その4
よほどフェリックスの尋問が堪えたのか、あれからアランは姿を見せなくなった。せっかく育んできた恋の芽を摘み取ってしまい気の毒に思う一方、人に言われて諦める程度の気持ちかと腹ただしくもあった。
もっとも、『鬼隊長』に睨まれて平気な者はそういない。
リビングで洗濯物を畳んでいるミシェルを見て、フェリックスはふと思った。彼女はアランをどんな風に捉えていたのかと。
おそらくミシェルにとって、異性からの告白とキス未遂は初めての経験だっただろう。突然の出来事に驚いただけで、ミシェルもアランに恋心を抱いていたとしたら……。
それはないな。ミシェルはまだ子どもだ。
確信のない自信で納得させようとした。
初めて会った頃は薄汚れた女の子だったのに、男達を夢中にさせるほど美しい少女に成長した。
いつもそばを離れなかったのに、いつの間にか市場の人気者になっている。以前はなんでも話してくれたのに、最近隠し事をするようになった。
ミシェルは成長しているのに、フェリックスの意識はあの頃で止まっている。自分のエゴで、彼女の幸せを邪魔したくはない。
アランにとった行動がとてつもなく愚かに思えて、彼の口から謝罪の言葉がこぼれた。
「ミシェル、お前に謝らないといけないことがある」
神妙な面持ちで切り出したフェリックスに、ミシェルは服を畳む手を止めた。
「たいちょーさんがわたしに?」
「実は、アランに会ってきた」
みるみるミシェルの顔が強張ったので、フェリックスは慌てて付け足す。
「手荒な真似はしていない。彼の言い分も聞きたくてな」
嘘は言っていない。
信じたのか、彼女の表情が少しほぐれて上ずった声で訊いた。
「なんて言っていましたか?」
「お前が好きだと言っていた。あんな行動を取ったのも、想いが抑えきれなかったらしい」
アランの気持ちをありのまま伝えた。あとはミシェルがどう受け取るか。
「アランをどう想っている? 好きなのか?」
フェリックスは、ソファーに大きく体を預けて答えを待った。静まり返った間が妙に長く感じる。
ミシェルはぼそりと呟いた。
「アランはいいお友達です。大好きだけど、それが恋なのかわかりません」
「恋ってなんですか?」とミシェルが尋ねて、今度はフェリックスに間が空いた。
三十年間で恋愛感がすさんでしまった彼だが、異性と手を繋いだたけで胸踊る初々しい時代もあった。その頃の記憶を辿って説き始める。
「恋をすると、相手のことばかり考えたり夜も眠れなかったりするものだ」
「相手がそばにいるだけでドキドキしますか?」
「そんなこともある」
「たいちょーさんは、恋をしたことあるんですね」
フェリックスが既に『恋』を経験済みと知って、ミシェルは寂しげに視線を落とした。アランのような少年ならまだしも、大人なら一度くらいは経験しているのは当然である。
「まあな。お前もこれから嫌というほどするだろう」
フェリックスは腕を伸ばしてミシェルの頭を撫でた。上目遣いで窺うと、普段は鋭いダークグリーンの眼差しが柔らかい。
相手を想うと、ドキドキしたり夜も眠れない。まさに今のミシェルだ。間違いなくフェリックスに恋をしている。
「心当たりがあるのか?」
探るような口ぶりに、ミシェルは大きくかぶらを振った。
「あ、ありません」
泳ぐ目に垂れた犬の耳、また隠し事かとフェリックスはため息をつく。
年頃の娘を持つ隊員が言うには、この時期は秘密が多くなり扱いが難しいらしい。下手に追及すると、機嫌を損ねてしばらく口を利いてもらえない。かといって、放ってもおけずやきもきするのみ。父娘はこれの繰り返しだそうだ。
果たして、すべての親子に当てはまるのか。
フェリックスにも三歳上の姉がいる。良く言えば扱いやすく、悪く言えば傍若無人の性格で父だけでなく家族中が振り回されたのを覚えている。
その点、ミシェルは聞きわけがよく従順で家事もよくやってくれる。少しくらい、秘密があっても構わないのではないか。
「洋服、片づけてきます」
ミシェルは、逃げるように畳んだ洋服を胸に抱いて自分の部屋へ行ってしまった。彼女が座っていた場所には、フェリックスの分がきちんと畳んで置いてある。
出来過ぎた娘は、出来の悪い部下より気を揉むようだ。
部屋に戻ったミシェルの心臓はまだ激しく動いていた。精いっぱい気づかないふりをしていたフェリックスへの恋心、気持ちの整理がつきそうにない。
会わないですむアランと違って、フェリックスとは毎日顔を合わせるのだ。居づらいからってここを出ていく勇気もない。むしろ、こんな耳では出ていけるはずがない。
そっと頭の上にある耳を触ってみた。ふさふさした感覚が仔犬の頃を思い出して懐かしい。すっかり人間になれたと思っても、やはり犬には変わりないのだ。失望に肩を落とし掛けたところへ
コンコン
ドアをノックする音に、ミシェルはノブを回す。
「たいちょーさん」
「ちょっといいか」
「どうぞ」
ミシェルが体を開いて部屋に招き入れた。相変わらず整頓されて落ち着く場所で、ミシェルの隣にフェリックスも腰を下ろす。
「その、なんだ。私はあまりいい恋愛をしなかったから、お前には後悔してもらいたくなくてな」
目の前にいるのは、毅然とした軍人ではなく悩める一人の男だ。
「たいちょーさん、いい人なのに」
ストレートな発言に、フェリックスは思わず苦笑する。
「名前負けだとよく言われる」
「確か『幸せ』って意味でしたね」
「私自身、幸せと程遠い生活を送ってきたから無理もない」
雨風を凌ぐ家に住んで、温かい風呂と食事そしてふかふかのベッドで寝る。これ以上の幸せがあるのだろうか。
人間が思い描く『幸せ』とは一体……。
「たいちょーさんの『幸せ』ってなんですか?」
「え?」
フェリックスは言葉に詰まった。『虚をつかれる』とはまさにこのことである。
軍人ではなく一般人として平凡に暮らすこと? 結婚して子どもをつくり温かい家庭を築くこと? それともより軍で更なる昇級を目指すこと?
どれもしっくりこなかった。
「ミシェルの幸せはなんだ?」と逆に聞き返した。卑怯ではあるが、この間を凌ぐにはこれしか思いつかなかった。
初めは驚いた顔をしたが、やがて微笑んで答える。
「たいちょーさんの『幸せ』がわたしの『幸せ』です」
ミシェルはちゃんと答えた。なら、自分もそうするべきだ。
「お前が幸せなら私も幸せだ」
いい台詞だと自画自賛のフェリックスだが、ミシェルは今一つ合点がいかない様子である。
「う……ん、結局二人が幸せになればいいということでしょうか?」
「そうだ」
「贅沢ですね」
「贅沢だな」
二人は顔を見合わせて笑った。ミシェルは「ふふふ」と声を立てて笑ったが、フェリックスは口角を上げるだけだった。
そんな彼に、ミシェルはずいと身を乗り出す。
「な、なんだ」
「たいちょーさん、笑ったら絶対素敵なのに」
ミシェルは突然手をポンと叩いた。
「わたし、たいちょーさんが笑ったら幸せになれるかも!!」
「随分手軽だな」
ミシェルは言ったあとに後悔した。なぜなら彼からこぼれた笑みが予想より遙かに素敵で、今まで以上に好きになってしまったからだ。




