション誌で視界を遮った。


「あ、たいちょーさんが帰ってきました!!」


 キッチンで支度をしていたミシェルが弾む声を上げた。間もなく玄関が開く音に、マシュー達は顔を見合わせる。


「すげえな」

「あの子、いつもこうなの。隊長様の足音で分かるんですって」


 そういえば、ミシェルは足音で誰が来たか判断できることを思い出した。まるで犬並みの聴力だとマシューは舌を巻く。


 

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