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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第五章 大人初心者の同居人
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その11

「はい、これパパから」


 ある日、リゼットがミシェルに一通の白い封筒を差し出した。これは何かと尋ねたら、リゼットの父親が娘を世話してもらっている礼金だという。


「うちはお金だけはあるから気にしないで」

「そんな、困ります。まずはたいちょーさんに聞いてみないと」

「その隊長様が断ったから、パパも困ってるのよ」


 フェリックスの性格だとあり得る話だ。別に金が欲しくてやっているわけではない、と。


「ここの家計はあなたに任せてるらしいじゃない。遠慮なく受け取っちゃいなさいよ」

「たいちょーさんがダメなのに、わたしが勝手に受け取るのはどうかと」

「ったく、融通の利かない子ね!! 黙っておけばわかりゃしないわよ」


 筋金入りの優等生ぶりに、リゼットが口を尖らせた。


「だいたい、隊長様の許可がないと何もできないの!?」

「え?」


 リゼットの言葉がやけに胸に響く。

 ここはフェリックスの家だから、ルールも彼が決めて当然だ。従順なミシェルはこれまで主人の言動を忠実に従ってきたが、リゼットはそれがおかしいと言う。


「自分の意思はないわけ?」


 初めて聞く否定的な意見に、ミシェルが動揺した。自分の意思でフェリックスに会いに来て、自分の意思で彼に従っている。家事も楽しんでやっているのに、生き方を根底からひっくり返されて戸惑わないわけがない。


「あります。でも、わたしはたいちょーさんの意思を尊重したいから」

「どこまでもいい子ちゃんね。愛想振りまいて疲れない?」


 振りまくなんて、みんなにはそんな風に見えてるのかな。

 ミシェルがしゅんとした隙を狙って、リゼットは封筒を押しつけた。


「とにかく受け取って。あとは隊長様と相談するなり好きにすれば?」


 リゼットがソファーに座ろうとしたが、かなりショックだったのかミシェルはまだ封筒を眺めている。

 少し言い過ぎたかしら。あとで隊長様に告げ口されたら面倒ね。

 

「ハウスキーパー代だと思えばどう?」


 ミシェルへの罪悪感ではなく、フェリックスに嫌われたくない一心で付け足した。


「はうすきーぱー?」

「家事を仕事にする人よ。ミシェルにピッタリじゃない」


 リゼットが笑ってみせると、ミシェルの顔が一気に輝いた。


「つまり、わたしはお仕事をしてお金をもらったんですね!?」

「そうよ。だから、遠慮なく受け取ってちょうだい」

「はい!! あ、でも半分お父様に返していただけますか? やっぱり全部頂くと気が引けますから」

「仕方ないわね。パパにはわたしから言っておいてあげる」

「ありがとうございます」


 封筒から数枚の札を抜き出してリゼットに渡すと、棚にある小さな丸い缶の中に封筒を仕舞った。この前フェリックスからもらったクッキーの缶で、絵柄が可愛くてとっておいた物だ。預かった生活費をこの中に入れて出し入れしている。

 「足りなかったら言え」との約束だが、ミシェルが見事なやりくりで、繰り越しはあっても赤字は一度もない。

 

「リゼットさんもお仕事なさっているんですか?」


 危機を脱してほっとしているリゼットに、ミシェルから思わぬ質問が飛んできた。生まれて二十二年間、働いた記憶が一切なく「と、当然よ」と声がうわずっている。


「どんなお仕事ですか?」

「どんなって、あなたに説明しても分からないわよ」

「そうですね」


 ミシェルが知っている職業は数少ない。おっしゃる通りと、ミシェルは頭を掻いて照れ笑いした。


「ミシェルこそ、ちゃんとした仕事に就かなくていいの? 隊長様の給料で暮らしているんでしょう?」

「ええ」

「犬を飼うのも人間一人分のお金がかかるらしいわよ」


 『犬』の単語に、ミシェルの心臓が痛いほど高鳴る。フェリックスの負担を減らそうと家事を頑張ってきたが、結果的には迷惑をかけているのではないか。そもそも今まで彼は独りで暮らしてきたし、それこそリゼットの言う『ハウスキーパー』を雇えばミシェルの役割は補える。

