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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第三章 感情に振り回される同居人
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その1

「これからどうなるか、わたしもわかりません。あの人との約束もあるし」


 ミシェルは、言ったあとからはっとして慌てて口を噤んだ。しかもよほど聞かれたくないのか、すぐに立ち上がりまたキッチンへ行ってしまった。

 これまで遠慮はあったが隠し事はなかった。言いづらそうにすることはあったが、必ず話してくれた。

 いつも心を開いてくれたのに、今の彼女はフェリックスを頑なに拒む。彼女自身で決めろと言っておいて詮索もできずただ見守るしかなかった。

 



『あの人との約束もあるし』

 

 誰に会うにも伺いをたてていたミシェルが黙っている。しかも、滅多に見ない硬い表情だった。

 

 出勤して早々、組んだ指に額を乗せて考え込むフェリックスに部下は声を掛けられない。

 唯一、成せるのは大声で挨拶しまくるこの男だけだ。


「よお!! 隊長付き、花壇は上手くいったか? といってもほとんど俺がお膳立てしていたがな」


 マシューがクリスの背中を叩いて悲鳴が待機室に木霊する。


「お陰様でミシェルちゃんに喜ばれました。『お花、楽しみです』って」


 楽しみなのは、菜園ではなく花壇だと強調するクリスに肩を竦めた。


「わかってねえな。お前さんにお嬢ちゃんが気を使ったんだよ」

「そんなことないですよ。あれは本心です」

「めでたいやつだ」

「オレガレン少尉、モーガン軍曹。こちらへ」


 いがみ合う部下達に隊長の鋭い声が飛び、二人は顔を見合わせてデスクへ向かう。


「なんでしょうか?」

「オレガレン少尉。ミシェルと約束したのはあの日だけか?」


 クリスはぎくりとした。やはり、心変わりにして取り消されるのかと尋問に肝を冷やす。


「はい」

「モーガン軍曹は?」

「俺か? これといってしてねえぜ」


 クリスは目が泳いでいるが格段怪しい所はないし、マシューも嘘をつけるタイプではない。

 そうなると、思い当たるのはあの男子高校生だけになる。

 二人を開放すると腕を組んでまた思いに更けた。


「どうしたんでしょうか?」

「さあな。鬼隊長も子育てに苦労なさってるんだよ」


 馴れない敬語に噛みそうになりながらマシューが言う。その鬼隊長は、皆に背を向けて窓を眺めていた。




 次の日曜日、呼び鈴の音にミシェルが玄関へ飛び出した。


「おはよう、ミシェル」

「おはようございます」


 少しばかりお洒落な格好の彼女に、アランは照れながら挨拶すると奥からやってきたフェリックスと目が合う。

 

「おはようございます、コールダー隊長」


「おはよう」と威圧的に挨拶した軍人だが仕事が深夜まで続き、寝起きの悪さに拍車を掛けてほんの数分前までベッドでぐずっていたのはミシェルしか知らないことだ。

 


「じゃあ、たいちょーさん行ってきます」

「なるべく早く帰るように」


 力がこもった言い方とともに、アランには釘を刺す一瞥が入った。

 

