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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第二章 ちょっぴり大人になった同居人
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その5

 家に帰ったミシェルはリビングで膝を抱えて蹲った。人間らしくなったと自負していたのに、所詮は犬だとまた思い知る。

 初めて知る悔しさと情けなさに全身の力が抜けて、夕食の準備をしようにも気怠くやる気が出ない。



「ミシェル、風邪を引くぞ」


 揺り起こされて、ぼんやりした視界に黒髪のフェリックスが見えると跳ね起きた。いつの間にか眠ってしまったらしく、カーテンを閉め忘れた窓の外は既に真っ暗だ。


「ごめんなさい!! 夕食、まだ作っていませんでした」

「それはいいが、体調が悪いのか?」


 向かい合った彼女の目は赤く、うたた寝のせいだけではないことを物語っている。両肩を掴まれて正面を向かされたミシェルは、ダークグリーンの瞳に射抜かれてたまらず目をそむけた。


「なんでもありません」

「私を見て答えろ、ミシェル」


 堪え切れなくなった彼女はフェリックスの胸に飛び込んだ。冷気を含んだ軍服が熱を帯びた身体に心地いい。



 気持ちが落ち着いたミシェルは、今日の出来事をぽつりぽつり話し始めた。そして、すべて語り終えると気が楽になったのか、大きく息を吐いて小さく笑った。


「話してみると大したことじゃなかったですね」

「そんなことはない」


 そばで黙って聞いていたフェリックスは、すっと立ち上がるとホットココアを作って差し出す。甘い香りと温かい湯気が傷ついた心を癒した。


「生きていればいろいろある」


 彼もコーヒーに口にしてそう呟く。


「たいちょーさんも恥ずかしかったり落ち込むことありますか?」

「しょっちゅうだ。立場上、虚勢を張っているがな」


 コーヒーと同じく苦い思い出は多々ある。数々の苦汁を経て今の彼があるのだ。どんな問題でも涼しい顔してやり過ごすイメージがあっただけにミシェルは訊いてみた。


「そんな時はどうするんですか?」

「前は皿を叩き割って発散させたが、片づけるのも自分だから馬鹿馬鹿しくなってやめた」

「じゃあ今は?」

「叫んで終わりだ」

「叫ぶんですか?」

「思い切りな。やってみるか?」


 ミシェルは頷いて大きく息を吸い込んだ。


「……」

「……どうした? 防音しているから構わんぞ」


 いつまでたっても叫ばない彼女をもう一度促す。


「あの、なんて叫べばいいんでしょうか?」

「なんでもいい」


 なんでもいいと言われると逆に困ってしまう。散々悩んだ挙句


「たいちょーさん!! いつもありがとうございます!!」

「感謝の言葉を述べてどうする?」

「ダメですか?」

「やり直し」

 

 ダメ出しをくらって更に悩む。フェリックスに打ち明けた時点で、ミシェルにもう憤りはないのだ。叫ぼうにも言葉が見つからない。

 何か言わないと収拾がつかない雰囲気にミシェルは焦った。


「歌……でも構いませんか?」

「歌?」

「はい。言葉が見つからないので」

「お前がそれで発散できるなら」


 フェリックスが傍観者よろしくソファーに体を預けると、ミシェルは再び息を大きく吸い込んで歌い出した。

 鼻歌は何度か耳にしたが改めて聞いたそれは、伸びやかで澄んでいて体が浄化される気がする。普段から音楽を聞きながら家事をしていたので、耳がいい彼女は確実に音を記憶していたのだろう。

