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光射す海、星降る大地  作者: 椎名 悠宇
一章 旅立ち
8/59

08

 ロジェの言うとおり、市長の家から少し歩いたところにある港に一艘の船がそびえている。海賊船とは思えないほど立派な、黒く大きな帆が風に揺らめいていた。黒光りした大砲が一列に並び、その数の多さはまるで軍艦を思わせた。

「すごい……」

 驚嘆の声を上げながら船に一歩近づく。至近距離まで近づくと巨大な船の全貌は視界に入らない。

 首を反らし見上げるとひしゃげた船首像を確認できた。それ以外にも船は汚れており至る所に補修のあとも見受けられる。

「誰だ?」

 後ろから声をかけられ振り向くと、右手に大きな紙袋を抱え左手にも大量の荷物を持った黒髪の四十代に見える男がその場に立っていた。

「もしかして例の依頼主の子か?」

「あ、はい。たぶんそうだと思います。ルカと言います」

 小さく会釈をすると男は破顔しながら紙袋を持ち直す。

「俺はゾイだ。この船の料理長をしている。長って言っても料理人は俺ひとりだけどな」

「よろしくお願いします。あの、よければ荷物少し持ちましょうか?」

 手ぶらなのも気が引け提案すると、ゾイは嬉しそうにする。

「いやあ助かるよ。それじゃあこっちを頼む」

 左手の荷物を受け取ると、ずっしりと腕に重みがかかる。慌てて肩にかけ直し、身軽な動きで縄梯子を登るゾイの後を追うが揺れる梯子に動きを取られてしまう。

「だらしねえな。そんなんじゃ航海に耐えられないぞ」

 甲板からの発破に答える余裕もなくルチアは必死の形相で上り詰めた。 荒い息を付きながら周りを見渡すと、広い甲板にしては少ない海賊の仲間たちがせっせと船を動かす準備をしている。自分の仕事に集中しているように見えるが、その目はさりげなくルチアへと向けられているのに気づく。

 大勢の男達の視線を浴びルチアがたじろぐと、ゾイの一喝が響く。

「おまえら! さっさと仕事しねえと今日の飯はないと思え!」

「ひでえよゾイ!」

 文句が飛び交うが、先ほどと比べ物にならないほど活発に男たちが動き始めた。

「安心しろ。うちの掟は厳しいからな、子どもに手をあげるやつはいねえ。顔も頭も悪いのばっかだが、そのへんは安心して良い。それよりお前さん、暇か? 客人とはいえこの船は常に人手不足でな。できれば手伝って欲しいんだ」

「僕で良ければ」

 一人暇を持て余すよりは気が紛れるだろうと思い、頷く。

 ゾイに案内され、二人は小さな調理室へと足を運ぶ。大きな鍋がひときわ目を引き、ルチアは興味深そうに内部を観察する。

「剥製や塩漬けの仕方は知ってるか?」

「それなら出来ます」

 ハウスメイドを雇ってはいたが、趣味の一つとしてルチアも台所に立つことは多い。指示通りに準備をすると、彼女の手際の良さにゾイが感嘆の声をあげた。

「やるなあ。どうだ、船にいるあいだ俺の手伝いをしないか? ここの男連中の食事を一人で作ってるんだよ。さすがに最近は辛くてな」

「もちろんです」

 自分にもできることがあるなら、それに越したことはなかった。ルチアは嬉しそうに笑い、手を休めることなく与えられた仕事を続けた。

「おっさん。……なんだルカもいたのか」

「どうしたバハル」

 扉をくぐり狭い調理室へと顔を出したバハルは、次々と塩漬けを増やす少女の姿を目に止める。一心不乱に励むルチアは彼に気付く様子はない。

「こいつはなにしてるんだ?」

「料理得意みたいでな、助かるぜ。しばらく手伝いさせて良いだろ?」

 ゾイの言葉にバハルは少女をじっくりと観察する。料理長が褒めるだけあり、ルチアの手際の良さは彼ですら感心するほどだった。

「好きにしろ。それより、さっき戻ったロジェからきな臭い報告があったぞ」

「――海軍か?」

 顔をしかめるゾイとは対照的に、バハルの表情は不自然なほどに明るく――しかしその目には憎悪の炎を宿している。ゾイの背筋が凍るほどの冷淡な瞳はすぐに伏せられるが、口元はいまだに歪んでいる。

