その3
部隊の安全と秩序を守る警衛隊だが、待機室では所帯者同士が家族の話題で盛り上がる。
「この間、例のショッピングモールに行ってきたんだがすごい人だったよ」
「一週間前にオープンしたってアレか」
「娘とカミさんが服を買うってうるさくてな」
確か、彼の娘はミシェルと歳が近かったな。
部下たちの会話にフェリックスが聞き耳を立てる。
「しかし、最近の子ども服はどうしてあんなにバカ高いんだ?」
「女の子は特に凝ったデザインが多いからな」
ふとフェリックスの庶務する手が止まった。
服? そういえばミシェルはいつも何を着ているだろうか。
自身の服装すら無頓着で、以前帰省した時に三歳上の姉から「高給取りなんだから、少しはブランド物を着なさいよ!!」と詰られる始末だ。
それに犬は飼っていたが人間の娘を育てたことがない彼にとって、女の子の服など皆目見当がつかない。
ミシェルも関心がないのか、それとも遠慮しているのか不満は漏らさない。それでも生活にするには最低限の服は必要だ。
下着と服はネットで購入するので、挙動不審に下着売り場をうろつくというみっともない真似はせずにすむのは有難い。
そんな調子だから、ミシェルの服装は適当に選んだTシャツとズボンでほとんど男の子である。顔立ちはいいのだから、ちゃんとした服を着ればそこらの娘に負けないはずだ。
立哨の時間だと部下達が慌ただしく去っていくと、フェリックスはコーヒーを飲もうと立ち上がった。テーブルには先ほどのショッピングモールのパンフレットが置いてあり、手に取るとしばし真剣な表情で眺めていた。
夜になり、フェリックスは帰る準備を始めた。警衛隊は二十四時間勤務のシフト制で、隊長は行動範囲に制限はあるが基本日勤扱いである。
今までは夜遅くまで残業をしていたが、ミシェルが来てから自宅に持ち帰ることが多くなった。
「隊長は最近、ご帰宅が早いですね」
上官がいなければお付きもお役御免となるので、クリスも帰り支度をする。
「やっぱり、女がいるんじゃねえの?」
夜勤の警らに備えて、戦闘服の上から防具を装着するマシューが人の悪い笑みを浮かべた。
「まさか!?」
信じられないといった風で声を張り上げる。
「お前さんはあいつの本性を知らないからな」
「隊長の本性……?」
マシューが真剣な顔で声を潜めるものだから、クリスはごくりと唾を飲んで身を寄せた。
「ここからは有料だ。あいつの女遍歴が知りたきゃ一万円よこせ」
「知りたくないので結構です」
太い腕を首に巻きつけて不当な請求をするマシューを一蹴する。「つまらん奴だ」と舌打ちすると形だけの上官を解放して警らへ向かった。
そんな部下たちのやり取りがあったとは露知らず、フェリックスは歩いて家路に着く。ひんやりとした夜風が肌寒く、そろそろコートを用意しておいた方がよさそうだ。
自宅から部隊への往復、この道を何回通っただろうか。
クリスは黒塗りの公用車で送迎すると申し出たが、たかだか徒歩十五分の道のりに大袈裟だと突っぱねた。
「途中で襲われたらどうするんですか!?」
「なあに、我らの隊長殿はそう簡単にやられんよ。警衛隊長の肩書は伊達じゃない」
フェリックスとマシューがアイコンタクトらしきものを交わすのを見て、クリスは羨ましいやら悔しいやら。
なんだかんだ悪態をつき合う二人の間には、到底割って入れない深い信頼関係があるように思えるのだ。
やがて、自宅が視界に入ってくる。防犯上ついている外灯と違って、家の窓からこぼれる温かい灯りが心を和ませた。
誰かが自分のために待っているというのが、無機質な生活にこれほど潤いを与えるとは驚きである。それはミシェルも同じことで、鍵が開く音に急いで玄関に走った。
「お帰りなさい!!」
「ただ今」
嬉々して出迎えるミシェルの頭を撫でて寝室へ向かう。軍服を脱いでハンガーに掛けると私服に着替えてキッチンへ移動した。
先に風呂へ入りたいところだが、食事もせず待っているミシェルの為に夕食の準備を始める。簡単なもので済ませていたので料理の腕前はそこそこだ。
フェリックスは、隣で支度を手伝うミシェルに切り出した。
「明日、出掛けるぞ」
「お出掛け……ですか?」
「新しくできたショッピングモールがあるらしい。そこで服を買おう」
ミシェルははるか上にある彼を怪訝そうに見上げる。
「服ならあります」
「あれは女の子らしくない」
「そんなことないですよ。ピンクとか黄色とか可愛い色もあるし」
満足できるのは色だけで、Tシャツにキュロットでは芸がなさすぎだ。これでは飼い主、もとい保護者の品格が問われる。
私に遠慮しているのか?
ミシェルは謙虚な性格で、フェリックスを「ご主人様」と呼び常に敬語で話してくる。暴れるとかわがままなど問題行動も起こさず彼の帰りをちゃんと待っているのだ。
出来た料理をテーブルに並べてミシェルが振り向くと、さらりと栗色の髪が舞う。
一瞬、可愛いと思った。
出会った頃は解らなかったが仔犬の時も器量良しだったに違いない。
「家事をよくやってくれるから助かっている。その礼だと思えばいい」
「お礼なんていりません。当たり前のことをしているだけですから」
「人の好意は有難くとっておくものだ」
「そんなもの……ですか?」
「そんなものだ」
やっと納得したのか躊躇いがちに「ありがとうございます」と礼を述べた。
夕食を済ませた二人はリビングでまったりと過ごしている。フェリックスはソファで報告書を読み、ミシェルは明日の買い物に思いを馳せた。
しばらくして、視線は書類に残してフェリックスが口を開く。
「明日は人間が多いから行動に気を付けるように」
「はい」
「私から離れるな」
「はい」
ミシェルは大きく頷いた。
それは大丈夫、意地でも離れません!!
フェリックスは思い出したかのように立ち上がると、鞄から何やら取り出した。
「いきなり行っても戸惑うだろうから、参考にするといい」
彼の手に握られていたのは一冊のパンフレットで、パラパラと広げると可愛い子供服やスイーツの店の紹介がずらりと載っていた。
ミシェルは「おおー!!」と歓声を上げて食い入るように眺める。
「ご主人様!! ご主人様!!」
突然興奮したミシェルが連呼した。
「これはなんですか!?」
身を乗り出してミシェルの指を辿ると、その先にはフルーツパフェの写真だった。
「パフェだ」
「ぱふぇ? どんな食べ物ですか!?」
鼻息が荒い彼女が、フェリックスの膝に乗らんばかりに詰め寄ってくる。
「私も良くは知らんが」と前置きをして雑誌の記事を読み始めた。
「甘さ控えのホイップクリームに濃厚なアイスクリームが、ほろ苦いコーヒーゼリーと上手く絡み合って大人の甘さに仕上がっています。トッピングはその季節の旬な果物を贅沢に載せました」
甘いのか甘くないのか、はっきりしてほしいものだ。
読んでいて軽い苛立ちを覚えたが、ミシェルがキラキラした目で聞いていたので口にはしなかった。野良だった彼女には無縁の食べ物に違いない。滴るよだれを慌てて手の甲で拭く彼女を不憫に思った。
「これが食べたいのか?」
「え!?」
「遠慮するな。こう見えても高給取りだ」
ぱあっと顔が輝いたミシェルは部屋中を駆け巡ると、フェリックスは頬を緩ませて報告書に視線を落とした。