その7
ミシェルが泣くほどの一大事に、フェリックスが飛んで帰ると玄関先が騒がしい。例の部下二人とミシェル、そしてお嬢様スタイルをばっちり決めた若い女性の四人だ。
「あっ、たいちょーさ……」
無表情で一直線に向かってくる彼に、ミシェルは気押されて語尾を飲む。フェリックスは、ミシェルの肩を掴むと琥珀色の瞳を覗きこんだ。
うわあ、心臓も耳も飛び出しちゃいそう。
全てを見通す鋭い眼に射られて、胸の鼓動が激しく波打つ。ここで犬耳を出したら、別の騒動が起きてしまうと必死で平常心で耐えた。泣いた形跡がないと分かり、フェリックスは小さく安堵の息を漏らす。
「泣いてないんだな?」
「はい。ちょっと驚いただけです」
ミシェルは、急いで帰って来た彼に申し訳なく感じた。
「どういうことだ、モーガン軍曹」
「十分二十秒か。まあまあのタイムだな」
騙されたと睨む上官などどこ吹く風で、マシューは腕時計を見てにやりと笑った。
「それより、あのお嬢さんをどうにかしろや」
顎でしゃくる方向には、毛先をカールした金髪にキラキラと青い瞳を輝かせる女性が立っている。年齢はミシェルと同じくらいか。
「隊長様、やっと会えましたわ」
女性は、先ほどのヒステリックとは打って変わって猫なで声ですり寄った。
さっきと全然態度が違うじゃないか!?
この時珍しくクリスとマシューの意見が合ったが、本人達は知るはずもない。フェリックスが嫌悪感を露わにしているのも気にせず、自分のペースでぐいぐいと迫ってくる。
「誰だ、お前は?」
「やだ、婚約者の顔をお忘れになったの?」
忘れるのなにも、今日が初対面なのだ。
「「婚約者!?」」
クリスとミシェルが目を丸くした。婚約者とは、結婚を前提とした相手であることはミシェルでも知っている。
「あの話は断ったはずだ」
あの話って、たいちょーさんは知ってたの?
仕事のことならいざ知らず、せめて一言報告があってもいいのではないか。なんとなくムッとする。
「隊長、いつ婚約なさったんですか!?」
それは、勤務で常にそばにいるクリスも同感だった。隊長付という立場上、上官の予定はほぼ把握しているつもりだったが、密かに持ち上がった縁談に釈然としない気持ちである。
「この間の休みに、作戦部長から見合いの話が出た」
ミシェルは、ショッピングモールへ行ったときにフェリックスが呼び出されて帰ったのを思い出した。くだらない用と一蹴したが、本当にそう思っているのだろうか。見合いといえば、結婚を前提としたものとテレビで見たことがある。
たいちょーさん、結婚するの?
突然降って湧いたフェリックスの見合い話に、ミシェルのショックは大きかった。
「三十過ぎの独身がうろつけば、誰でもお節介やきたくなるわな」
「まだ三十だ」
マシューのいい加減な情報に、フェリックスはいささかむきになって修正する。案外この男、年齢を気にしているのだ。
「ミシェルちゃんは知ってた?」
こそっと小声で尋ねるクリスに首を横に振った。
「お嬢ちゃんにも黙ってたのか。そりゃマズイだろ?」
フェリックスが向くと、ミシェルは無理に笑顔を作ろうとして引きつっている。部下の指摘もごもっともで、せめて彼女だけは言っておくべきだったと反省する。彼の中では既に終わった話で、こんな大ごとになるとは予想だにしなかった。
「ちょっと、わたし抜きでなに盛り上がってるのよ!!」
一人蚊帳の外だった女性が割って入ると、フェリックスは「まだいたのか」と言わんばかりに冷ややかな視線を投げる。
「とにかく帰ってくれ。先方には私から伝えておく」
「いや。絶対ここから離れない」
「だったら、気が済むまでここにいろ」
フェリックスが踵を返すと、クリスは戸惑いがちにあとをついていく。マシューはやれやれといった風に肩を竦めた。正直、ミシェルはなぜ彼がここまでこの女性を毛嫌いするのか理解できない。
「マシューさん、このままでいいんでしょうか?」
「興味がなければ、たとえ女でも冷たいやつだからな」
ミシェルが振り向くと、女性はしょんぼりしている。フェリックス会いたさに、か弱い(?)女性が重い荷物を引きずってやってきたのだ。その想いは汲んでやるべきではないか。
ミシェルは、フェリックスに駆け寄ると腕を掴んで引き留める。
「ミシェル?」
「あのままでは可哀そうです」
「勝手に押しかけて来たんだ。放っておけ」
自分も転がり込んだ同じ立場なので他人事は思えなかった。
「わたしもそうでした。だから気持ちがわかるの」
「お前と事情が違う」
「せめて、お話だけでも聞いてあげてください」
しばらく見つめ合って、先に折れたのがフェリックスだった。盛大なため息をついて、前髪をくしゃっと掻き上げる。
「……五分だ。話を聞いたら帰りなさい」
女性の顔がぱあっと輝いて、ミシェルの手を取ると上下に振り出した。
「ありがとう!!」
「よかったですね」
この光景にクリスもほっとして笑顔がこぼれる。
ミシェルちゃんって優しいなあ。
彼女達が家に入っていき、続くフェリックスにマシューがぐいっと肩を掴んで囁いた。
「隊長殿、気を付けろ。女は魔物だぞ」
「言われなくても分かっている」
不機嫌な顔で不機嫌そうに言い捨てた。数々の修羅場を見てきたので、女の怖さは身に沁みている。
本当に分かってるのかねえ。
マシューは偶然見てしまった。ミシェルが庇っている最中、気落ちしたように見せかけて実はほくそ笑んでいたのを。
女性の名はリゼット・バイル、二十三歳。父親が大会社の社長で、見合いを持ち込んだ作戦部長とは旧友とのことだ。社長令嬢として大切に育てられたせいか、自己中心的な性格である。しかも顔立ちがいいのを自覚しているので、余計始末に負えない。結局、五分どころかちゃっかり夕食まで頂くしたたかさだ。
「この料理、まあまあね。うちの料理長には負けるけど」
「そんなことないさ。ミシェルちゃんの手料理は最高だよ!!」
クリスのフォローに、リゼットはつんとそっぽを向く。
「ねえ、隊長様。お願いがあるんだけどぉ」と甘ったるい声で話し掛けた。従順なミシェルが犬なら甘え上手のリゼットは猫かも知れない。
「なんだ?」と応えたのはマシューで、リゼットはお呼びじゃないと心の中で舌を出す。
「今夜、泊まる所がないの。だから……」
「ホテルなら予約してやる。警衛隊長権限を駆使してもな」
フェリックスとしては、食事までさせてこの上泊まらせるなどもっての外である。居座る魂胆が見え見えなので、取り合わないのが一番だ。
「エエッ!! やだぁ。ねえ、ミシェルからも頼んでちょうだい」
「え? わたし……ですか?」
急に話を振られてミシェルが困惑する。確かに食事を誘ったのは自分だが、この家に泊まると言い出すとは思わなかった。
「一晩くらいいいわよね?」
ミシェルが頼めばフェリックスは断らない、この構図を早くも見抜くあたりが抜け目がない。
青い瞳を潤ませてすがるリゼットと、フェリックスの拒否する鋭い視線に挟まれてミシェルはどうしていいのかほとほと困ってしまった。




