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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第二章 ちょっぴり大人になった同居人
22/103

その10

 ホームセンターから戻ったマシューは、早速土壌作りに取り掛かった。どこからか調達した鍬で地面を掘り起こして柔らかくする。

 傍らで作業を見守っていたミシェルはうずうずしていた。

 わたしも穴を掘りたいなあ……。

 意識の奥深く沈んでいた犬の習性が蘇る。


 そんな彼女を察したのか、マシューは途中まで振り上げた鍬を地面に下ろした。


「やってみるかい?」


 ミシェルは喜々して鍬を手にした瞬間、予想以上の重さによろめく。


「はっはっは!! ちと無理だったか。苗を植える時に掘ればいいさ」


 マシューは耕し終えるとミシェルに苗の植え方を教えた。久々の土の感触に、我を忘れて掘り進める彼女に慌ててストップをかける。


「温泉でも掘るつもりか? 根元が隠れていたらいいんだぞ」

「そうなんですか?」


 顔まで突っ込みかけたミシェルがきょとんとした。土に塗れた白い手と顔を、マシューは首に掛けたタオルで拭ってやる。

 やはり、穏やかで寂しげな眼差しがミシェルは気になった。


「最近のマシューさん、わたしを見る時寂しそうです」

「そう見えるか?」

「はい。とても悲しげ目です」


 マシューは少し驚いた顔をして短い赤毛を掻いた。ふうっと息を吐いてウッドデッキに腰を下ろすと、ミシェルも続いて隣に座った。


「うちの娘も生きていりゃお嬢ちゃんくらいか」


 そう言って懐かしい瞳で空を見上げる。まるで、そこに思い出が投影されているかのように。


「嫁さんと娘がいたんだ。もう七年前になるな」


 『いた』と過去形になっていたのをミシェルは聞き逃さなかった。


「今はいらっしゃらないんですか?」

「特殊部隊で任務を終えた俺を迎えにくる途中、事故に遭って二人とも天国へ逝っちまった」

「天……国」


 かつて野良犬で生死を彷徨っていた頃を思い出してしみじみと呟く。しんみりした彼女の頭に大きな手が載った。フェリックスとは少し違うごつごつした分厚い掌だ。


「その時の小隊長がフェリックス・コールダーだったんだよ」

「たいちょーさんはこのことは知ってらっしゃるんですか?」

「ああ」


 ミシェルは彼に掛ける言葉が見つからず、二人の間に重く静かな時間が流れる。「さてと」とマシューが腰を上げた。


「続きをやっちまおうか。近頃は陽が暮れるのが早いからな」


 わざとらしいほどの明るい声色に、ミシェルも元気よく「はい!!」と返事をした。




 フェリックスは自宅に帰ると庭へ回ってみた。シフトオフのマシューが、ミシェルと一緒に菜園をこしらえているはずだ。

 そして、それを見つけた率直な感想は


「さすがだな」


 植えたばかりで所々寂しくもあるが、畝もあるし形になっている。


「お帰りなさい。凄いでしょ?」


 カーテンが開く音がして、ミシェルが部屋から顔を出した。


「ほとんどマシューさん一人でなさったんですよ」

「そうか」

「わたしが植えたのはこれです」


 外に置いてあるサンダルを履いて、フェリックスの傍で指を差す。正直、彼にはなんの野菜か分からないが労う意味で頭を撫でた。

 嬉しそうな笑みを浮かべたミシェルが急にしんみりする。


「どうした?」

「今日、マシューさんのご家族のこと聞きました」


 フェリックスの眉がわずかに跳ねた。

 

「モーガン軍曹が話したのか」

「はい。奥様と娘さんを亡くした時の上官がたいちょーさんだったそうですね」


 フェリックスが、ミシェルの背中に手を当てて部屋に入るよう促す。夜になって気温が低く、吐く息もかすかに白くなりつつあった。

 