 体がぶるっと震えた。自分は必要ないのではないか。


 リゼットは軽いジャブのつもりだったが、複雑な事情を抱えるミシェルにはクリーンヒット並みの威力があった。

 

 

 その日の夜、フェリックスは帰ってこなかった。泊まり込みの警備があるからと、クリスがわざわざ伝えに来てくれたのだ。

 クリスの話では、「アレがいるから心配ないな。いや、いるから余計心配か」とフェリックスが眉間にしわを寄せていたらしい。もちろん『アレ』とはリゼットのことだ。

「隊長ってほんと、ミシェルちゃんを大事にしてるよね」そう言って、クリスは部隊へ帰っていった。彼もまた、隊長付として忙しいのに来てくれたのだと胸が熱くなる。

 感謝の意をこめて、クリスの車が視界から消えるまでミシェルは手を振って見送った。



 フェリックスが帰ってこないと聞いたリゼットは、がっかりした様子ですっかり自分の色に染めた客室へ入って行った。性格はどうであれ、リゼットと一緒だと確かに安心できる。独りは心細い。

 ミシェルも自室へ行き、窓を開けて見上げた。

 リゼットの父親から受け取った礼金のこと、仕事のことなど相談したいことがいっぱいあったのに、解決できずしまいだ。

 くんと鼻を利かせると、冷たく湿った風に雨の匂いがする。

 たいちょーさん、明日雨です。濡れて、風邪ひかないで下さいね。


 『お前の鼻は、天気予報より当てになる』

 ミシェルの頭を軽く撫でて、玄関を出る軍服の背中が明日は見られない。たった一晩会えないだけなのに、今宵の月みたいに気持ちもおぼろげだった。


 

 翌日、ミシェルの予想通り朝から雨が降った。激しくはないが、しとしとと霧雨が庭の草花を濡らしていく。


「やあね、今日一日鬱陶しいわ」


 今日もまた朝食の準備が済んだ頃を見計らって、リゼットが食卓に着いた。


「お買い物、どうしましょうか?」


 二人で市場へ買い物に行く予定を立てていたのだ。


「ミシェル一人で行ってきてなさい。服が濡れるなんて嫌よ」


 リゼットは得意げに、このブラウスはどこぞのブランドだの説明し始める。お洒落に無頓着な主に育てられたミシェルもまたこだわりがなく、饒舌な彼女に感心しながら聞いている。


「じゃあ、お留守番お願いできますか?」

「ええ。化粧水がきれてるからついでに買ってきて」


 ピンク色の細い瓶と二枚の札をミシェルに手渡した。



 朝の家事を終えて、ミシェルは買い物へ出掛ける。目立つ赤い傘は、どこへいても分かるようにとフェリックスが選んでくれた。

 雑貨屋へ立ち寄り、奥に進むと化粧品を置いている一角がある。店員に化粧水の瓶を渡すと、「あら、珍しいわね」と笑ってガラス張りの棚から探した。顔見知りの店員は、大人になったミシェルに違和感がないようだ。


「これ、値段が高いだけあってすごくいいのよ。お肌にハリが出て透明感が増すの」


 だから、リゼットの肌は滑らかで綺麗なのかと納得する。


「ミシェルちゃんがこれ以上綺麗になったら、隊長さんはもっと心配ね」

「わたしはそんな」

「ううん。最近特に綺麗になったわ。ひょっとして恋してるのかな?」


 ふっと頭に浮かんだ黒髪の人物に、ミシェルの頬が熱く火照った。そんな彼女を店員は微笑ましく眺めていた。


 

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