その11
フェリックスは『マリー』と呼ばれた少女を改めて見た。ミシェルより少し背が低くポニーテールの髪、強気な青い瞳で飼い主の女性を睨んでいる。
マリーの母親と名乗った女性が腰を折り、ミシェルと同じ目線で語り掛けた。
「あなたがミシェルちゃんね。 いつもマリーと仲良くしてくれてありがとう」
「わたしの方こそ仲良くしてもらってます」
彼女はふっくらとした頬を緩ませると、背筋を伸ばしてフェリックスに向き直る。
「この子が犬に襲われているのをミシェルちゃんが助けてくれたんです。そのせいで大怪我をしたと聞いてお伺いしました」
「ミシェルちゃんは何も悪くないんだから!!」
母親の言葉に被せたマリーは、ことのあらましを説明し始めた。
あのね、ミシェルちゃんと公園で遊んでいたら大きな犬が来たの。リードもしていないし、怖くかったから走って逃げたんだけど転んじゃって。
犬がお洋服を引っ張って、もう怖かったんだから。そしたら、ミシェルちゃんが助けてくれたの。
犬とケンカして、ミシェルちゃんもすごい怪我をして……。
あの時の光景を思い出したのか言葉に詰まって俯いた。
「ミシェルちゃん、怪我させてごめんね」
「マリーちゃんに怪我がなくて良かったです」
やはり、事情があったんだな。
涙ぐんで手を取り合う二人に、フェリックスは自身の考えに間違いはなかったと頷く。新証言に、気まずい細身の女性は罰悪そうに顔をそむけた。
「でも、その子がロンちゃんを怪我させたのは事実だし」
冗談じゃない!! そもそも公園でリードを外すなど非常識にもほどがある!!
女性の自己中心的な発言にフェリックスがキレた。
「それはこちらも同じだ!!」
今まで冷静に対応していた彼が、あまりの剣幕に怒鳴るので一同は唖然とした。『鬼隊長』とあだ名通りの迫力である。
「たとえ飼い犬でも、人に危害を加えるなら保健所へ通報するべきではないでしょうか?」
マリーの母親が提案するとコールダー家の二人の住人、特にミシェルが青ざめた。保健所行きになった動物の行く末は悲しく惨いものだと誰もが知るところである。
「あの人は悪くない!! 悪いのは人間です!!」
『あの人』とはシェパードのことで、ミシェルが真剣な表情で訴えた。
「犬は飼い主を選べません!! 捨てられても悪い子になっても受け入れるしかないんです!!」
「ミシェル……」
捨て犬だったミシェルの悲痛な叫びは、四人の心に深く突き刺さる。フェリックスは、今にもこぼれそうになる涙を必死に堪える彼女を抱き寄せた。
「優秀な犬でも飼い主次第で駄犬にもなる。完璧にしろとは言わないが、せめて正しい愛情を注いでほしい」
飼い主である女性は、やっと過ちに気付いたのか項垂れる。
その後、ミシェルのたっての願いで、トレーナーに躾ける約束を交わしてシェパードの『ロン』はお咎め無しとなった。
ミシェルの怪我を心配するマリー親子も、フェリックスがあとから病院へ連れていくと聞いて帰っていった。
三人を見送ったフェリックスとミシェルは、リビングのソファーに腰を下ろす。ようやく嵐が去り静けさが部屋に戻った。
「ごめんなさい」
ミシェルの第一声に、フェリックスは大きく息を吐く。
「謝るな。悪いのは私達人間の方だ」
悪いのは人間だと言い放った彼女の台詞は身に応えた。人間の身勝手と傲慢さが浮き彫りになってフェリックスは申し訳なく思う。
「人間の中にもいい人はいます。わたしはたいちょーさんがいなかったら生きてきたかどうか」
謝罪と礼の意味を込めてミシェルの頭を撫でる。それは、彼女にとってなによりも嬉しいご褒美なのだ。
「取り敢えず傷口を消毒しよう。噛んだ犬は予防接種を受けているそうだが化膿したら厄介だ」
ミシェルは頷いて素直に治療を受け入れた。
夜も更けた頃、フェリックスの不安が現実のものとなった。ミシェルの様子が心配になって部屋を覗くと、息遣いも荒くベッドで蹲っている。
「ミシェル!?」
慌てて抱き起すと、彼女の体は燃えるように熱く汗だくだった。やはり、傷口が膿んで高熱を引き起こしたらしい。
「しっかりしろ!!」
「たい……ちょ……さん」
ミシェルは、心配かけさせないように笑顔を作ろうとしたが上手くいかなかった。虚ろな瞳に映ったのは滅多にないフェリックスの狼狽える顔だ。
「今、病院に……」と言い掛けて、医者と獣医のどちらへ行けばいいのかと迷う。
もし、病院で検査した際に人間でないとばれたら……。
もし、獣医に診せて対応できなかったら……。
市販の薬だけでも飲ませてやりたいが副作用が起きたら……。
冷静な対応に定評がある彼だが、この時ばかりは頭の中が真っ白になって思考回路が混乱した。目の前でぐったりする小さな少女に焦りだけが募る。
とにかく熱を下げようと急いで洗面器に氷水を作ってタオルを浸した。苦しげなミシェルの小さな額に載せると、別のタオルで汗を拭いてやる。
「たいちょーさん、明日もお仕事あるから休んで下さい」
こんな状況でも自分の具合より主の心配をするミシェルが歯痒い。
「いらん心配するな。甘えろと言っただろう?」
「そうでした」と弱々しく笑う彼女だがすぐに顔が苦しさで歪んだ。しきりに寝返りを打って具合の悪さを紛らす。
そんなミシェルを見守るしかできないフェリックスは夜通し看病した。
一晩中、発熱に苦しんだミシェルはうっすらと意識を取り戻す。首を巡らすとカーテンがほんのりと明るいので朝だと知った。
びっしょりと汗をかいたせいか気怠いが熱は下がっていて、ベッドの端には眉間にしわを寄せて眠るフェリックスがいる。
たいちょーさん、ずっと看病してくれたんだ。
額からずれ落ちたタオルはまだ冷たく、つい今しがたまで替えていたに違いない。
頼もしくて嬉しくてそっと手を伸ばすと、起きたフェリックスと目が合った。
「おはようございます」
精一杯の笑顔で挨拶したが、彼は目を丸くして固まっている。
わたしの顔をじっと見ているけど、熱で顔がむくんでいるのかな?
掌で頬を押えて腫れを戻そうとしていると
「お前は誰だ!?」
「え???」
ひょっとしたら、黴菌が脳を侵して記憶喪失になったのでは……、とミシェルは本気で不安になった。
「誰ってミシェルです。病み上がりで酷い顔かも知れませんが」
「本当にミシェルか?」
「はい」
まだ疑いの眼差しの彼にミシェルは怪訝そうに尋ねる。
「たいちょーさん、どうしたんですか?」
「い、いや。確かに面影はあるが、その、少し容姿が変わったものだから」
鏡を見るよう促された彼女は、サイドテーブルに置いてある鏡を覗いた。
「え? エ? えーっ!? これ、誰ですか!?」
映った姿は女子高生くらいの自分だった。栗色の髪と琥珀色の瞳は同じだが、今までより顔つきが少しおとなっぽい。身長が伸びて、手足が長くなったので着ている服は窮屈だ。
「わたし、どうなっちゃんですか!?」
「落ち着け。とにかく傷口を見せてみろ」
呆然とするミシェルの袖を捲ると、昨日のひどい傷は跡形もなく消えている。まさに一皮むけた感じだった。
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