「あの旗の色は第三艦隊だ。はっ! まさかあいつが来るとはな」

「バハル、あんまり私情を挟むなよ。無駄に犠牲を出させるな」

「分かってるっての。いい加減おっさんは俺を子供扱いするんじゃねえよ」

「あれ、バハルさん? いつの間に」

 男が荒らげる声でようやくバハルの存在に気づいたルチアが顔を上げ、目を丸くする。呆れたようにバハルは嘆息した。

「おいルカ、しばらく部屋にこもってろ。めんどくせえことが始まるからな」

「一体なにが」

「戦だ。海軍が来る」

 淡々とした口調が余計に深刻に聞こえ、ルチアは息を呑み手を止めた。

「この船が狙いですか?」

「そりゃ一つの都市を潰したしな。それくらいはされるだろ」

 海軍の力を実際に目の当たりにしたことはないが、ただの海賊船に勝算があるとはルチアは思えなかった。おずおずと小さく「勝てるんですか」と呟く。

「正面切って戦えば負けるな。だが正攻法で勝つ必要なんてさらさらないんでね。おっさん、こいつを船長室に連れて行け。ルカは誰かが良いと言うまで大人しくしてろ」

 そう言うなりバハルは大きな靴音をたてながら立ち去る。不安そうな表情でゾイを見ると、彼は苦笑しながらも急いで片付けをする。

「とりあえずこっちは後回しだ。移動するぞ」

 慌ててルチアも目の前の食料を片付け、言われたとおりにする。

 船内では男たちが慌ただしい様子で狭い廊下を動き回っていた。ルチアも速度を上げて大股で歩くゾイを追いかける。

「大丈夫なんでしょうか……」

「あまり楽観視するのは好きじゃないが、平気だろう。あいつの戦い方は破天荒だからな。正統派な戦い方をする海軍からしてみりゃ、厄介な相手だよ」

 ふいにゴォンと耳をつく音がルチアに届き、同時に船がぐらりと大きく揺れ少女の身体は思い切り壁に叩きつけられる。

「……っ!」

「大丈夫か!? くそっ、思ったより早いな」

 その場で踏みとどまったゾイは、衝撃に目をつぶるルチアを肩に担ぎ上げて階段を駆け上る。そして一つの部屋を勢い良く開け、そこの寝台にルチアを放り込む。

「ここにいろ! なにがあっても出てくるなよ」

 言うなりゾイは急いで元きた道を走って行く。

 固く閉ざされた扉の向こうから、けたたましい轟音と襲撃を知らせる鐘の音が鳴り響くのをルチアは寝台の上で呆然としながら聞いていた。

(海軍がこんなときに来るなんて。でもみんな負けるなんて思ってなさそう……)

 自信たっぷりなゾイには不安げな様子は見られなかった。ゾイだけでなく他の海賊たち誰もが高揚感に包まれてはいるが、恐れるような表情をしていないことにルチアは気づいていた。

(そういえばここはどこ?)

 放り込まれた部屋は簡素ながらデスクや寝台が備え付けられており、床を見ればルチアの荷物が置かれていた。

 出窓から外を覗くと、広がる青い海と街の様子から自分がいる場所が船尾楼なのだと理解すると同時に黒い点が海に光るのを見つけた。

 ルチアの足元が揺れ船が動き出す。徐々に離れていく街並みと共に、黒い点が近づいてくる。その正体が大きな船であり、その橙色の帆に黒い獅子が描かれた文様が描かれているのがルチアの目に入る。

