その6
書斎でノートパソコンと向き合うフェリックスだが、耳はしっかりとリビングの気配を探っていた。敷居の高い我が家に単身で出向いた勇気を称えて、ミシェルと二人きりしてやったがどうも落ち着かない。
彼女が助けを呼べば、直ちにアランの襟首を捕まえて放り出す心積もりはしていた。
「気になるなら立ち会えばいいのに」と、マシューの声が聞こえる気がした。彼氏を連れて来た父親が何かにつけて様子を窺う真似はしないが、妙にそわそわして仕事が手に着かない。
その頃リビングでは、アランが誤解を解こうと奮闘していた。
「ミシェル自身を笑ったんじゃなくて、面白いこと考えるなあって思っただけなんだ」
「そのことはもういいですよ」
「よくないさ。ジェシカも少し言い過ぎたって反省してたし」
「ジェシカ?」
「一緒にいた幼馴染み。あいつ、ジェシカ・ベイリーっていうんだ」
本当はそんな素振りは一つもなかったが、この場を取り繕うため嘘も方便だ。ミシェルは土産のクッキーをつまみながらアランの話に耳を傾ける。
フェリックス以外にこんなに長く人間と接する機会がなかったので興味がそそられた。
「本当に何とも思ってませんよ。たいちょーさんのお陰ですっきりしましたので」
「コールダー隊長とどういう関係?」
これはアランの嫉妬が含まれている。
「『めい』です。『めい』というのは……」
二人の関係を訊かれたら『姪』と『伯父』と言え。そうフェリックスに教えられていたので、説明しようとするとアランが「そっか」と安堵した。
「妹だったらどうしようかと思ったから」
もし、彼の妹だったら厳戒態勢のなか会わなくてはならない。姪なら少しは監視の目も緩くなるのでは、と考えたのだ。
「もう怒ってない?」
「はい」
にっこり笑う彼女に嘘はないようだ。それにしても
ミシェル、可愛いなあ。
彼女の全身からいい香りがして、近くにいるアランは否が応でも意識せざるを得なくなる。心臓が早打ちして頬が火照った。
ミシェルを見掛けたのは一週間前のことだった。学校の帰り道、腹が減ったので買い食いしようと市場に寄った時である。
青果屋の前に真剣な面持ちで品定めをする少女が視界に飛びこんだ。この市場にはちょくちょく遊びに来るが初めて見る顔である。しばらく眺めていると、店の亭主と談笑して野菜を幾つか買った。彼女は嬉しそうに袋を胸に抱えて帰っていく。
親の手伝い? それとも独り暮らし? 引っ越ししてきたのかなあ。
興味は尽きない。
歩く度長い栗毛が揺れる後ろ姿を見送っていると、視線に気付いたのか振り向いた。
やべっ!! 俺に気付いた!?
何も悪いことをしていないのに、つい人影に隠れてしまう。息を潜めてバクバクの心臓を宥めた。
そっと覗くと既に彼女はおらず、「ふう」と大きな息を吐いてまた市場をうろつく。
その後も何度か見掛けて……、というよりわざと出くわす時間帯を見計らって市場に足を運んだ。そして、謎の少女はあの冷血隊長と同居していると事実に辿り着いたのである。
隊長を知る者は、軍人達が噂するほど悪い印象は持っていなかった。確かに仏頂面だが、挨拶はするし町内清掃にも参加する。なにより、治安が良くなったと街の者達は喜んでいた。
そんなフェリックスと一緒に住める奇特な彼女は『ミシェル』という。
アランの調査によると、家事はほとんどミシェルが引き受けているとのことだ。こき使われていると思いきや、たまに二人で楽しそうに(?)買い物へやってくる目撃情報まで入手する。
こうしてミシェルを追っているうちに、明るい笑顔に惹かれて好意を抱き始めた。気がつけば毎日彼女に想いを馳せる。
クラスの女子は、精一杯背伸びをしてお洒落や流行に夢中だがミシェルは違う。姿かたちは自分達と変わらないがあどけなさに純粋さを感じた。言動や笑顔につまらない計算もない。
会って間もないが、これが俗にいう運命的な出会いに違いない。
話すタイミングを窺っていたら、重そうな荷物を抱えたミシェルに遭遇したのだ。
初対面の印象こそ最悪だったが、彼女の家までお邪魔したのは結果往来といえる。このチャンスを逃す手はない。
「友達になってくれる?」
フェリックスのホームグランドで、「付き合ってくれ」と命知らずな告白はさすがにできない。取り敢えず友達から責めるのがベタで確実な方法だ。
突然の申し出に面食らったミシェルだが、次第に瞳がキラキラと輝いた。
「友達……ですか?」
「ミシェルさえよければ」
かつて『マリー』という同性の友人はいたが異性は初めてである。しかも同い年なので興奮は最高潮だ。
「わたしでいいんですか?」
「ぜひ」
「了解です!! ありがとうございます!!」
喜んだミシェルはアランの手を両手で包み込む。温かい感触と近い距離にアランは狼狽えた。
「そんなに喜んでもらえるとは思っていなかったよ」
「アランさん、これからもよろしくお願いしますね!!」
「アランでいいよ。俺もミシェルって呼ぶから」
「はい!! アラン」
これで心置きなく彼女を呼び捨てできる、アランは心底ほっとした。
書斎のドアをノックされたので、フェリックスが開けるとミシェルが立っていた。
「アランが帰る前に挨拶したいそうです」
アラン? いつから呼び捨てする仲になったんだ!?
急展開にフェリックスの心は穏やかではない。玄関へ向かうと、男子高生は晴れやかな表情で一礼した。
「気を付けて帰りなさい」
「はい」
無表情の主の隣で手を振るミシェルに、「また連絡する」と口の形だけで伝えた。職種がら読唇術は会得しているフェリックスがそれを見逃すはずがない。
アランの姿が見えなくなり二人は部屋へ入って行った。
「話は終わったのか?」
「はい。アランはとってもいい人でした」
ミシェルにかかれば全て『いい人』となる。ほんの数十分話しただけで、心を許す彼女にこちらが気を許せない。
彼女曰く、匂いで人の良し悪しが判別できるらしい。でなければ、初対面で胡散臭いマシューに懐くなど有り得ないだろう。
だったら、アランという青年はミシェルのご希望に添えたのか。
「友達になってくれるそうです。またお招きしてもいいですか?」
「私がいる時なら」
「それではお休みの日にしますか? でも、せっかくたいちょーさんが寛いでいるのに悪いですね」
だから、誰もいない家に二人きりになるのが問題なんだ!!
若さゆえの暴走を懸念するも、彼女はまだ理解していない。活気盛んなオオカミの目の前に、見た目も美味そうな子羊をどうして差し出せようか。
しかし、ここで反対して外で会うようになったら元も子もない。かといって、あの青年のだらしない顔も見たくない。
降って湧いたボーイフレンドの存在に、警衛隊長の知識をフル活用して対処に追われた。その間、ミシェルは険しい表情で腕組みをするフェリックスを見つめている。
どうしたんだろう? 怖い顔してるけど、大丈夫かなあ。
「いけませんでしたか?」
ここで反対すれば、心が狭い男と失望されるかも知れない。そうなると必然的に答えは決まってくる。
「いや。いろいろな人間と触れ合うのはいいことだ」
などと物わかりのいい保護者を演じてしまうのだった。




