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光射す海、星降る大地  作者: 椎名 悠宇
二章 ドーナス島
9/59

01

「うっ」

 ルチアは口元を押さえ、勢いよく甲板を走る。すでに見慣れた光景に海賊たちは何も言うことはない。

 すでに胃の中のものは全て吐き出されている状態だったが、未だに迫り来る胃液にルチアは船の桟にもたれ掛かるように倒れこむ。

「ルカ。ちょっと話が……ってまた船酔い?」

 背後からの青年の声に虚ろな目で振り返ると、呆れ顔のロジェが近づくのが視界に入る。しかしその問いに答える余裕などなく、かろうじて首を小さく縦に振った。

「その状況で申し訳ないけれど、僕の部屋に来てもらって良い?」

「う……大丈夫、です」

 よろよろとしながらもなんとか立ち上がり、ロジェの後ろにつく。

 ロジェの部屋は甲板から階段を降りた先、ちょうどバハルの部屋と真反対にあった。この船で個人部屋を割り当てられているのは船長であるバハルとロジェだけであり、ルチアも彼の部屋に入るのは初めてだった。

「汚いけれど、どうぞ」

「お邪魔し――」

 ルチアは言葉を失う。

 部屋の主の言う「汚い」という言葉は謙遜でも誇張でもない。彼の部屋は主に紙の束があふれかえり、デスクや床あるいは寝台にまで広がっている。紙以外にもルチアには用途の見当もつかないが、航海に使うと思われる器具が部屋中に散らばっていた。

「適当に座って構わないよ」

(座るってどこに!?)

 器用に紙を避け、ロジェはデスクに腰掛けるようにして身体を預ける。一方でルチアは座るところなど見つけられず途方に暮れる。

 乗船直後、ルチアが寝泊まりする場所の候補としてロジェの部屋も挙げられたが即座に却下されたことを思い出す。この状態では、とても二人が生活できることはできない。

「入るぜ……って相変わらず汚ねえ部屋だな」

 大きな足音を立てながら侵入してきたバハルは遠慮なく紙を踏み潰した。

「バハル。それ、大事な海図なんだけど」

「ならちゃんと整理しとけ。床にあるもんは屑と一緒だ」

 そのまま紙だらけの寝台に腰掛ける。ルチアもそれに倣い、狭い寝台の隅に縮こまりながら座ってから口を開いた。

「話ってなんですか?」

「僕たちの掟について説明しておこうかと思って。君は一応依頼人ではあるけれど、あいにくこの船は客船じゃないからね。ある程度、ここのしきたりに従ってもらう必要がある」

 掟という言葉に聞き覚えがありルチアは首を捻りながら思い返し、一つの記憶にたどり着く。以前にルチアがバハルやシャントに言われた内容を復唱する。

「女子供には手をあげない?」

「そうだ。――その一。女子供への理由なき暴力は死刑」

「……正当な理由があれば?」

 その質問に、バハルは皮肉げに口角を上げただけだ。それが回答となり、ルチアも必要以上に聞くことはしなかった。

「もし何か危険があったら遠慮なく言ってくれて構わない。この船に君より年下の子どもはいないし――ああ、もしかしたらシャントは年下か同い年くらいかな」

 元気そうな少年の顔をルチアは思い出す。自分とそう変わらない年頃ではあったが、数日前の戦いで彼も活躍していたのを目にしている。何も出来ずにいたルチアとは雲泥の差だった。