「海軍!」

 叫び声と同時につんざくような轟音が再度船を襲い、ルチアは慌てて窓の桟に捕まった。揺れる船と、頭上では走り回る足音が天井を響かせている。

 海軍の船に備えられた砲台が白煙を上げているのが遠くからでも確認できた。そして、次いでけたたましい音と共に軍艦のすぐ側で高い水しぶきが上がる。

「こっちの砲台……!?」

 脚を踏みしめながらルチアはこっそりと扉を開けて外を覗きこむ。ふいに茶色の瞳とかち合った。

「邪魔!」

 火薬筒を持ったシャントが近づき、顔をだすルチアに向かって怒鳴る。慌てて顔を引っ込めると、その眼前を素早く移動した少年は跳躍するように階段を降りていく。

 断続的に揺れと砲台を撃ちあう音が鼓膜に届き、ルチアはどうすることも出来ずに部屋の中に戻る。

 もう一度出窓から外の様子を見ると、先程よりも近くなった軍艦が目視できた。

(……近すぎない?)

 あきらかに軍艦へと近づく速度が上がり全貌が確認できるほどだ。これだけ近づいた状態で大砲を打てばこちらの船にも被害が及ぶ。

 慌てて窓を開けると海風に乗って男の声が届く。

取り舵いっぱい(左へ旋回)、そのまま突っ込め!」

 バハルの良く通る声が上から聞こえ、その内容にルチアは青ざめた。

(まさかこのまま……!?)

 ルチアの懸念通り、船が軍艦の右舷へと移動し船の速度が急激に上昇する。慌てたのは彼女だけでなく、向こうも同様だった。

 大砲の音が鳴り止み、軍艦は急旋回して舵のある右側を破壊されまいと移動する。しかしそれより先にこちらの船首がめり込んだ。先ほどとは比にならない衝撃が船を襲い、ルチアは床に身を投げだした。

「まだまだそのまま!」

 バハルの声が窓から滑り込むと同時にバキバキという悲惨な音がどこからともなく聞こえてくる。

「バハル! そろそろ引かないとこっちも沈むよ!」

 窘めるような声はロジェのものだ。不満をいう船長を叱り飛ばす様子が想像できた。苛立つようにバハルが怒鳴るも、次第にその声は落ち着きを取り戻していく。

「仕方ねえ。お前ら、撤退すんぞ」

 命令とともに船はゆっくりと進路を変える。ルチアも飛び上がり窓を再び覗くと軍艦が小さくなっていくのが見えた。彼らも船に痛手を追っており、深追いはせずにゼノの港へと戻っていくようだった。

