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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第三章 感情に振り回される同居人
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その2

 歳が近いアランの答えはまさに目からウロコで、この事実はミシェルに衝撃と感動を与えた。

 様々なアトラクションで遊んでいる最中も、彼女の熱い視線がアランに注がれるものだから後ろめたさについ白状する。


「さっきの、実はマンガの台詞なんだ」

「マンガ……ですか?」

「偉そうに言ってごめん。がっかりした?」

 不安げに尋ねる彼に首を左右に振る。


「わたし、気にしてませんよ。とても参考になりました」


 ミシェルの笑顔にホッと胸を撫で下ろした。


「ところで、ミシェルは今まで誰を基準にしていたわけ?」

「たいちょーさんです。でも、自分で決めないといけないって言われて」

「あの人を基準にしたら大変なことになるよ」


 大袈裟に肩を竦めるアランに、ミシェルは首を傾げる。


「どうしてですか?」

「だって、あの顔で睨まれてみろよ。大抵のやつは逃げ出すって」

「そんなことありませんよ」


 ミシェルは小さく笑って否定したが、アランは尚も続けた。


「体調が悪くても、無理して働けみたいなところあるんじゃない?」

「たいちょーさんはいつもわたしを気遣ってくれてます」

「ミシェルが気付かないだけだよ」


 次々と口から滑り出すフェリックスの批評に、ミシェルは怒りを感じてコートの袖口に隠れている手を握り締める。


「たいちょーさんは優しい方です!! 一緒にいるわたしが一番よく知ってます!!」

「ミシェル?」


 声を荒らげて目を剥く彼女にアランは驚いて唖然とした。いつも笑顔で従順なミシェルが、突然怒りを露にして狼狽える。


「そ、そんなにムキにならなくても」

「基準は自分自身だってアランも言ってたじゃないですか!! たいちょーさんの何を知ってるの!?」


 悔しかった。

 外見だけで判断する身勝手な人間達。その者達に捨てられた仔犬の記憶がふつふつと沸き上がり、不条理にも目の前の少年に逆上する。


「みんな、わたしを見向きもしなかったじゃないですか!! 死にかけていたのに助けてもくれなかったじゃないですか!!」

「な、なんのこと? 病気してたの?」


 アランは、支離滅裂な内容を必死に理解しようと頭を巡らした。大粒の涙をポロポロとこぼすミシェルに、通行人が興味津々で見ていく。


「ごめん。ミシェルの叔父さんだったんだよね」


 何度も謝る彼の言葉は、ミシェルの耳を掠めるだった。




 結局、気まずさを引きずって二人はテーマパークをあとにした。アランは家の前まで送ってくれたが、ミシェルは終始無言だった。口を固く結び強ばった顔は解れることがない。

 これまでの生い立ちは、アランには一切関係ないのに八つ当たりしてしまった。あんなに感情を曝け出すつもりはなかったが、どうにも抑えきれなかった自分に嫌悪する。



「さっきはごめん」 


 これで何度目だろうか。アランの弱々しい謝罪に、ミシェルは小さく笑った。


「わたしこそ取り乱してごめんなさい。今日はありがとうございました」


 彼女は深々と頭を下げると小さな背中を向けた。何か言いたげだったアランも背を向ける。



「ただいま帰りました」


 返事がないのでリビングへ行くと、部屋は静まり返り誰もいなかった。

 テーブルに視線を落とすと、一枚のメモが置いてあるので手を伸ばす。


《急用で部隊へ行ってくる。遅くなる場合は、夕食を済ませて先に休んでなさい》


 内心ホッとした。こんな沈んだ気持ちで顔を合わせたくなかったからである。

 ソファーに身を委ねて目を閉じた。



 フェリックスが帰宅したのは夜の十時を過ぎていた。ミシェルのことだから待っているに違いないと家路を急ぐ。

 

 「ただいま」と言い掛けて口を噤んだ。眠っていたらまずいと思ったのだ。リビングを覗くと案の定ソファーで寝息を立てる少女がいる。


「ミシェル、風邪引くぞ」

 

 軽く肩を揺すったが起きる気配がない。アランと出掛けて疲れたのか、なかなか起きないミシェルを抱き上げて彼女の部屋へ向かった。

 横抱きにしたミシェルは幼い頃に比べて重くなった。

 随分大きくなったな。

 五歳ほどの差を一夜にして飛び越えたミシェルを感慨深く見つめた。

 すらりと伸びた細い手足、あどけない寝顔、そして……膨らんだ胸に慌てて目を逸らす。

 部屋に着くとミシェルをベッドに寝かせた。乱れた前髪を指で整えると幸せそうに微笑んだ。眠りに落ちても気配でフェリックスを感じたのだろう。

 

 リビングへ戻り、ソファーに深々と体を預けて天を仰ぐ。彼女から聞きたいことは山ほどあった。

 アランとどこへ行って何をしたのか、どんな話をしたのか……。干渉し過ぎるとマシューは呆れるだろうが、フェリックスにとっては全てが不安要素だ。部下は育てても、子どもを育てるどころか接する機会もなかった。

 アランと楽しく喋りながら歩くミシェルを想像すると胸がもやもやする。これが娘を想うあまり、嫉妬に駆られる親心なのか。新たな感情に、納得しようにも釈然としない自分にまた憮然とする。するりと手を抜けていく砂のようにもどかしい。

 盛大なため息をついてそのまま目を閉じた。




 翌朝、ミシェルが目を醒ますと何故か自分のベッドの中だった。しかも外出した服装のままで。

 確かアランと出掛けて途中で喧嘩して、帰宅すると疲れてソファーで寝てしまったらしい。では、誰がここまで運んできたのか、答えは決まっている。

 たいちょーさんが連れて来てくれたの?

 シャワーを浴びるとキッチンへ向かった。まだフェリックスはいなかったので、エプロンを付けて早速朝食の取り掛かる。

 包丁がリズミカルにまな板を叩く音、目玉焼きを焼く音。いつもと変わらない光景だが、ミシェルの気持ちは重かった。昨日の出来事を思い出すたびにため息をつく。


「おはよう」

「たいちょーさん、おはようございます」


 寝ぼけまなこに寝癖のついた黒髪は、部下には見せられない姿だ。


「たいちょーさんがベッドへ連れて行ってくれたんですか?」

「ああ。服がしわになるが仕方あるまい?」

「重かったでしょう?」


 フェリックスはコーヒーメーカーに歩いていくと、カップに香ばしい液体を注ぐと一口飲んでこう言った。


「警衛隊長の肩書はだてじゃない。お前一人くらい抱えられるよう訓練している」

「軍ってお姫様抱っこの訓練もするんですか!?」


 素朴な質問にフェリックスは返答に困る。


「例えばの話だ。怪我した人間を抱える場合もあるから鍛えている」

「なるほど」


 納得したのか深く頷くミシェル。マシューの体格なら、ミシェルと言わずクリスや下手すれば上官まで肩に担いでいけそうだ。

 

「とにかくありがとうございます」

「昨日は楽しかったか?」


 自然の流れで訊いたつもりが、彼女の表情が沈んでいく。


「え、ええ」と口ごもるミシェルの顔を覗きこんだ。


「何かあったのか?」

「別になにも」


 ミシェルが言い出すのを待とうとしたが、ある考えが浮かび目を剥く。


「まさか、変なことをされたんじゃないだろうな!?」


 これには彼女も驚いて、大きくかぶらを振って全力否定した。


「ち、違います!! アランはそんな人じゃありません!!」


 どうだか。

 フェリックスは、ミシェルを想うあまり疑心暗鬼になっていた。



 




 

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