その4
推定年齢十六歳くらいのミシェルは、体が大きくなった分行動範囲も広くなった。料理もするようになったので、近所の市場に食材を買いに行くこともある。
「お、隊長さんちのミシェルちゃんじゃないか」
「こんにちは、おじさん」
「どうだい、このトマト。肌がつるっとしててミシェルちゃんみたいだろう?」
「てへへ。じゃあ、それ買っちゃいます!!」
「へい、毎度!!」
八百屋の亭主が「これ、おまけね」とトマトをもう一つ袋に入れてくれた。こうして、一回りする頃には支払った代金より荷物が多くなる。
「んしょっと」
両手いっぱいの買い物袋を提げて家に帰ろうとすると、後ろからすっと荷物を奪う者がいた。
「あっ!!」
突然のことでミシェルが呆気にとられていると、高校の制服を着た青年がそれを手にして立っている。
「あの……」
「持ってやるよ。家、こっちだろ?」
高校生がさっさと歩き出したので、ミシェルも小走りで追い掛けた。
「わたしの家、知っているんですか?」
「コールダー隊長って言ったら、この辺りでは有名さ」
「そうなんですか?」
すごいな、たいちょーさん。ただ者じゃないと思っていたけど。
『ただ者』でないのはミシェルも同じだ。
前を行く高校生は赤褐色の髪に茶色の目、背はミシェルより少し高い。派手な顔立ちではないが悪くはない……と思う。なにせ彼女の一番はフェリックスなのだから、並み大抵の男では太刀打ちできない。
「君はどこの高校?」
「わたしは学校に行ってません」
彼は大して驚かなかった。通信教育が普及して、通学しなくとも資格が取れる世の中である。むしろ遠方にある高学歴の学校が卒業できると人気が高まりつつあるのだ。
あのコールダー隊長の姪だから、いい成績だと彼は勝手に分析して納得する。
「でも、よく一緒に暮らせるよな」
「どうしてですか?」
「なんか厳しそうで家の中でも軍人っぽいし」
「そんなことないですよ」
私生活のフェリックスは結構ゆるい。下着や服の脱ぎっ放しはないが上着などソファーに投げ置くので、ミシェルがいそいそとハンガーに掛ける場面が多々ある。
確かに礼儀作法はしっかり教え込まれたが、それ以外の言動はさほどうるさくない。
彼は「ふうん」と気のない相槌を打った。
それから二人に会話はなく、ミシェルの家の近くまでやってきた。
「ありがとうございました」
「どうしたしまして」
素っ気なく返した高校生は荷物を彼女に渡して帰っていったので、フェリックスよりも線が細い彼をいつまで見送った。
「男に荷物を持ってもらった?」
その日の夜、ミシェルが今日の出来事を話すとフェリックスは眉を顰める。
「はい。親切な方ですよね」
「知り合いか?」
「いいえ。初めて見る方でした」
「名前は?」
「あ、聞くの忘れました」
コーヒーを手渡されたフェリックスは、ますます警戒の色を深めた。近所の人々と交流があるのは聞かされていたが、同年代の異性は初耳だ。
フェリックスの尋問は続く。
「背格好はどんな感じだ?」
「背はわたしより高くてたいちょーさんより低いです」
人間になって間もない彼女の的を得ない答えに苛立った。以前、友人になったマリーの時と状況が違う。フェリックスは、今まで感じたことのない感情を持て余して仏頂面が不機嫌に変わった。
「今度会ったら、お名前を聞いておきますね」
今度って、会う約束でもしたか!?
そう訊こうとしたが、ミシェルがティーセットを片付けにキッチンへ行ってしまったので言い損ねた。
鼻歌交じりで食器を洗う彼女を、横目で窺いながらフェリックスは悶々と考える。
だいぶ人間らしくなってきたとはいえ、気を抜くと犬の癖が出るからばれては大変。いや、まずはその男がミシェルにとっていい影響を与える人物なのかを知ることが先決ではないか。
問題が山積みで頭を悩ますフェリックスをよそに、ミシェルは朝食の下ごしらえに取り掛かった。
三日後の夕方、ミシェルが近所の市場で買い物をしていると制服姿の少女が立ちはだかった。肩まである金髪に勝気な青い瞳で、どうやらこの間の青年と同じ高校に通っているらしい。
「あんた、コールダー隊長さんちのミシェル?」
「あ、はい」
あまりの迫力に頷くと、少女は頭からつま先までジロジロとミシェルを観察し始めた。サラサラと長い栗色の髪にきょとんした大きな琥珀色の瞳、それなりに膨らんでいる胸。
一通り眺めて「ふん」と鼻を鳴らした。
「あの、なにかご用ですか?」
「アランとどういう関係?」
「アラン?」
聞き慣れない名前を復唱すると、更に少女は苛立って腕組みをした指をトントンと鳴らす。
「アラン・モーリスよ。この間、一緒に歩いていたでしょ!!」
「あの方はアラン・モーリスとおっしゃるんですか?」
「とぼけちゃってわざとらしいんだから」
初対面の少女にいきなり因縁をつけられて、ミシェルは唖然とするばかりだ。
「お話がよく分かりませんけど」
「だから、アランとどういう関係かって訊いてるのよ!!」
少女が一歩踏み出すとくるりと巻いた毛先が揺れた。金色の髪は艶やかでよく手入れされているのが分かる。
勝ち気な瞳を吊り上がらせてミシェルに問い質していると、渦中のアランという人物が二人の間に割って入った。
「お前、何しに来たんだよ」
「あなたこそ、女の子と楽しそうに歩いてるって噂じゃない!!」
「誰と歩こうと俺の勝手だろ!?」
「この間はありがとうございました」
恐る恐るミシェルが礼を述べると、アランは照れ臭そうに頬を緩ましたので少女はますます逆上した。
「ちょっと、アラン!! この子とどういう関係なのよ!?」
ミシェルを指差して騒ぎ立てる彼女に、アランは面倒臭そうに説明する。
「どうって、たまたま会っただけだよ」
「怪しい……」
「うるせえな」
アランは、下から覗きこんできた少女に背を向けた。今度はぽかんとしたミシェルと目が合う。
「わりぃ。あいつが変なこと言って」
「お友達ですか?」
「ただの幼馴染さ」
「『オサナナジミ』ってお金がいるんですか?」
『ただ』の意味を勘違いしたミシェルに、高校生二人は一瞬かたまってやがて笑い出した。
「バカじゃない!? 幼馴染っていうのは小さい頃からずっと一緒にいることをいうのよ」
「そ、そうなんですか!?」
ミシェルはあまりの恥ずかしさに涙目で俯いた。紅潮した頬で外気の冷たさをまったく感じない。
たいちょーさん、恥ずかしくて死にそうです!!
「ったく。やってられないわね、アラン」
少女が同意を求めたが、アランの笑いは少し違っていた。
「ミシェルって面白いなあ。ふつう、そう考えるか?」
ミシェルはいたたまれなくなって、買い物もそこそこに二人から逃げるように駆け出した。
「おい、ミシェル!!」
アランが呼び止めたが、足が速い彼女の姿はもう小さくなっていた。少女は馬鹿にしていたが、アランはそうは思っていない。むしろ、柔軟な考え方が出来るミシェルを羨ましかった。もっといろいろ話したかったのに、思わぬ邪魔が入って傷つけてしまった。
潤んだ瞳と唇を強く噛んだ彼女が瞼に焼き付く。誤解を解きたいが、それにはまずコールダー家の呼び鈴を鳴らさなければならない。
あの強面の隊長に睨まれるのかと気が重くなった。