「その二、仲間内での船上での私闘を行った場合は孤島置き去りの刑」

「これもルカにはあまり関わりはなさそうだけどね。もし気に入らないやつがいても、戦ったりしないで」

「ただし地上は別だぜ? あくまで船上での話だ」

 少女がからきし力がないことを知った上で付け加えながらバハルは笑う。ルチアは顔を逸らし、拗ねたような表情を見せる。

「その三、船長の命令に従わなければ孤島置き去りの刑。その代わり、船長に対して異議申し立てがある場合は、船員の八割以上の署名を集めること」

 続けられた掟の内容にルチアは首をかしげた。海賊にとって船長の命令は絶対であると考えていた彼女にとって不思議な内容だったからだ。

「バハルさんの命令に従わないってことですか?」

「過去に例がなかったわけじゃない。ルカも署名を集められれば、船員としてバハルへ異議申し立てをすることができるよ。覚えておいて」

「けっ、なんでこいつに異議を言われなきゃなんねえんだ」

 バハルは嫌そうに顔をしかめ、腕を組みながらロジェを睨みつける。しかしロジェはその目を何ごともなかったかのように受け流した。

「そういう掟だからね。その四、脱走を企てたものは孤島置き去りの刑。ルカに一番関係ありそうなのはこれかな」

 意味ありげな表情で舐るような視線を送られ、ルチアは思わず身震いする。横でバハルが小さくため息をつく。

「お前、子ども相手にも容赦ねえな。……とりあえず、一度こっち側へついたんだ。今更海軍側へ寝返るなってことだ。その辺りはルカだって考えた結果なんだろ」

「それはもちろんです」

 ルチアとて海軍――強いては国家に相対する海賊に着いていくことを悩まなかったわけではない。けれど国があてにならない以上、残された道はこれしかなかった。

「分かっているだろうけれど、僕たちは海軍に狙われている。この先何度だって戦うことがある。――それでも君は僕たちの手をとった、そうだね?」

「はい」

 即答した少女に、ロジェは満足そうに微笑み頷いた。

「なら良いよ。……あと他にもいくつか掟はあるけれど、ルカにはほとんど関係なさそうだしな。これくらいで良い?」

「そうだな。ああ、あとゾイがお前のこと心配してたぞ」

 船に乗った翌日から今日現在まで船酔いに悩まされたルチアは、船長室と甲板の往復で一日を終えている。ルチアに合わせて消化に良い食事を作ってくれるゾイには頭が上がらない。

「す、すみません。ゾイさんに厨房の仕事手伝うとか言っておきながら、全然役立てなくて」

 乗船したその日に、一人での調理を嘆くゾイに手伝いを申し出ながらも何一つできておらず、ルチアは申し訳なさそうに俯いた。

「船の一員とは見るが、別に海賊にさせたわけじゃねえ。俺たちの仕事を手伝う義理はルカには無い」

「でも、ひとりで部屋に籠もっているよりは良いんです。手伝わせてください」

 ひとりで部屋にこもっていれば、悶々と今後のことや姉のことを考え続けてしまう。何か気を紛らわせることがあったほうがルチアにとっても助かった。

「好きにしろ。あとで船医のところにでも行け、船酔いに効く薬なんて良いもんがあるか知らねえけど」

「船医!? そんな人が乗ってたんですか!?」

 医者はとても貴重な存在だ。軍の船に乗っていることは特段不思議ではないが、このような海賊船に乗船していることにルチアは瞠目する。

「まだ会ってなかった? 船医室はそこの階段を降りてすぐ右手にあるよ。……ちょっと癖のある人だから、僕としてはあまり会うのは勧めないけれど」

「それはどういう――」

「お頭! ロジェ!」

 扉を勢いよく開けてくすんだ茶髪の少年が部屋へと飛び込んでくる。

「ドーナス島が見えてきましたよ! 久しぶりだなあ」

 きらきらとした嬉しそうな表情でシャントが口笛を吹き、バハルはちらりと卓上に置かれたクロノメーターを確認した。

「定刻通りだな。上に出るか」

 立ち上がった男性二人にルチアもつづく。乱雑したロジェの部屋を出て三人は連れたって階段を登り甲板へと出ると、海の向こうに小さな島があるのを発見する。

「あの島で船の修理を?」

「そうだよ。あれがドーナス島――僕たちの故郷ってところかな」

 ルチアは小さく驚きの声を上げてロジェを見上げた。そして嬉しそうな顔をしているのがシャントやロジェだけでなく、他の船員たちも同様であることに気付いた。

 ドーナス島という名には聞き覚えがないルチアは改めて島へと目を向ける。小さな島が徐々に大きく視界に移る。

「接岸の準備をはじめろ! 今夜は宴だぞ!」

 一際大きいバハルの声が甲板に響き渡ると男たちは雄叫びを返した。

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