その1
ダイニングテーブルに向かい合って座り、フェリックスとミシェルが朝食を摂っていた。いつもの朝の光景だが静か過ぎる。
「……」
「……」
二人に会話はなく、食器の音だけが響き黙々と食べ進めた。
チラッ
互いが上目遣いで窺ってバッチリ目が合った。
えっと、何か言わなきゃ。
「きょ、今日はいい天気ですね」
「ああ」
焦ったミシェルが話題を振ると、フェリックスは無表情で答える。
「……」
ああ、会話が続かない……。
体の著しい変化に一番戸惑っているのはミシェル本人だというのに。
なにせ一晩のうちで一気に五歳ほど飛び越えた。座っている椅子も、あんなに大きく感じたのに今は丁度いい。ぶらぶらと宙に浮いていた足も床に着くようになった。
「あの……、驚かないんですか?」
「これでも充分驚いている」
「そうです……よね」
平然とコーヒーを飲む彼を見る限りそうは思えない。いや、言葉通り充分驚いたが更に衝撃的な体験をフェリックスはしていたのだ。
それは高熱にうなされいるミシェルを看病して起こった。
噴き出す汗をタオルで拭っていると、彼女の頭の上に突如獣の耳が現れた。更にベッドから垂れる尻尾に、また犬に戻ってしまうのかとフェリックスは焦る。
もし、犬に戻ったら彼の生活もミシェルが来る前に戻るまでだ。他愛もないが、釈然としない自分がいる。
独りより二人でいる楽しさを知ってしまったからだろうか。それだけ、ミシェルの存在が日に日に大きくなっている。
彼女が歳を取ろうが大きくなろうが傍にいるなら何者でも構わない。ミシェルの正体を再認識させられて、驚愕よりも不安が勝った。
改めて彼女を見た。
白い肌に大きな琥珀色の瞳は幼い頃と変わらないが、綺麗と可愛いさが混在した顔立ちは目を引く。
そして、視線は顔から知らず知らず胸へと移動した。
膨らんだ胸の形が、ぴっちりしたパジャマで露わになっていたのを思い出す。この歳になって、女性の胸を見たところで騒ぐほどでもないが彼女は例外だ。身内の裸を見たようなうしろめたさに思わず目をそむける。
昨日まではこじんまりとしていたのに、今日から女性への第一歩を踏み出したのだ。どう接していいかわからないのはフェリックスも一緒だ。
「具合はどうだ」
長い沈黙にフェリックスがぼそっと尋ねる。
「お陰でもうすっかり良くなりました。体もふらついきません」
彼の大きな手がミシェルの額に触れた。
「まだ熱っぽいな」
それはたいちょーさんが触っているからです!!
掌から伝わる体温が、せっかく下がった熱がぶり返すほど体が火照る。
「ほんとにほんとに大丈夫です!!」
体調の良さを猛アピールすると、信じてくれたのかやっと手が額から離れた。
「だからたいちょーさん、お仕事に行ってください」
いつまで経っても支度を始めないフェリックスを不思議に思うと、休暇をとったとのことである。寝込んだ自分のせいだと悲しげな彼女に首を横に振った。
「どうせ有給がたまっているんだ。一日くらいどうってことはない」
「でも、たいちょーさんがお休みすると皆さんが困るのでは?」
フェリックスは昨夜のうちに休む旨をクリスに伝えていたのだ。たとえミシェルの熱が下がったとしても、今日一日は傍で様子を見た方がいいと思ったからである。
それに彼がいなくとも、細かい修正や調整はクリスがやってくれるし実働はマシューに任せればいい。隊長とは名ばかりで、不在でもなんとかやっていけるものだ。
「服を買おう。ついでにパフェも食べればいい」
ネットで購入するには彼の知識も限界だった。
「いろいろと買ってもらったのに、台無しにしてごめんなさい」
すると、彼はフォークを置いてダークグリーンの瞳をミシェルに向けた。
「お前はなんでも謝り過ぎる。成長して服が入らないのはお前のせいではない」
ちなみに今はフェリックスの服で代用している。サイズが大きいのでTシャツはワンピース、ハーフパンツは七分ズボンに様変わりした。
「他に買う物はないか?」
「お金を頂ければ自分で買ってきます」
彼女は真っ赤な顔で俯いてしまった。下着はいずれも女児サイズばかりで「ショーツを穿いていません」とフェリックスに告白できない。
この時彼は本当の理由に気付いておらず、自分の好きな物を買いたいんだな、としか思っていなかった。
ミシェルが来てから何度も世話になっているショッピングモールへ買い物へ出掛けた。
目当ての店へ歩くフェリックスだが、ミシェルがある店前で足を止める。後戻りすると、そこはランジェリーショップだ。
「あ、あの、ここに寄ってもいいですか?」
もじもじと小声でお願いする彼女に、フェリックスは初めて身に付ける下着がなかったと気が付いた。彼とて子どもの頃に穿いていた下着を「今、穿け」と言われても困る。
かと言って男がランジェリーショップをうろつく真似はできず、数枚の札を彼女に渡して店の外で待つことにした。
彼についてきてもらいたい反面恥ずかしさもあるので、ミシェル仕方なく一人で店内を入っていく。
「いらっしゃい!!」
背後から声を掛けられて、体がビクッと跳ねた。振り向けば明るい笑顔の若い女性店員だった。挙動不審の彼女に、初めての買い物と察して声を掛けてくれたのだ。
「どんな物を探しているの?」
「え? エ? あの……、その……」
真っ赤な顔で狼狽える彼女をくすっと笑う。
「まずはサイズを測ろうか。こっちへ来て」
店員についていくと試着室で体のあちらこちらをメジャーで測られて、くすぐったかったがなんとか堪えた。
ようやく解放されて店内で待っていると、店員が何点かショーツとブラジャーのセットを手にして戻ってくる。
「シンプルなデザインだけど、付け心地がいいから初めてでも大丈夫よ。していく?」
こくりと頷いたミシェルをまた試着室へ促した。付け方を習っていざ実践!! そして、姿見に映った自分に瞳を輝かせた。
おおー!! おっぱいが大きくなってる!! 腰がくびれてる!!
これまでの幼児体型とは違うスリーサイズにミシェルは大興奮だ。
フェリックスが待つこと数十分、にこやかに手を振る店員と紙袋を胸に抱えたミシェルが出て来た。
「サイズが変わったらまた来てね」
「はい!! ありがとうございました!!」
店をあとにして、ミシェルが残金とレシートを渡してきた。ブラジャーとショーツの表記にフェリックスの目線はまた彼女の胸にいく。
もう、そういう年頃か……。
親子連れとミシェルがすれ違った。幼い少女より母親と身長が近くて複雑な心境だった。こうして、どんどん大人になっていくのだろうか。この成長の先には何があるのか。
見上げるミシェルと目が合った。身長差は一気に縮まり、少し目線を下げればそこに彼女がいる。
「着替えがあった方がいいので幾つか買いました。とても親切な方でいろいろ教えてくれて。あ、でも、なるべく安い物を選んでもらって……」
じっとこちらを見つめる彼に、値段が不服なのかとミシェルが必死に弁解した。
「怒っているわけではないから安心しなさい」
栗毛の頭に手を置く位置も高くなっていた。




