その4
翌日、二人は車で三十分の郊外に建てられた巨大なショッピングモールへ出掛けた。休日とあって家族やカップルが多く目につく。
フェリックスははぐれないようにミシェルの手を握った。
大きく硬い手が小さな手を包み込むと、見上げる琥珀色の瞳と視線が交じり合う。ほんのり頬が赤いミシェルがにっこり笑った。
この子は本当に犬なのか。
疑問は尽きないが、この手から伝わる温もりは間違いなく生きている証拠だ。未だに半信半疑だが、犬っぽい仕草と無条件に慕ってくれる健気さが心を揺さぶる。
今更考えてもどうしようもないと頭の隅に追いやって現実に引き戻した。
まずは服を買うため子供服売り場へやってきた。さすが人気のある店だけあって、親子連れでにぎわっている。
近寄り難いオーラを放っている彼に慄いて遠ざかる様子を、目の端で感じながらミシェルと店の奥へ入っていった。
「好きな物を選びなさい」
「えーっと、えーっと」
タータンチェックのプリーツスカートやオーガンジーの白いブラウス、ピンクのニットカッソー……、鮮やかな服の嵐に目移りしてなかなか決まらない。
あれこれ悩んだ末に「もういいです」とげんなりして座りこんだ。
「お決まりですか?」
見兼ねた女性店員が二人に声を掛ける。
「この子に似合う服を一式選んでほしい。着て帰るからそのつもりで支度してくれ」
「かしこまりました。失礼ですが予算の方はいかほどで?」
ハラハラした顔のミシェルと近くにある服の値札を交互に見て「任せる」の一言だった。
「さあ、一緒に選びましょうね」
フェリックスが顎をしゃくって促すと、不安げのミシェルが店員のあとをついていく。
数分後、試着室から出て来た彼女は想像以上に可愛く、辺りを見回して決して親ばかではないと確信した。アイドルを真似たファッションが流行らしく、ミシェルの可愛らしい雰囲気によく合っている。
「どうでしょうか?」
おずおずと訊く彼女に頷いてみせると、ようやく笑顔が戻った。
「お父様も素敵ですが、お嬢様も素敵でいらっしゃいますね」
店員の台詞にフェリックスの片眉がぴくりと跳ねたので、ミシェルは慌てて訂正する。
「ち、違います!! この方は……」
「私は父親ではない」
「申し訳ございません。てっきり親子かと」
年齢的にはミシェルくらいの娘がいてもおかしくない。現に同期の大半は結婚して幸せな家庭を築いているので、そう思われても仕方がないのだ。
謝る店員に、フェリックスは片手を挙げて制すると精算へとレジへ向かった。
あらかた必要な物を買い揃えた二人は、いよいよ本日の目玉であるパフェを食することとなる。だが、人ごみと敷地の広さで目当ての店が分からない。
そこはミシェルの出番で、くんくんと鼻をひくつかせて指差した。
「あっちです、ご主人様!!」
だから、その『ご主人様』はやめろ。周りは変に思うだろうが。
彼女が大声で呼ぶものだから、客は奇妙な目でフェリックスを眺めている。そんなことはお構いなしにどんどん人ごみに消えていくので、慌てて彼も後を追った。
やっと目的の店の前に辿り着くと、ミシェルの興奮は絶頂にあった。ショーウィンドーに飾られた料理のサンプルをガラスにへばりついて見つめる。
「あぁ。お一人様限定でしょうか?」
「それはサンプルだ。本物はまだあるから心配するな」
「本当ですか!? よかった!!」
ミシェルは心底ほっとした様子で席へ着いた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
ウエイトレスが二人のテーブルへやってきた。
「フルーツパフェとコーヒーを一つずつ」
「かしこまりました」
フェリックスがウエイトレスのやり取りに興味津々のミシェル。
「ご主人様は食べないんですか?」
「私はいい」
「やっぱり、お金が……」
「あるから余計な気を回すな」
少しムッとした彼の前に、追い打ちをかけるようにウエイトレスがパフェを置いたので「これはあの子が頼んだものだ」と更にムッとした。
「食べないのか?」
念願のパフェとにらめっこして、なかなか手をつけない彼女に尋ねる。「食べるのがもったいなくて」と頬杖をついて嬉しそうに眺めるミシェルの頭を撫でた。
「また連れて来るから食べなさい」
「はい!!」
パフェに勢いよく突っ込んで鼻に生クリームを付けたミシェルに、フェリックスの笑いを誘うのだった。
家に帰ると、ミシェルは早速自分の部屋で今日買った物を並べてみた。これまでとはデザインも種類も違う洋服たちにうっとりする。
フェリックスはほかにも小物や生活用品などを買い揃えてくれた。
例えばカラフルなドッド柄のベッドカバーとピロケースとかオレンジ色のマグカップ。女の子を意識した色使いにこだわるあたりが、今回の外出で随分と学習してきたようだ。
この部屋も、彼女一人で使うには余りある広さで却って落ち着かない。家具は小さなテーブルとタンス代わりの三段式衣装ケース、そして客用のシングルベッド。ミシェルが住むということで数日間でフェリックスが揃えてくれた。
幸せだなあ。ご主人様はよくしてくれるし、美味しい食事にふかふかベッド……。
毎晩、寝床を心配していた野良犬の頃とは天と地ほどの差だ。
リビングでフェリックスが呼んだので、丁寧に服を畳んで衣装ケースに仕舞うと部屋を後にした。
ミシェルが来ると、すっかり夕食の準備が出来ていたので恐縮した。
「ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「ご主人様に食事の支度をさせてしまったので」
「別に構わん」とフェリックスは吐き捨てて椅子に座る。
「お前は気を遣いすぎる。もっと気楽にしたらどうだ?」
「ご主人様はとても良くしてくれるのに罰が当たります。番犬と仰ってくれたけど、わたしより立派なせき、せきゅる……」
「セキュリティか?」
ミシェルが言わんとするうろ覚えの単語をフェリックスがさらりと答えた。
「はい。その『せきゅりてぃ』があるからお役に立っていないかと」
確かに彼の自宅には最新式の防犯セキュリティが設置されている。番犬というのは便宜上で、そもそも彼女にそういう役割は求めていない。
だったら、ミシェルを留めておく理由もないのでは……。フェリックスの思考がグルグル回り出す。
「あの……」
「食事にするぞ」
怪訝そうに覗きこむミシェルの頭を撫でる。半ば八つ当たりのごとく力強くグリグリと。
い、痛いです!! ご主人様!!
声なき悲鳴を上げるミシェルにお構いなしに、フェリックスはとっとと食事前の挨拶を済ますのだった。
その日の夜、フェリックスはふと思う。
なぜミシェルは人間になれたのか、人間になって何がしたいのか。いつまでここにいるのか。
静かになったと思ったら、いつの間にかミシェルがソファーで寝息を立てていた。きっと、初めての人ごみで疲れたに違いない。
フェリックスは横抱きで彼女を部屋へ連れていくと、そっとベッドへ寝かせて寝顔に掛かった髪を撫で直した。
「ぱふぇ……、もう食べれません……」
パフェに囲まれた夢でも見ているのか、とても幸せそうだ。