その8
「寒い時はコレですね」
「もっとエビを入れろ。これじゃあ足りんぞ」
「贅沢言わないで下さい!! そもそも、費用は隊長持ちなんですから」
「構うもんか。高給取りなんだから痛くも痒くもなかろう」
「今日はいっぱいおまけしてもらったので大丈夫です」
「あいつはお嬢ちゃんに弱いから文句は言わん」
部隊から帰ってきたフェリックスが、玄関のドアを開けると奥がなにやら騒がしい。
男物の靴が二足置いてあったので嫌な予感がしつつリビングへ行くと、ミシェルと部下二人が夕食準備の真っ最中だった。
「あ、お帰りなさい!!」
鍋を運ぶミシェルがフェリックスに気付いた。
「よお、ちょうど出来上がったところだ。早く着替えてこいや」
「お邪魔してます」
我が家みたいに寛ぐマシューとクリスに閉口する。これでは、誰がここの主かわかりゃしない。
「なぜ、私の家で飯を食おうとしている?」
「なぜって、鍋はみんなで食うものだろうが」
「……意味が解らん」
マシューがさらりと答えると、フェリックスは前髪をクシャっとかき乱した。呆れた口調にお構いなしのクリスが嬉々して説明する。
「来月のシフト表をお持ちしたら、夕食に誘われちゃいました」
「今夜は海鮮ブイヤベースだ。二人きりじゃありつけないから、俺達に感謝しろよ」
ふんぞり返るマシューを横目に、フェリックスは上着を脱いで控えていたミシェルに渡した。
「冗談じゃない」
ぼそりと呟くと、「鶏肉の方が良かったですか?」と的外れな解釈をするクリスに至っては論外である。ご機嫌斜めの主を宥めようとミシェルがおたま片手に口添えした。
「お鍋はみんなで食べると美味しいと聞きました。たいちょーさんにもっと美味しく食べてもらおうと思ったんですが」
だから、その上目遣いはやめろ。
切ない瞳を向ける彼女にこちらが罪悪感を覚える。多勢に無勢で旗色が悪いフェリックスは、自分の部屋へさっさと引き上げた。
フェリックスが着替え終わって席に着いたところで食事となった。ミシェルがふたを開けると、湯気と共にふんだんに煮込んだ魚介の匂いが食欲をそそる。各々皿に取り分けて食べ始めると称賛の声が上がった。
「美味いですね!!」
「こんな美味いブイヤベースは初めてだぞ」
「食材を鍋で煮込んだだけなので、あんまり褒められると恥ずかしいです」
上気した頬を両手で押えるミシェルは嬉しそうだった。フェリックスも褒めたかったが、彼等に先を越されてタイミングを失い無言で食べ進める。
「美味しいですか?」
そんな彼に、ミシェルが恐る恐る訊くものだから黙って頷くしかなかった。
「それにしても隊長は幸せですね。毎日こんな美味しい手料理を食べているんですから」
「いいお嫁さんになるぞ。なんなら俺がいい男を見繕ってやろうか」
既に二杯目のマシューが言うと、フェリックスとクリスの食事する手が止まった。
「お嫁……さん?」
ミシェルが目を白黒させて復唱する。
「お嬢ちゃんも年頃だ。誰か好きな奴いねえのか?」
「え? 好きな人!?」
わたしが好きな人、それは……。
ミシェルの視線は自然とフェリックスを追っていた。
孤独な自分に優しさと温かさを教えてくれた大切な人。だが、フェリックスが向ける愛情を恋と勘違いするほど身の程知らずではなかった。
ダークグリーンの眼とかち合って、ミシェルは慌ててスプーンを動かす。
「そういえば、この間の高校生は誰?」
クリスが不機嫌な声色で訊いた。
「高校生?」
「アランのことだ」
フェリックスが付け足すと、ミシェルは合点がいったのか目を大きく見開いた。
「彼は数日前に市場で会ったんです」
「ミシェルちゃんとはどんな関係なんだい?」
「おいおい。聞いてどうする? お嬢ちゃんだってプライバシーはある」
マシューの口からプライバシーという似合わない単語が飛び出したので、クリスは目を丸くした。
「友人だ。それ以上でもそれ以下でもない」
フェリックスがぴしゃりと答えたので、ミシェルは言い掛けた口を閉じざるを得なかった。
「ちなみにお嬢ちゃんはどんなやつが好みだ?」
少し考えて、頭に浮かんだ人物の特長を語り始めた。
「背が高くて頼もしい人……かな。あと、優しいとか」
部下二人は互いに見合わせる。前者はクリアしているが後者は怪しいものだ。
「見せかけだけの優しさはつまらん。いつかは化けの皮が剥がれるものだ」
「そうそう。本当に優しい男はひけらかさないのさ」
マシューが肩を竦めて、クリスは大きく頷いて同意する。ミシェルは怪訝そうに二人を見やった。
雨の日、誰も見向きもしない野良犬にそっと傘と食べ物を置いた軍人。彼こそが本当の優しさを持っているのではないか。
「しかしまあ、近くにいい男がいるからミシェルも目が肥えるだろうよ」
「目って太るんですか!?」
ぎょっとするミシェルにクリスが笑いながら説明した。
「実際に大きくなるわけじゃないよ。常日頃いい物を見て、良し悪しを見分ける力がつくって意味さ」
「つまり、しょっちゅう俺を見ているから他の男がクズに思えるってことだ」
「よく自分に都合のいい解釈が出来ますね」
クリスは、どこまでも自信過剰なマシューに盛大なため息をついた。
幸せな人だなあ。鏡を見たことないんじゃないか?
隊長に適わないにしても、無礼千万な部下に比べたら顔立ちはそこそこいい方だと自負している。
警衛隊という職種がら女性があまり寄りつかないが、まったく縁がないわけでもなく女性からの誘いはたまにあるのだ。
クリスも年頃なので恋愛には敏感だが、残念ながら長続きはしなかった。不規則な勤務に急な呼び出しで、ドタキャンや会えない日が続くと大抵は振られてしまう。
ここで、年上二人の恋愛遍歴が気になった。
フェリックスは『去る者は追わず来る者は拒まず』の性格だとマシューから聞かされたことがある。女性関係でこじれた話は耳に入ってこないので、後腐れのない別れ方をしているのだと推測できた。
この方は一生独身でいるつもりなんだろうか?
これまた怖くて聞けない。
そして、マシューに至ってはまったくの謎だ。腐れ縁のフェリックスはもちろん言うはずもなく、本人も過去に触れてこないので結婚経験があるのかすら分からない。
顔は良くはないが豪快な性格で、給仕の女達には人気があるが深い仲になったと言う噂は一切ない。
要するに、うまく立ち回っている辺りが年の功といえよう。
思いに更けていたら、湯気が立ち上る皿とミシェルの笑顔が目の前にあった。
「クリスさん、どうぞ」
「ありがとう。リゾットか」
あんなに大量にあったブイヤベースはいつの間にか平らげて、残ったスープでリゾットに変わっている。溶き卵にチーズの組み合わせが別腹とばかりに胃の隙間を作った。
どうやらアランの話は終了したようで、ミシェルが楽しそうに皆の分をよそっている。長い栗毛は料理の時に束ねたままで、暖まった部屋のせいか頬がほんのり赤い。
彼女もマシュー同様誕生日などプライベートなデータは不明だが、これまで接してきた女性のなかで人柄や容姿は抜群にいい。
クリスは、ミシェルと料理の出来を会話するフェリックスに目をやった。叔父であるフェリックスは、彼女の全てを知っているのかがとても気になったからだ。