 ミシェルを見送ってリビングへ戻るとやけに広く感じた。たった一人欠けただけで、こんなに違うのかと唖然とする。

 玄関先でアランにエスコートされて出ていくミシェルに一抹の寂しさを覚えた。彼女ありきの生活を失いたくないのは自分の方だと自嘲する。


 気分転換に整理でもするか。

 手持ち無沙汰の彼が向かった先は書斎だった。洗濯や掃除は、出掛ける前にミシェルが済ませたのでやることがなかったのだ。

 整然としたリビングに対して、荒れ放題の書斎に我ながら閉口する。片付けはミシェルに任せていたが、この部屋だけは手を付けなかった。


「書斎は男の戦場で、女には触らせたくないかと」


 いつぞや理由を尋ねると、彼女の口からそんな台詞が返ってきた。


「誰が言った?」

「この本に書いてました」


 テーブルに置いていた読み掛けの本を彼に差し出す。タイトルは『巨額の富に群がる欲望』


「こんなのを読んでいるのか!?」


 顔に似合わずヘビーな作品を、と驚いていると


「クリスさんが貸してくれました。これを読んで登場人物と自分を重ねるそうですよ」


 本の裏側に書いているあらすじはこうだ。


『上京してきた平凡な青年が勤めていた会社に不穏な影が!! 壮大な陰謀に巻き込まれながら、彼は巨額な富を手にするのか!!』


 これを読んで、今の立場が相当つらいのかとクリスに同情したものだ。


 ふと存在を思い出して、その本を引っ張り出して読んでみた。ありふれたタイトル通り、ありふれた内容だがさくっと読めるので暇つぶしには丁度いい。

 だが読み進むうちに、男女の情事や痴情のもつれなど生々しい描写に顔をしかめた。

 幸いなことに、ミシェルの挟んだしおりはまだここまで到達していない。

 このページを開いて説明を求める彼女の様子が想像できるだけに、事前に阻止できてよかったと胸を撫で下ろす。

 

 それにしても、ミシェルにこんな大人びた本を貸すとはどういうつもりだ!?

 部下の神経を疑ったが、彼とて二十二歳とまだ若いのだ。少しくらい濡れ場の描写があっても責める謂れはない。

 そもそも、自分の場合はどうだったか。それこそ部下に説教できる立場ではない。

 フェリックスはまた本棚に仕舞って片付けを始める。でないと、余計な事を考えて心の迷宮に誘われそうだった。




 一方、ミシェルはアランの案内で隣町のテーマパークに来ていた。彼女の保護者の性格と年齢を考えると、恐らくこういった場所に連れて来ないと踏んだのだ。

 そして彼の予想通り、賑やかに動き回る大掛かりな遊具にミシェルの目は釘付けである。


「わぁーっ!! すごい!!」

「ちょっと子どもっぽいかな?」

「そんなことありません!! とっても楽しそう!!」


 小走りで園内へ入るミシェルに、ここ一週間勉強そっちのけでデートスポットを選んだ甲斐があったと満足する。


「アラン、早く!!」

「そんなに慌てなくても逃げやしないよ」


 休日とあって、家族連れやカップルに混じって入園するアランはご満悦だ。

 隣に並んだミシェルが手を繋いできたので、驚いて視線をやるとにっこり笑っていた。


「迷子になったら大変ですから」

 

 首元のファーが彼女の笑顔を包み込んで、ふんわり温かい気持ちになる。

 アランは小さな手を握り返して軽やかに走っていった。


 その手はマシューやフェリックスと違ってそんなに大きくなかった。前者はゴツゴツしているが温かく、後者は意外と指が長く手全部を包み込む。

 視線を上げると、少年らしさが残る線の細いアランの背中。

 比べるのは、逞しく広い黒髪の軍人のそれ。

 大人と高校生の差を身近に感じた瞬間に、あの言葉が蘇る。


『私が基準ではない』


 無意識に、フェリックスと比べてしまう自分を追い払うように大きくかぶらを振った。


「どうした?」


 怪訝そうに尋ねるアランに「なんでもありません」と笑ってみせる。


「アランは何を基準にして物事を決めていますか?」


 突然、真面目な話を持ち出されて返答に困っていたが


「誰もしていないさ。俺は俺自身だし誰も変わりはできないと思うよ」


 すると、琥珀色の瞳がたちまち尊敬の色に染まった。


「アラン、すごいです!! 尊敬します!!」

「そ、そう?」


 愛読しているマンガの台詞を引用したとは言えず、アランは罰悪く頭を掻く。


「わたしはわたし自身……」


 ミシェルは自分に言い聞かせるように何度も呟いた。




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