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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第一章 奇妙な同居人
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その2

 東の空から白々しく陽が昇ってきた頃だった。

 頬を舐められるくすぐったい感触にフェリックスが目を覚ますと、ミシェルの満面な笑みが目の前にあった。


「お早うございます」

「……顔を舐めるな」


 犬の習性か、時々フェリックスのベッドへよじり登り頬を舌で舐め回してくる。何度も注意したが直らないのでお陰で目覚めは悪い。

 馬乗りのミシェルを退かせると仏頂面でベッドから起き上がった。就寝が遅くてもお構いなしなので勘弁してもらいたいものだ。

 親の心、否、飼い主の心犬知らずである。

 とっくに玄関で待っているミシェルのあとを追うため、 フェリックスはトレーニングウェアに着替えるのだった。



「今日は雨が降りそうですよ」

「天気予報では晴れと言っていたが?」

「雨の匂いがします」


 ジョギングの最中にミシェルが鼻をひくつかせる。姿は人間だが時々犬の才能を発揮する便利な体質で、時に嗅覚と聴覚は人間の範囲を超えていた。

 そんな彼女が雨というのだから間違いないだろう。そして、才能だけでなく習性も抜けきっていない。

 例えば、日課のジョギングも嬉々して付き合う。走るのが好きでフェリックスの速いペースについていく健脚ぶりだ。

 この間、試しにボールを投げたらダッシュで取りに行くと口にくわえて戻ってきた。これはまずいと注意をして場を収める。


 とはいえ、まだ子どもなので程々の距離で家に帰るとシャワーの順番をミシェルに譲った。


「先に浴びなさい」

「ご主人様からどうぞ」

「その呼び方はやめろと言っただろう」

「では、なんてお呼びしたらいいですか?」

「フェリックスでいい」


 すると、ミシェルはぶんぶんと首を横に振る。


「ご主人様を呼び捨てするなんてとんでもない!!」

「その主人が許すのだから問題はあるまい?」


「名前でお呼びするのは……」とごにょごにょと口ごもって黙り込んだ。


「呼んでもいいが期間限定だ。あと五日以内に別の名を決めろ、いいな?」

「……はい」


 早急に宿題を出されたミシェルはすっかり元気がなくなってしまった。

 なんだ、この罪悪感は。まるで私が苛めているみたいではないか。

 罰悪く先にシャワーを使うと宣言してフェリックスは浴室へ向かう。そもそも一晩だけのはずが今日で二週間経つのだ。



 ミシェルが初めて家に来た日、一晩だけと世話をしたが名前を付けたのが間違いだった。情が移ったのか、「お世話になりました」と寂しそうに小さな背中を向けた刹那フェリックスの心が揺れる。


「うちも番犬が必要だ」


 ぱあっと輝く少女の顔。だが、すぐしゅんと項垂れる。


「でも、わたしではお役に立てるかどうか」

「私が躾けてやる」


 存分な言い方だが、今のミシェルは喜びの方が大きく気にもならなかった。


「嫌ならいい」

「嫌じゃありません!! 本当にいいんですか?」


 頷く彼の胸に飛びこんで頬をすり寄せる。

 こうして、二人の奇妙な同居生活が始まったのだ。



 ミシェルがシャワーを使っているうちに朝食の支度に取り掛かる。今朝のメニューはパンケーキとツナサラダに牛乳だ。


「わー、パンケーキ!!」


 早くも匂いを嗅ぎつけたのか、浴室から出て来るや否や歓声が上がる。大層なものでもないのでフェリックスの方が気恥ずかしくなった。


「いただきます」

「いただきます!!」


 食前後の挨拶をする、これも彼のしつけの一環だ。

 順調に食事も進んでいくが、パンケーキにかけた蜂蜜を舐めようとするミシェルに鋭い視線が飛ぶ。

「くうん」と名残惜しそうに皿を口から離した。犬の姿なら耳をパタッと倒して項垂れている感じかも知れない。


 それでも来た当初は「皿は舐めるな」とか「フォークとナイフを使え」だの、細かい指導が入っていたが今はだいぶ少なくなった。彼女が卑下するより賢く飲みこみも早いので、躾けのしがいあるというものだ。


 食事を済ませると、フェリックスは部隊へ行く支度を始めた。洗面台で髭を剃り、整髪剤で軽く前髪を上げる。

 パリッとのりが効いた白いシャツを着て、慣れた手つきでネクタイを結ぶ光景がミシェルが一番好きだ。普段着の彼が軍服を着た瞬間『軍人』の顔になる。

 はあ……。いつ見てもカッコいいなあ。

 自慢の主人に見惚れていると


「ミシェル、鞄を取ってくれ」

「あ、はい!!」


 ソファに置いてある黒のビジネスバッグを彼に手渡した。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 必ず礼を言って頭を撫でるフェリックスに、ない尻尾を振りまくりたい。


「行ってくる」

「行ってらっしゃい。お気を付けて」


 独身の彼に無縁だった挨拶が毎朝交わされる。今まで黙って家を出るだけだったので、こんな生活も悪くないと口元が綻んだ。



 部隊に着くと二十代前半の若者が出迎えた。癖のある金髪に青い瞳で、いかつい者が多いこの隊に似つかわしくない柔和な顔立ちである。


「お早うございます、隊長」

「お早う、オルガレン少尉」


 クリス・オルガレンはこの仏頂面の上官を尊敬してやまない。なので、隊長付に任命された時は天にも昇る思いだった。

 他の部署の同期からは「生きて帰って来いよ」と存分な言い方をされたが、クリスにとってはこの上ない幸せである。

 ああ、俺もいつになったら隊長みたいな軍人になれるのかなあ。

 そんな彼の憧憬を打ち破る怒号のような挨拶が聞こえてきた。


「皆の衆、おはよう!!」


 どかどかと足音を立てて歩いてくるのはがっちりした体格の中年男、マシュー・モーガン。頭の赤毛は薄いくせに体毛は異常に多いのは、まくり上げた戦闘服の袖やはだけた上着で確認できる。

 クリスはできれば朝から会いたくないので、できるだけ自分の存在を消すことにした。


「よお、隊長殿とお付きの者」


 あーあ、見つかったよ。面倒臭いなあ。

 クリスは心の中で舌打ちする。


「相変わらず無駄にいい男だな。さしずめ裏組織のボスって面だ。軍人にしておくには勿体ない。なあ?」


 タメ口の部下にフェリックスは一瞥するだけで咎めようとはしない。クリスは不思議に思うのだ。

 なんでこっちに振るかな。答えにくいじゃないか。

 返事をしなければ、この傍若無人な男のスリーパーホールドの餌食になる。だが、答えたら敬愛する隊長の誹謗に値する。この男に会うたびに究極の選択に迫られるのだ。


「ノーコメントで……。ぐえっ!!」


 イエスでもノーでも餌食にするつもりだったらしい。マシュー曰くスキンシップが大切だとかで、暇さえあれば隊員達にプロレス技をかけまくる。

 唯一、被害を被っていないのがフェリックスだ。そんな彼のわずかな変化を見破って


「お、寝不足か? 女が寝かせてくれなかったか?」

「ええっ!?」


 にやけて小指を突き立てるマシューと驚愕のクリスを交互に見やるフェリックス。女は女だがメス犬だと誰が信じるだろうか。

「やるねえ」と恐れ多くもバンバンと隊長の背中を叩くこの男、ちなみに階級は軍曹だ。


「朝礼を行う。全員集合」

「逃げやがったな。ますます怪しい」

「いいから、みんなを呼んできて下さい!!」


 これでは誰が上官だがわかりゃしない無礼講の部署である。



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