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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第三章 感情に振り回される同居人
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その9

 各部隊の警衛隊長達と顔合わせを済ませたフェリックスは、急いでホテルに戻った。夜に酒の場を設けているらしいが、当然不参加である。何が楽しくて、いかつい男どもと過ごさなければならないのか。

 平凡な日常を返上して任務をこなしているのだから、せめて食事くらいは穏やかな気持ちで頂きたいものだ。だから、自然と帰路につく足が速くなる。


「ミシェル、帰ったぞ」

「お帰りなさい!!」


 よほど待ちわびていたのか、ミシェルが文字通り飛んで出迎えた。


「腹が減っただろう?」


「もうペコペコです」とミシェルが力なく答えた。やることはなくても、時間になれば腹も空くに決まっている。

 レストランは、あらかじめフロントに訊いて場所を把握していた。ミシェルのことだから、かしこまった所は苦手かもしれないと家庭料理をふるまう店を選んでいる。

 

 ホテルのロビーを出たミシェルが、あまりの寒さに身震いした。この辺りは、夜ともなれば気温がぐっと下がる。


「寒いか?」


「少し」と息を吹きかける彼女の手は赤く冷たそうだ。フェリックスは手を繋いで自身のコートのポケットへ一緒に突っ込む。最初は驚いて見上げたミシェルだが、じんわりと温かい感覚に笑みがこぼれた。

 ほんのり頬が赤いのは冷気のせいか、あるいは彼への想いからか。

 本当はマシューからもらった手袋を持ってきているが、思わぬ出来事に出しそびれてしまった。

 マシューさん、ごめんなさい。

 この寒さだ、まだまだ手袋の出番はあるとミシェルは心の中で詫びた。


 

 夕食を済ませた二人は歩いて帰った。ホテルから歩いて十分なので、腹ごなしには丁度いい距離である。

 冷気が肌を刺すが、先ほど食べた鍋料理で体の芯はポカポカ温かい。


「美味かったか?」

「はい、とても勉強になりました。あのダシはやっぱり鶏でしょうか?」


 ミシェルにとっては、外食も料理の研究の一環らしい。

 そういえば、ミシェルが来てから外食しなくなったな。

 一人の時は出来合いで済ますことが多かったが、キッチンの主がミシェルに代わってから家で食べることが多くなった。

 犬のミシェルに料理をする習慣はないが、喜んでもらいたい一心で努力を重ねる姿が愛おしい。それは確実に味に表れて、マシューやクリスが押しかけてくるほどの腕前となった。


 料理だけではない。部屋の掃除や洗濯など家事もこなす傍ら、庭の花や野菜の世話までしている。おまけに、帰宅する時間に合わせて風呂も用意する気遣いだ。

 

 だからといって、ミシェルを家政婦代わりだと一度も思ったことはない。軍人でもあり独身でもある自分に、人の温もりを教えてくれたミシェルに感謝する。

 

「たいちょーさん?」


 不意に頭を撫でられてミシェルが顔を上げると、かすかに笑う彼と目が合った。滅多に見れない笑みが嬉しくて、ミシェルも微笑み返すと「あっ」と声を上げた。


「すごい!! キラキラ光ってる!!」


 見上げた彼女の視線を辿ると、そこは無数の星が夜空に瞬いている。フェリックスもこんな星空を見たのは何年振りだろうか。


「きれい……」

「私も久しぶりに見たな。ミシェルは星座を知っているか?」

「『せいざ』?」

「昔の人は、神話の動物や道具に見立てて星をなぞって見ていたらしい」

「へえ。さすがたいちょーさん、物知りですね」


 昔の女の受け売りなんだが。

 ミシェルの尊敬の眼差しがやけに眩しくて、フェリックスは罰悪く天を仰いだ。



 ホテルに戻り、シャワーを浴び終えたミシェルはダブルベッドに飛びこんだ。クッションの効いたマットレスに包み込まれて、彼女は恍惚の表情で寝そべる。

 ああ、今日はなんて幸せな日なんだろう。たいちょーさんと手を繋いで、一緒にご飯を食べて……。あ、そうそう『せいざ』も綺麗だったな。


 仰向けになったところで、見下ろすフェリックスとばっちり目が合った。同じ空間にいることをすっかり忘れていたミシェルは、まくり上がったパジャマの裾を慌てて正した。

 

