その5
ミシェルの案内で花屋へ向かったマシューは、色とりどりの花達に目移りして戸惑った。
「いらっしゃいませ」
女店員の眩しい笑顔と明るい声に、マシューが赤毛を掻くながら店内に進む。こんな時、ミシェルが一緒にいてくれて助かったとつくづく思った。
「ミシェル、適当に見繕ってくれ」
「了解です」
ミシェルはぐるりと辺りを見回して花を選び始めた。彼の妻子の情報や面識はまったくないが、一本一本故人を偲んで大切に束ねていく。
店員と相談しながら花束を作るミシェルに、マシューは亡き娘の面影を重ねた。生きていれば、こうして二人で花屋に行くこともあっただろう。
やがて、ミシェルが出来上がった花束を両手にやってきた。オレンジや白など暖かく華やかな色にまとめられている。
やっぱり、ミシェルを連れてきて正解だったな。
彼一人では、到底このようないいものにたどり着けなかったに違いない。
「いかがですか?」
マシューが満足気に頷くと、大役を果たしたミシェルに笑顔がこぼれた。
休暇まで日にちがあるので、枯れないようコーティング加工を施してもらい花屋をあとにする。
「お陰で助かった。さてと、後ろの坊やがお待ちかねだから退散するか」
後方に顎をしゃくるマシューの視線を追うと、店の間から顔を出してこちらの様子を窺うアランを発見した。
「アラン!?」
「ずっと俺達をつけてきたが、尾行は下手だな」
気配に敏感な特殊部隊あがりの軍人に、素人のアランはたちうちできない。
「ありがとよ、ミシェル。隊長殿によろしく」
マシューは買ったばかりの花束を掲げて帰っていった。それを見計らってアランが姿を現した。
「やあ、ミシェル。偶然だね」
マシューにばれていたとも知らず、偶然を装うアランに失笑する。
「な、なんだよ」
いきなり笑われて彼が拗ねた。
「いえ、なんでもありません。わたしに何か?」
「この間のことで、もう少し話がしたくてさ」
「この間?」
「コールダー隊長の噂だよ」
思い出したのか、ミシェルが「ああ」と声を上げる。
「今朝、コールダー隊長に会ってきたんだ」
「たいちょーさんにですか?」
「自分の目で確かめたくてね」
フェリックスは優しい人だと、ミシェルが真剣に訴えるので確かめたくなったとのことだ。
「どうでした?」
「まあ、短い時間だったけど前より怖くなかったよ」
「でしょう? たいちょーさんは全然怖くないですって」
やっと同意してくれたアランに、ミシェルは満面な笑みを浮かべる。それを見てまた彼は複雑な心境になった。
ミシェルって、コールダー隊長のことになるといい笑顔するんだよなあ。
と、ここで嫌味の一つでもこぼしてしまえば、せっかくのチャンスを棒に振るので我慢する。
「ミシェルは隊長と暮らして長いの?」
フェリックスと同じ質問を投げ掛けると、ミシェルは瞬きを二、三回した。
「えっと……」
二人の関係は親戚ということで口裏を合わせていたが、暮らした経緯までは打ち合わせしていなかったのだ。咄嗟にうまい言い訳が思い浮かばず困惑すると、アランの方から「ま、いいや」と切り上げた。
「とにかく、噂をそのまま信じちゃいけないって分かった」
「誤解が解けて嬉しいです」
二人は笑い合うと、仲良く市場を歩き回るのだった。
アランとの距離が一段と縮まり、ミシェルは上機嫌で夕食の準備に取り掛かる。今夜はフェリックスが好きなポトフだ。
「ただ今」
低い声にミシェルは文字通り玄関へ飛んでいく。
「お帰りなさい!!」
「何かいいことでもあったのか?」
いつもより弾んだ声に、フェリックスが訊いた。
「今朝、アランとお会いになったそうですね」
「彼から聞いたのか?」
「夕方、市場で会いました。そういえば、マシューさんとお花を買いに行きました」
バッグとコートを受け取ったミシェルは、一緒に廊下を歩きながら夕方の出来事を話し始める。
「週末お墓参りに行くっておっしゃってましたが、たいちょーさんはご存知ですか?」
「ああ」
フェリックスがネクタイを外して椅子の背もたれに掛けると、素早く彼女がコートの上に重ねていった。その行動によくできた娘だと頬を緩ます。
着替えを済ませたフェリックスが食卓に着くと、ミシェルがポトフを皿によそった。めっきりと寒くなったので、温かい湯気と食欲を誘う匂いに顔が綻ぶ。
「いただきます」
「いただきます」
何気なく顔を上げたミシェルの視界に黒髪のフェリックスがいた。温かい料理に温かい人、野良犬の頃には味わえなかった幸福な時間。
フェリックスがいるのが当たり前になって、独りの寂しさをすっかり忘れていた。マシューが妻子の思い出を抱いて孤独に耐えて来たかと思うと、胸の奥がずうんと重い。
向かい合って食べていたミシェルのスプーンがふと止まった。
「どうした」
「一緒に食べる人がいるっていいですね」
小さく笑った彼女はスープに視線を戻した。きっと、マシューの身の上を考えていたのだろう。パンにオリーブオイルと塩をつけて食べていたら
「たいちょーさんは、一人で暮らして寂しくなかったですか?」
と、ミシェルに訊かれてその手を止めた。
「私は、成り行きで一人だったからそうは思わなかった」
結構痛い所を突かれたとフェリックスは苦笑する。それなりに女性関係はあったが、一生を共にする伴侶となると二の足を踏んで現在に至った。彼も健全な成人男性でひと肌恋しい時期もあったが、運命的な出会いもなく結果的に独身を貫く形となった。
独りに慣れた矢先にミシェルが現れたものだから、いつも家に人がいる心地よさを知ってしまった。
「今はお前がいるから寂しくはない」
一瞬、ミシェルの心臓が「キュン」と音を立てる。立ち上る湯気の向こう側で、フェリックスが微笑んだ気がしたからだ。
その後も彼女の鼓動は、フェリックスに聞こえるのではないかと不安になるほど大きく速い。料理を褒める彼の言葉が頭の上をただ通り過ぎる。
わたし、どうしちゃったんだろう。
顔が火照ってまともに彼が見られない。
「ミシェル?」
ずっと俯いたまま食が進まない彼女を覗きこんだ。
「あ、はい。なんでしょうか?」
「人間、遅かれ早かれ別れはあるものだ。そのあたりは、モーガン軍曹も心得ているから心配するな」
マシューを思いやって沈んでいると勘違いしたフェリックスが慰める。ミシェルの気持ちはそちらではなく、懇々と説いているフェリックスへ傾いた。
軽く息を吐いたフェリックスの手が伸びて、ミシェルの頭を撫でる。サラサラと手触りのいい栗色の髪だと彼は思った。
「だから、縁あって出会った人には誠心誠意で接してほしい」
「誠心誠意……」
心のノートに書き留めるように呟くミシェルに、彼は頷く。
「だから、たいちょーさんは優しいんですね」
いつしか胸の鼓動が白い頬を伝う一粒の涙に変わると、フェリックスははっとした。初めて見るミシェルのそれは、真珠よりも美しく零れ落ちる。
流した本人が一番驚いて慌てて手で拭った。
「わたし、どうしちゃったんだろう」
「泣きたい時は思い切り泣けばいい」
「泣く? これが涙……?」
本や映像では見たことがあったが、自分が泣いている事実に唖然とする。ぽろぽろと涙を流すミシェルを、フェリックスは料理が冷めるのも構わず見守っていた。




