その8
リゼットの気持ちも分かるが、この家の主はフェリックスで居候の一存では決められない。そんなミシェルの性格はお見通しなので、彼が折れるしかなかった。
「一晩だけだ」と言うと、リゼットは大いに喜びはしゃいだ。
「ありがとう、隊長様!!」
「礼はミシェルに言え」
「ミシェル、ありがとう!!」
とはリゼットの口から飛び出さず、ほんの一瞬笑顔を見せただけだった。
リゼットの登場でマシューとクリスは早々に引き揚げていくところへ、フェリックスはマシューを呼び止めると小声で尋ねる。
「ミシェルになにか変ったところはなかったか?」
「ミシェル? 相変わらずべっぴんだぜ?」
「顔じゃない」
少し間が空いて「胸の方か? よく育ったものだ」と感心するマシューに、これ以上質問する気にならずさっさと帰らせた。あの大男は意外と洞察力があるので、ミシェルの変化に気付いたら言ってくると思ったが見込み違いだったのか。
リビングに戻ると、リゼットが入浴する間にミシェルは宿泊の準備に追われていた。ゲストルームとしてひと部屋空けてはいるが、実際に他人が泊まるのはミシェルが来てから初めてである。
「ミシェル、二人はお前の変化に気づいていないみたいだ」
ベッドメーキングをする彼女を手伝いながらフェリックスが話し掛けた。
「あっ!! バタバタしちゃってすっかり忘れてました」
一番重要なことなのに、幸か不幸かリゼット騒ぎであやふやになっていたのを思い出した。今更だがミシェルが不安げな顔をすると、なにかを思い出したのかぶつぶつと呟いている。
「心当たりがあるのか?」
「えっ? いいえ」
明らかにありそうだが深く詮索しなかった。先ほどマシューとの会話の続きがあり、ミシェルも年頃でなにかと秘密を抱えるからそっとしてやれと助言されたばかりである。
「ミシェル、なにかあったらすぐに言うんだぞ」
「了解です」
「約束だ」
「指切りしますか?」
ミシェルの立てた小指に、フェリックスが小指が絡ませた。まさか本当にするとは思わなかったので、指を通して胸のときめきが彼に伝わらないかと心配になる。
幸せの時間を噛み締めていると、足音がしたのでフェリックスが小指を解いた。残ったそれをミシェルは物寂しげに見つめている。
「ふう、さっぱりした。ミシェル、お水を持ってきてちょうだい。ちゃんと氷を入れてね」
「自分のことは自分でしろ」
ミシェルをまるで小間使いのように扱うリゼットに、フェリックスが吐き捨てる。
「疲れてもう動けないのぉ」
リゼットはベッドに倒れ込んで足をばたつかせるので、フェリックスは今にも枕を投げつけそうな空気を漂わせた。それを察知したミシェルが水を取りに部屋を出ていくと、リゼットが上体を起こして彼に寄り添う。
「隊長様、ミシェルとはどういう関係?」
「私の姪だ」
「親戚でも男と女がひとつ屋根の下ってまずくない?」
彼女の言葉が妙に引っ掛かった。
やはり世間的にまずいのか?
仔犬でやってきた頃は、まさかこんな美しい大人に成長すると想像しなかった。分かっていれば下手な言い訳もせず堂々と……。
成り行きでこうなったのだから仕方ない。だったら、この先ミシェルをどうしたい?
フェリックスは神妙な面持ちで自問自答する。
「隊長様?」
青い瞳が覗きこんでいたので我に戻った。そして、自称婚約者の出現になぜいらついていたか理解できた気がする。つまり、これまで曖昧にしてきたミシェルとの関係に触れてほしくないのだ。二人の平穏な生活にズカズカと乱入するこの女性が煩わしい。
「やだぁ、そんなに見つめたら恥ずかしい」
身をよじるリゼットにため息をついて腕を組んだ。見つめていたのではなく睨んでいたが、自己中心的なリゼットは都合のいい解釈しかしない。ここまでくれば大したものだ。
「もう寝ろ。私もミシェルも忙しい」
「わたしを寝かせて、二人っきりでなにする気!?」
「それと、ミシェルは小間使いじゃない」
「あの子ばかり可愛がるのね」
「寝込みを襲ったら、真夜中でも追い出すからな」
彼等の会話は最後まで噛み合わなかった。
嵐のような一夜が明けて、ミシェルが朝食の支度へキッチンへ来ると既に先客がいた。
「おはようございます。たいちょーさん、早いですね」
いつもは時間ぎりぎりまで寝ているフェリックスが起きていたが、リゼットを警戒して熟睡できず眠けまなこだ。
「コーヒーを」頼むとと言い掛けてフェリックスがはっとする。昨夜、リゼットにミシェルは小間使いじゃないと自らの台詞を思い出したのだ。自分こそミシェルをこき使っているのではないか。
当人はまったく気にすることなく、彼のためにコーヒーを淹れる支度を始めた。がりがりと音を立ててコーヒーミルで豆を挽き、フィルターをセットしたドリッパーに入れる。ポットの湯を蒸らすように少しずつ注ぐと、ドリップする一滴がサーバーに波紋を作り香ばしい匂いが立ちこめた。
「朝から手間ひまかけていたのか」
「たいちょーさんが好きなコーヒーってどんなのだろうって調べてたら、楽しくてわたしがハマっちゃいました」
カップを手渡されて一口飲むと、ほろ苦さの中にほんのり甘さが広がる。何気なしに飲んでいたコーヒーが、こんなに本格的なら美味いはずだ。だが、朝の貴重な時間を自分のために費やす彼女に悪い気がする。
「気持ちは嬉しいが、無理しなくていいんだぞ」
「ちっとも無理してませんよ。こうやっていると、一日が始まるって感じでわくわくします。儀式みたいなものでしょうか」
純粋なミシェルの笑顔が眩しかった。これまで殺伐とした生活が、彼女と暮らすことによって潤いと和やかな空気に包まれている。
「もうすぐ朝食ができるので、リゼットさんを起こしてきますね」
「放っておけ。腹が空けば嫌でも起きる」
「たいちょーさんは、どうしてリゼットさんに冷たいんですか?」
婚約者云々は置いといて、初体面から冷淡な態度で接しているのが不思議だった。
「興味がないからだ」
じゃあ、わたしに親切なのは興味があるから? なんて怖くて聞けない。
「だから『冷血』などと陰口を叩かれる」
「たいちょーさんは冷血なんかじゃありません」
ミシェルが穏やかな口調で否定した。
「野良犬のわたしを育ててくれました」
彼女の口から『野良犬』という単語が出ると、何故か無性に腹が立つ。
「そんな言い方はよせ」
「え? あ、ごめんなさい……」
怒りを含んだ低い声に、ミシェルは反射的に謝ったものの理由がわからずきょとんとしていた。
「えっと、ご飯にしますね」
「ああ。何を手伝えばいい?」
「じゃあ、スープを注いでもらえますか?」
喧嘩したわけでもないのに、気まずい雰囲気が二人の間に漂う。
「いやあ、すまん。お前のせいじゃないから安心しろな」
と、明るく言えたらどんなに楽か。そういう性格ではないのは自分がよく知っている。コーヒーの感動も消え去り、会話もなく黙々と準備をしていると
「あら、朝食ができているじゃない。わたし、トマト嫌いだから入れないでよ」
リゼットがリビングへ現れると重い空気が一掃されて、フェリックスは不覚にも彼女の存在に感謝した。