 ミシェルが手渡すコーヒーが、室内の暖かさと相まってじんわりと冷え切った体に染み入る。ほっと一息ついてフェリックスが口を開いた。


「あの通りひと癖あるものだから、ほかの幹部と反りが合わなかった」

「たいちょーさんとは反りが合ったんですか?」

「お互い大人だから、無理にでも合わせるというものだ」

「お二人はとても仲がいいとクリスさんが羨ましがっていました」

「私と彼が仲がいいだって?」


 とんだ勘違いだとフェリックスが眉を顰める。


「あれから別々の部隊にいたんだが、訳あってまた一緒に勤務する羽目になっただけだ」

「ご縁があるんですね」

「だから『腐れ縁』なのさ」


 嫌そうにぼやくフェリックスの横顔を見ながら、ミシェルはマシューとの会話を思い出した。


『葬式が終わってもあいつは最後までいやがった。こっちは情けない姿を見せたくねえのにな。

 普通、お偉方はさっさと帰るもんだろうが。薄情そうな面してんのに変に優しいから始末が悪い』


 たいちょーさんらしいな。

 知らず知らず頬が緩んでいたらしく、フェリックスが怪訝げに尋ねた。


「ほかに何か言ってなかったか?」

「いいえ、何も」

「本当か?」

「はい。これで終わりです」


 琥珀の瞳を覗きこむと、大きく見開いてじっと見返してきた。


「な、なんだ」

「たいちょーさんは優しくていい方ですね」

「!!」

 

 『優しい』だの『いい方』だの、言われ慣れていないフェリックスの頬が赤く染まる。


「あれ? たいちょーさん、顔が真っ赤ですよ? 具合が悪いですか?」


 頭を思いきりかき乱されたミシェルは、くしゃくしゃになった髪を撫でて涙目で訴えた。


「ふえぇ~。ひどいです~ぅ」

「うるさい!!」


 フェリックスはぶっきらぼうに吐き捨てると、さっさと立ち上がって浴室へ行ってしまった。ミシェルは栗毛を手櫛で整えていたが、彼の姿が見えなくなるとほくそ笑む。

 これこそ彼女にとって最高のスキンシップなのだった。




 マシューが菜園を実行して三日も経たないうちに、クリスが満面な笑みでミシェルの家にやってきた。


「やあ、ミシェルちゃん!!」

「おはようございます、クリスさん。今日はよろしくお願いします!!」


 ぺこりと頭を下げた彼女に、クリスはだらしない表情になる。

 ミシェルちゃん、いつ見ても可愛いなあ。


「オレガレン中尉!!」

 

 デレっとした気持ちが一瞬にして引き締まる呼び声に、クリスは反射的に姿勢を正した。


「は、はい!!」

「ミシェルを頼んだぞ」

「このクリス・オレガレンにお任せ下さい!!」


 胸を激しく叩きすぎて咳き込む部下を、フェリックスは心配そうに見やる。無事ミシェルの任務を遂行したと、マシューがクリスを煽っている現場を目撃しただけに心配だ。

 ミシェルが絡むと、大人げなく競い合う二人に呆れる。


「まずは花の苗を買いに行こうか。それから、花壇を土つくりから始めて……」

「花壇はマシューさんが作ってくれました。あとは苗を植えるだけでいいそうですよ」


 あのオヤジ、余計なことをして俺の出番がないじゃないか!!

 明らかにクリスの技術より出来のいい花壇を恨めしく見つめた。

 

 気を取り直してクリスは、ミシェルと一緒に市場を散策していると


「ミシェル!!」


 背後から呼ばれて、ミシェルとクリスが振り向いた。


「あ、アラン。おはようございます」


 息を弾ませて隣へ並ぶ青年に、クリスの警戒度はマックスとなる。

 こいつがアランって若造か!!

 赤褐色の髪に茶色の瞳、そして自分と同じく甘いマスク。向こうもこちらの気配に気付いたらしく軽く睨んでいた。




 



 

 

 

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