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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第二章 ちょっぴり大人になった同居人
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その7

 アランという突風は、フェリックスの周りで波風を立てていった。そして、今日も余波が伴う。


 フェリックスが書類に目を通している間、待っているクリスがチラチラとこちらの様子を窺っていた。


「言いたいことがあるのか?」


 視線を上げた上官に、クリスは口を尖らせて身を乗り出す。         


「隊長、ミシェルちゃんと一緒にいた若造は何者ですか!?」


 お前さんも充分若造だ、と後ろで報告書を書いているマシューがぼやいたが、今のクリスには聞こえていなかった。


「若造?」

「高校生らしき男ですよ。ミシェルちゃんと楽しそうに歩いていたのをこの目で見ました!!」


 なんでも、シフトオフのクリスが街をぶらついていたら彼女等を見掛けたらしい。得意の尾行で二人の一部始終を見張っていたのは黙っておく。

 自分の目を指差して憤るクリスをじろりと睨む。

 楽しそう? 

 フェリックスの眉がぴくりと反応すると、マシューは額に大きな手を当てて「地雷を踏みやがって」と呟いた。

 この大男は、一言多いが墓穴は掘らないのが信条なのである。


「ああ、アランという少年だ」

「『ああ』じゃないですよ!!」


 至近距離の怒号が大量の唾となり、顔面に降りかかる寸前でフェリックスは書類で遮った。

 

「しかも、馴れ馴れしく呼び捨てまで!! 俺でさえしたことないのに!!」

「しても構わんぞ」


 あっさり許可されたのにクリスは青ざめた。


「えっ? いえ、俺は遠慮します」


 ミシェルを呼び捨てしようとして、鋭い一瞥で寿命が三年縮まった記憶はまだ新しい。


「ミシェルも、大人だけでなく同年代の人間と触れ合った方がいいだろう」

「触れ合うのは野郎じゃなくても」

「なんで、お前さんが熱くなるんだ?」


 これ以上フェリックスを刺激させたくないマシューが口を挟んだので、我に返ったクリスは頬を赤らめて俯いた。


「そ、それは……」と口ごもる部下を二人が答えを待つ。


「そ、それより本日の予定です。早急に目を通しておいて下さい」


 クリスは小脇に抱えていたファイルを机の上に置くと、脱兎のごとく待機室を飛び出した。


「逃げやがったな」

「なぜ逃げる必要がある?」


 首を傾げるフェリックスの肩をマシューがぽんと手を置く。


「隊長殿もいろいろと大変なこった」


 今でも大変なのに、まだ大ごとになるという謎の予言に眉をひそめた。




 フェリックスが帰宅すると、玄関から甘い匂いが出迎えた。辿るとキッチンからで、粉まみれのミシェルがひょっこり顔を出す。


「お帰りなさい」

「ただいま。今度はなんだ?」

「クッキーを焼いてました」

「あの少年に、か?」


 こちらは嫉妬まみれだ。

 アランと知り合って間もなく、料理しか作っていなかったミシェルが菓子を作った。学生時代に、告白付きで手作りクッキーをもらったフェリックスの実体験から警戒レベルが跳ねあがる。

 ミシェルにしてみれば、菓子作りは突然ではなかった。

 昼間、本を読んでいたら主人公がいつも喧嘩する男の子にクッキーを焼く場面があった。これがきっかけで二人の距離は一気に縮まり、大人にって結婚するラブストーリーである。

 読み終えたミシェルは、本を胸に抱いてうっとりと吐息を残した。

 なんて素敵なんだろう。わたしもクッキーを焼いたら、たいちょーさんともっと仲良くできるかなあ。

 

 黒髪の主は顔に似合わず良き保護者だ。

 マシューからは「ウザい伯父で大変だな」と同情されたが、ミシェルにいてみれば自分こそウザい同居人なのかもしれない。

 突然押しかけてちゃっかりここの家族に収まった。


 一宿一飯の恩のつもりで、家事全般は一手にこなしている。料理はある程度クリアしたが、菓子作り方まで手が回らず今日やっと叶ったのである。

 

 身長が伸びて勝手がきくのか、様々なものに挑戦するようになった。その一方で、世界が広がり目が離せないのも事実である。

 今までフェリックスを優先していたのに、すっかり順位が入れ替わってしまったと心の中で嘆く。

 そもそも、甘いものは苦手だからクッキーが欲しいのではない。そんな言い訳を胸で唱えた。


「たいちょーさんに食べてもらおうと思ったんですけど」


 フェリックスは杞憂だと知ると口角が上がった。自分のために腕を振るったなら苦手なんて言ってられない。着替えもそこそこに、皿に盛られたクッキーを一口つまんで彼女が持ってきたコーヒーを飲んだ。


「甘いものはあまり好きじゃないと仰っていたので、生姜を入れてみました。いかがですか?」


 ごくりと唾を飲んで感想を待つミシェルを見据える。

 生姜の刺激が甘さを抑えて、コーヒーのほろ苦さに合った。これならいけるかも知れない。


「……美味い」

「よかった!! 警衛隊の皆さんにも作ったので召し上がってくださいね」


 ミシェルの顔に笑顔が戻り、ラッピングされた袋が入った紙バックを手渡した。

 大所帯なのでかなりの数を準備している。恐らくものの五分もしないうちに、彼等の胃袋に納まるだろうが。


「ありがとう。皆も喜ぶと思う」


 頭に手を置くと、ミシェルは満面の笑みで見上げる。幼い頃より随分と高い位置で、琥珀色のキラキラした瞳があった。

 人間と犬、どちらの人生が彼女にとって幸福をもたらすのか。


「幸せか?」


 フェリックスの口からこぼれた言葉に、一瞬目を丸くしたがすぐに笑顔で「はい!!」と答えた。


「たいちょーさんは名前の通りフェリックス《幸せ》を運んでくれるです」

「そんな風に言うのはお前だけだ」

 

 小さく笑う彼に力一杯首を左右に振って否定する。


「私だけじゃありません。クリスさんやマシューさんも仰っていましたよ」

「いつ?」


 クリスはともかくマシューは何かの間違いではないか。


「この間、たいちょーさんがお留守の時いらして『俺はあいつ以外のやつに、従わないし命も預けやしない』だそうです」


 ひとしきり喋ったあと、「あっ」と声を上げると慌てて口を両手で塞いだ。


「このことは内緒だったのに!!」


 人の前では悪態をつくくせに、ミシェルには本音を吐くマシューを内心ほくそ笑んだ。

 素直ではないな。

 罰悪そうなミシェルの頭に手を置く。


「私はなにも聞いていない。そうだな?」


 最初は理解できずに目を白黒させたが、やがて合点がいって大きく頷いた。


「はい!!」

「コーヒーをくれ。もう少し食べたい」

「どうぞ」


 今夜は気分がいいので、苦手な菓子もつい食が進むというものだ。

 二人はソファーに座り直してまったりしたひと時を過ごす……と、思った矢先である。電話が鳴ったのでフェリックスが出ると、聞き覚えのある声に気分がすこぶる悪くなった。


『こんばんは、アランです。ミシェル、いますか?』


 頭に浮かんだのは茶褐色の髪の高校生で、敢えて低い声で凄んでみせた。


「今、手が離せないが何か用か?」

『いえ。特に用っていう用はないんです。いたら代わってもらいたかったんですが』

「それは残念だ」


 ガチャッ


 大人げないが強制的に受話器を置いてため息をつく。


「ミシェル、アランに電話番号を教えたのか?」

「お話がしたいそうです。いけませんでしたか?」


 アランという男子高生は、火種もあちらこちらにばら撒いていたようだ。








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