その8
会議の当日、早朝からの移動にも関わらずミシェルは車窓の景色に大興奮だ。初めてのドライブではないが、今まで見た風景と違い自然も多く心が弾む。
「たいちょーさん、たいちょーさん!! 下の方で水が流れてます!!」
「それは川だ」
「おぉ!! これが川ですか!?」
大きな琥珀色の瞳は、朝陽を反射する水面ごとくキラキラと輝いている。テレビなどでぼんやりとした知識しかなかったが、実際に目にすると清らかで流動的な美しさに感動した。
車で走っても途切れることのない川に、ミシェルは興味津々で尋ねる。
「どこまで続いているんでしょうか?」
「最終的には海に辿り着く」
「海……」
未知の単語にミシェルは思いを馳せる。海といったら、果てしなく広いその水は塩っぱいらしい。なんでも夏の定番ということで、これまたまだ来ぬ季節に思いを寄せる。
思いを寄せるといえば、運転席のフェリックスもそうだ。正面から差す朝日を遮るサングラスが妙に似合って格好いい。
今朝、出発時間ギリギリまで枕を抱いて寝ていた同一人物とは思えない。
「なんだ」
いつの間にか彼を見つめていたらしく、サングラス越しの視線に胸がときめいた。ここ最近、主を意識してしまう自分がいる。出会った頃から素敵だと感じていたが、ふとした仕草にドキッとする回数が増えていた。
なので、「え? あの、どのくらいで着きますか?」とごまかすのが精いっぱいだ。
「三十分ほどで着く」
「たいちょーさんと旅行なんて初めてだから楽しみです」
「旅行というほどではないが、二人で家を空けるのは初めてだな」
「お仕事なのに、わたしがついてきて本当によかったんでしょうか?」
独りで家に留守番させては心配だから、無理して同行させたのでは……とミシェルはまだ杞憂している。
「心配するな。お前がそばにいた方が私も安心する」
笑顔の彼女の頭を撫でるフェリックスだが、実はこの件でひと騒動あったのだ。
それは三日前のこと。
「隊長、会議は俺がお送り致します」
嬉々して運転手を買って出るクリスに、フェリックスは渋い顔をした。
「その件だが、自分の車で行くことにする」
「ええっ!? 遠慮なさらずに」
「別に遠慮はしていない」
せっかく上官の役に立とうとはりきっていたのに、話の腰を折られて肩を落とす。だが、ここでめげないのがクリスだ。
「では隊長が留守のあいだ、ミシェルちゃんはこの俺が守りますのでご安心を!!」
「そのことだが、ミシェルも同行する予定だ」
「エエッ!?」
訓練でも出さないでかい声がフェリックスの鼓膜を直撃する。
「じゃあ俺も行きます!!」
そう言うだろうと予想していたから、今日の今日までクリスには伝えていなかったのだ。
「慰安旅行じゃないんだぞ」
「ミシェルちゃんは良くて、隊長付きの俺はダメなんですか!? そんなに信用できないんですか!?」
目を剥いて鼻息も荒く詰め寄る部下を宥める。
「オレガレン少尉には、もっと重要な任務を任せたい」
「もっと重要な……?」
頷くフェリックスに、クリスの表情がパアッと明るくなった。敬愛する上官が頼りにしている。しかも、重要な場面で。
「任せて下さい!!」と力強く胸を叩いて咳き込む部下を、不安げに見やるのだった。
それからのクリスは、フェリックスの殺し文句が効いたのか「一緒に行きたい」と駄々をこねることなく今日に至る。
フェリックスの予想通り三十分ほどして目的地へ着くと、そびえ立つホテルにミシェルは口をぽかんと開けて見上げた。
「こんなに高くて倒れないんでしょうか?」
「ちゃんと倒れないように設計されている」
なかなか歩を進めない彼女の腕を掴んでロビーへ向かう。
「感想はいろいろあるだろうが、部屋に入るまでは大人しくしろ。あと、匂いを嗅ぎ回らないこと」
フロントで手続きを済ませたフェリックスが振り向くと、ミシェルは慌てて自分の口と鼻を両手で塞いだ。
そして部屋へ辿り着くや否や、ミシェルは歓声をあげてベッドへ飛び込んだ。
「わぁー!! 大きくてふかふか!!」
端から端へゴロゴロと寝転ぶ彼女に、フェリックスは眉を顰める。
おいおい、ダブルじゃないか。ツインで予約していたはずだぞ。
直ちにフロントへ確認すると、自身の説明不足と判明して憮然とした。
「一人で寝るには大き過ぎますね」
うつ伏せになって足をブラブラさせながら尋ねると
「一緒に寝るんだ」
「……一緒って? たいちょーさんも?」
フェリックスがベッドの方を見やって頷くと、ミシェルはたちまち真っ赤な顔になった。
ベッドに寝る!? 一緒に!?
寝惚けてフェリックスのベッドに潜りこむことはあっても、意識して一緒に寝たことがない。
「私は出掛けるが、なるべく夕飯までには帰る」
「あ、はい」
混乱するミシェルに更なる追い打ちをかけるべく、彼がVネックのセーターを脱ぎ、ワイシャツに着替え始めた。
男だけの職場で時と場所を選ばない軍人は、人前でもお構いなしである。だが、ミシェルは犬でも女でしかも人間では多感な年頃だ。そんな彼女の目の前でスラックスを脱ごうとするフェリックスに、慌てて背を向ける。
「た、た、たいちょーさん。お仕事ですか?」
「会場へ集まらんといかん。顔合わせみたいなものだな」
ネクタイを結ぶ彼を横目で確認したミシェルは、ようやく目のやり場を確保できてホッとした。
「出掛けてもいいですか?」
「ホテルから半径2キロ以内だ。あまり遠くへ行くな。それから……」
フェリックスの注意事項が懇々と続いて、ミシェルも真面目な表情で頷く。
「男に声を掛けられたら逃げなさい」
「足には自信があるので大丈夫です!!」
「もし、捕まったら私の名を出せ」
「フェリックス・コールダー隊長ですね」
「第四師団警衛隊長の肩書も付けておけ」
「了解です」
この町で名が知れているかは不明だが、軍関係の者なら少しは効果があるはずだ。軍人よろしく敬礼するミシェルは、ひいき目なしで美しくなっている。一緒に歩いていても通行人が振り返るの分かっていた。
彼等が住んでいる街では『隊長さんちのミシェル』ということで皆、一線を引いて接していたので安心だったのだが。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
自宅と同じ挨拶を交わして、フェリックスは部屋を出た。
さてと、なにをしようかな。
家なら家事をするのだが、ここはホテルなのですることがなく手持ち無沙汰である。取り敢えず、フェリックスが脱いだ服を畳んでベッドの端へ置いた。
一人では大き過ぎると思っていたベッドが、実は二人用だったとはミシェルは狼狽える。
わたし結構寝相が悪いからどうしよう。でも、一緒に寝るとあったかいからよく眠れる。
幼い頃はよく寝床に潜り込んだが、成人女性に近い今は「自重するように」とフェリックスに言い渡されていた。
畳んだ服をまた手にしてそっと頬に押し当てる。
たいちょーさんの匂いがする。
敏感な彼女の鼻は、ほのかに香るフェリックスの存在を見出したのだ。これまで感じなかった愛しさがこみ上がると同時に切なくなる。
本当に人間だったら良かったのに……。
果たしてフェリックスは、自分を犬と見ているのか人間として接しているのかがとても気になった。