「なんでしょうか?」

「明日は半日ほどいないが、一人で大丈夫か?」

「天気もいいので出掛けます」

「小遣いは?」

「家一軒、買えるくらい持っているのでご安心を」


 そんな冗談、誰が教えたんだか。

 予想はつく。

 

 卓上の時計を見たフェリックスは、ノートパソコンを閉じて浴室へ向かった。シャワーの音がすると、ミシェルは急にそわそわし始める。

 どうしよう。たいちょーさんとどうやって寝ればいいのかな。

 以前はまったく気にしなかったのに、彼を異性として意識してしまう。クリスやマシュー、アランなど一緒にいて少しもドキドキしないが、フェリックスは違った。近くにいるだけで胸が苦しくなる。

 そんな彼を一つ布団で寝るのだから大ごとだ。


 シャワーを済ませたフェリックスは、ベッドの上にしおらしく正座するミシェルにぎょっとした。


「どうした!?」

「えっと、わたしはどこで寝れば……?」


 フェリックスがベッドの方に顎でしゃくると、ミシェルが真っ赤な顔で身をよじる。


「私と寝るのがそんなに嫌か?」

「そんなことありません!! お休みなさい!!」

 

 急いでベッドへ潜り込むミシェルに、怪訝そうに見やった。以前はお構いなしに寝床へ潜り込んだくせに、今回は妙に意識する彼女に困惑する。


 三十歳の男に推定十七歳の少女。

 皆には親戚で通しているが、赤の他人が一つ屋根の下でいること自体まずいのではないか。ミシェルは犬でも見た目は人間の娘で、一緒に歩けば妹と間違えられることもしばしば。「お子さんですか?」と言われた当初に比べればましな方だ。


 ギギッと軋むベッドの音で、フェリックスが隣に寝たことを知ったミシェルは体中が熱くなる。互いに背を向けているが、起きている気配を感じた。

 広いベッドといっても、お互いの息遣いが聞こえる距離である。ドクンドクンと激しい鼓動が相手に聞こえるのではと身を硬くした。

 

「ミシェル」


 低い声が背中に投げ掛けられたが、ミシェルはそっぽを向いたまま答える。


「な、な、なんでしょうか?」

「灯り、消すぞ」

「ど、どうぞ」


 ふっと部屋が暗くなり、ほのかにオレンジの常夜灯が灯った。


「お休み」

「お、お休みなさい」


 ああ、緊張して眠れない!!

 だがその言葉は見事覆されて、間もなくミシェルから寝息が聞こえてきた。フェリックスが寝返りを打つと、ミシェルのあどけない寝顔がある。安心しきって熟睡している様子に、男として複雑な心境だ。


「たい……ちょーさん」


 寝言共にすり寄る彼女に、フェリックスの眠気は吹き飛んだ。弾力ある二つの胸の膨らみが『女』を意識させる。

 こんなことなら、床に寝ればよかった。

 自分から言い出したこととはいえ、甘えてくるミシェルにひたすら後悔した。



 トゥルルル

 アラームの音が鳴ったので、ミシェルが起きようとすると首に巻き付いた太い腕に阻まれた。


「わっ!!」


 た、たいちょーさん!? 一緒に寝てたの忘れてた!! 

 最初はベッドの端で背を向けていたのに、いつの間にか二人抱き合う形で眠っている。なんとか抜け出そうともがくも、男の力には敵わず脱出失敗。

 朝食の準備もしなくていいのだから、もう少しだけ……と厚い胸にすがるミシェルだった。

 

 


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