 ミシェルの憤りを宥めるつもりだったが、反対にこちらが穏やかな気持ちになる。下手な声楽隊より美しい響きは得した気分だ。

 何曲か歌い終わって「ふう」と息を吐いた彼女が笑顔で振り向いた。


「どうだ?」

「お陰ですっきりしました!!」


 美味しそうにココアを飲むミシェルの頭に手を置き、フェリックスもコーヒーのカップを手にした。




 ミシェルの機嫌がすっかり直った頃、一人の男子高生は頭を抱えていた。


「やっぱ、怒ってるよなあ。そんなつもりじゃなかったんだけど」


 廊下の窓から外を見つめてため息をつくこの男子はアランである。真っ赤な顔で涙ぐむ彼女が脳裏から離れないでいた。

 謝りたくても避けているのか、市場にも姿を見せず数日が過ぎてしまった。


「ぼーとしちゃって、あの子のこと考えていたの?」


 幼馴染の女子が隣に並んで呆れている。


「あのなあ、元を正せばお前のせいなんだぞ。あんな言い方しなくてもいいのにさ」

「ちょっと、わたしのせいだっていうの!?」


 昨日今日会ったばかりの少女を庇う彼が面白くなく、女子は毛先を指に絡ませて口を尖らせた。


「アランだって笑ったじゃない?」

「それなんだよなあ」


 アランはぼやいて前髪をくしゃっと掻きむしる。


「バカにしたわけじゃないけど、あの状況じゃ誤解されても仕方ないか」

「ひょっとして謝りに行く気? あの隊長の所へ?」


 少女は興味津々で尋ねた。フェリックスの近寄り難いオーラは近所でも有名だ。ミシェルが来てから、印象もだいぶ変わってきたがそれでも敷居は高い。

 それでも、またミシェルが笑ってくれるなら危険を冒す価値はある。アランは腹をくくった。



 放課後、アランはミシェルの家の近くに来ていた。詫びの品は、女子の間で人気がある店のクッキーである。

 フェリックスの帰宅は遅い時刻と調査済みなので、今行けば鉢合わせすることもない。謝罪の言葉も学校で何度も練習してきた。

 よし、行くぞ!!

 深呼吸をして呼び鈴を鳴らすと


 ガチャッ


 出てきたのはあの隊長だった。高い位置から鋭い目で見下ろされてアランはたじろぐ。


「あ、あの、ミシェル……」

「ミシェル?」


 フェリックスの険しい表情に、慌てて名前のあとに『さん』を付け足した。

 なんで、こんな時間にいるんだよ!!

 いきなりの難関に、アランはしどろもどろで対応する。


「彼女を呼んで頂けますか?」

「……」

「謝りたいことがあるんです」


 目の前に立つ赤褐色の髪の少年に、フェリックスはぴんときた。

 ミシェルを笑ったのはこいつか!?

 忘れかけた苛立つ感情が蘇り、門前払いをしようとしたら


「お客様ですか?」


 フェリックスの背中から顔を出したミシェルと目が合った。「あっ!!」と声を上げて部屋へ戻ろうとする彼女を呼び止める。


「待って!! この間はごめん。俺の話を聞いてほしんだ」


 ミシェルは振り向くと主と少年を交互に見た。フェリックスが目配せすると、彼女は強張った顔で玄関に進み出る。


「話とやらは長いのか?」

「時と場合によります。俺、説明が下手なんで」


 アランの答えに、フェリックスが体を開けて中へ入るよう促した。これにはミシェルも慌てた様子で


「たいちょーさん!!」

「話だけでも聞いてやれ。またお前を傷つけたら、私が叩き出してやる」


 鋭い一瞥にアランは首を竦めた。


 

 リビングに通されると、アランは落ち着かない面持ちでソファーに座った。フェリックスは気を利かせたのか書斎に引きこもっている。

 やがて、ミシェルがティーセットを持ってやってくると彼の前に置いた。


「これ、よかったら食べて」

「これは?」

「クッキーの詰め合わせ。人気の店なんだってさ」

「今、お出ししても構いませんか?」


 アランが頷いたので、早速ナプキンを敷いた皿に取り出すと様々な形にくり抜かれたクッキーに歓声を上げた。


「わー、可愛い!! ありがとうございます!!」

「やっと笑ってくれた」

「え?」


 アランの屈託のない笑顔に、ミシェルは目を白黒させるのだった。

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