「終わった……の?」

 身を翻しルチアは部屋から出て階段を駆け上がり、青空の下へと飛び出した。そこには満足そうなバハルと呆れ顔のロジェが立っており、息を切らして現れたルチアを見つける。

「怪我はない?」

「は、はい。あの……船は」

 優しげなロジェの言葉に頷きながらルチアはあたりを見渡す。男たちが今度は船の損害状況を確認するために忙しく動きまわっているのを確認する。

「近場までの移動だけなら大丈夫、ってところかな。悪いけど先に修理に出さないといけないから遠回りするよ」

「修理って、どこで?」

 造船所がひしめく工業都市ミネラは軍お抱えの場所だ。海賊船を修理してくれるとは到底思えずルチアは首をかしげた。

「そのうち分かる。それより部屋には行ったのか?」

 ルチアが頷くと「なら良い」とバハルは相槌を打った。

「大人しく部屋で待ってろ」




 そしてルチアは、彼が「待っていろ」と言った真の意味を知ることとなる。

「まさか、一緒の部屋ってことですか!?」

「あ? 言わなかったか」

「聞いてません」

 部屋の寝台でくつろいでいたルチアは目を丸くし、部屋に入ってきたバハルを見た。面倒そうに男は髪をガシガシとかきむしる。

「ここは俺の部屋だ、文句あるのか。ロジェの部屋は――論外として、階下の狭い部屋でハンモックで寝るか?」

「それは大部屋ですか?」

「当たり前だろうが」

 サピエンの宿屋で一時的に同室になったときとはわけが違う。長い日数を、一つしかない寝台で共に過ごさねばならない。

 バハルと二人きりの部屋か、それともその他大勢の男たちと同じ狭い部屋にいるか――悩んだ末にルチアは結論を出す。

「……お世話になります」

「おうよ。寝台は半分……いや三分の一貸してやる」

 決して大きいとはいえない寝台だが、寝相は悪く無いと自負するルチアなら十分だった。しかし異性と一緒の寝台で眠るなどしたことがなく、ルチアは緊張に身体を強張らせる。

「つっても、今日俺は見張り役だからな。甲板に出てるから適当に使え」

「え? 船長なのに見張りまでするんですか?」

 エレーヌの話ではそういう役は下位の者がするはずだ。船長自ら寝ずの番など聞いたことがなく問うとバハルは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「うちは人手不足なんだよ。俺含めロジェも、あとゾイもな。全員で持ち回りだ」

 言われてみれば、巨大な船を持っている割に船員の数はあまりに少ないと感じた。料理長であるはずのゾイですら、襲撃の際には短剣を持って戦おうとしている。

「私も一緒に外へ行っても良いですか?」

「良いけどよ。別に楽しいもんなんてねえぞ?」

 それでも一日じっと部屋でこもっているよりはマシだった。なにより、昼間以降ずっと部屋にいて外の空気を吸えていない。

 バハルの後ろを追いながら二人は外に出る。甲板に立ち、ルチアが首を上げると視界に、漆黒の闇に光り輝く星が見えた。

「きれい……」

 遮るものや邪魔な灯りのない夜空に煌々ときらめく星が今にも降り注ぎそうで感嘆の声を上げる。

 カンテラを持ってバハルは甲板の端に腰掛ける。いつの間にかその手には酒が握られ、口で栓を開けそのままごくりと飲み込んでいる。拍子にラムの香りがルチアの鼻をくすぐった。

「やっぱりお前も星が好きなのか?」

 それがエレーヌを思い出しての発言なのだと気付く。ルチアは同意しながら、その場で踊るように回りながら星空を眺める。

「学術的なことは分からないけど、星は我が家にとっての光ですから」

「光?」

「そう。カーティス家を照らす光。星のおかげで我が家は名誉と栄光を手に入れました。だから僕の名前も光っていう意味で――」

 慌てて口を噤み、気まずそうに俯いた。古語で光を表す名前はルチアであって、ルカではない。

 しかしバハルは何も言わずに酒を呷った。

「家名を誇る気持ちってのは分からねえな」

 この国では珍しい褐色の肌は、船内においても異色だった。皆日焼けはしているもののバハルのそれとは明らかに異なる。

 けれどルチアには彼がどこで生まれ、どうして海賊になったのかなど聞くことはできない。以前に忠告を受けたこともあるし、なにより性別を偽る自分に負い目があった。

 ただ、これだけは聞いておきたいことがあった。

「これからも海軍と戦うことはあるんですか?」

「だろうな。今回はやけに向こうの引きが早かったが、普通なら白兵戦になってもおかしくない。――後悔しただろ? 海賊船に乗ったこと」

「していません」

 エレーヌを探すための最善策だったとルチアは考える。それに彼らと知り合えたからこそ、姉が今行きている可能性が高いと知ることができた。

 顔を上げ、真っ直ぐな目がバハルに刺さり、男は小さく笑った。

「……気分も晴れただろ、さっさと寝とけ。明日から荒れる海域に入る。今から体力保ってねえと死ぬぞ」

「はい。おやすみなさい、バハルさん」

「ああ」

 言われたとおりに階段を降りる直前でルチアは一瞬だけ振り返る。自分が先ほどしていたように、バハルが座りながら首を上に向けて満点の星空を眺めていた。

 瞳に映る星の輝きとは正反対に、バハルの表情は暗く陰を帯びていた。

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