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光射す海、星降る大地  作者: 椎名 悠宇
一章 旅立ち
5/59

05

 バハルたちと合流してすぐ三人は馬車へと戻ってきた。サピエンに滞在している間もシャントが馬の世話をしていたようで、新たな主人の顔をみて馬が鳴き声をあげる。

 前回同様にシャントは御者台にあがり、バハルは馬車に乗り込む。その後にルチアも続いた。

「明後日にはゼノに着けるか?」

「なにごともなければ、ってとこっすね。裏道で行きます?」

「あっちの道も色々面倒そうだがな。まあ仕方ねえか」

 大規模な建物が多いサピエン市の面積は広く、隣市とはいえゼノまでたどり着くには時間がかかる。さらにバハルたちは大通りとは外れた街道を進むことに決めたため、さらに到着は遅れる。

 バハルが椅子に腰を沈めるとシャントが馬を走らせ、馬車は裏道がある森へと向かって走る。サピエンの街が小さくなっていくのをルチアは何の気なしに眺めた。

(ルミアさんが言っていたとおり政府が絡んでいるなら、お姉ちゃんが探検隊に選ばれたのも偶然じゃないってことなのかな)

 有名な家名を持ち優秀ではあったが、姉自身はまだ無名な学者である。数は少ないとはいえ、他にも著名な女性学者も存在した。姉が人並み外れた努力家であることは間違いがなかったが、国の威信をかけた探検隊に選ばれるほどの経験を積んだかと言えば、答えは否だ。

 ルチアがため息をこぼす姿を見とがめたバハルが、腕を組みながら視線を送る。

「しけた面してんな」

「……失礼ですね」

「悩むより先に行動するのが俺の信条でな。ぐだぐだ言ってる暇なんてねえんだよ」

 右足を椅子の上に乗せ、尊大な態度でバハルは床に座る少女を見下ろす。しかしふいにその視線が外れる。

「シャント」

「あー……停まります?」

 不審がるルチアだったが、複数の馬の蹄が近づく音が耳に入る。慌てて窓から外をのぞくと、下卑た顔で馬車を追う男たちを見つけ顔を青ざめる。

「また山賊!?」

「ちょうど身体も鈍ってたところだ、相手をしてやる」

 好戦的な表情で短剣を腰から抜くと同時に扉を開け、バハルはまだ動いている馬車から飛び降りた。転がるように着地をすると、勢いよく地を蹴り疾走する。

「なにっ!?」

 驚愕の声を漏らす山賊が馬の手綱を引くがバハルのほうが早い。先頭の馬の脚を切りつけすぐにその場から一歩退くと、甲高いいななきを上げながら馬が前足を振り上げる。暴れる馬は一人の山賊を地面へと叩き落とし、後続の男たちは慌てて馬を止める。しかしその時にはすでにバハルが近づき、無理やりもう一人の山賊を引きずり落とし胸を踏みつける。

 苦悶の声を上げながら胸を押さえる男がバハルを睨みつけるが、乾いた笑みを浮かべ再度蹴りつけると男は沈黙する。

「ルカは大人しくしててね」

 馬車を停めたシャントが御者台から降り、残った男へと駆ける。その身のこなしはバハル以上に素早く、一気に間合いを詰めた少年の剣が馬上から降りた男へと振りかざされる。その剣はすんでのところで受け止められるが、反撃をするより前に二度目の斬撃が男を凪ぐ。

 惨劇の終焉があっという間に訪れる。十を超える数の山賊たちが地に伏せ、致命傷を追うものはいるがまだ生きている。

「おい、お前らまだやる気か? 次は手加減しねえぞ」

 竦み上がるような声色に、数少ない無傷の山賊たちが震え上がる。目を合わせた男たちは一瞬の間を置いて逃走する。

「なんだよ。運動にもなりゃしねえ」

「……つうかお頭、相変わらず馬鹿強すぎ。オレ全然相手してないんだけど」

「お前は速さに頼り過ぎなんだよ。敵は一撃で仕留めろ」

 悠々と馬車に戻る二人の男たちは、呆然としてへたり込む少女の姿を見つける。口を開いたままぼんやりとしたルチアの目の前でシャントが手のひらを振ると、びくりと肩が震える。

「ちょっと刺激が強すぎたかな?」

 少年の声でルチアの意識が覚醒し、恐る恐る男たちを見上げた。二人は多少の返り血を浴びてはいたが、傷ひとつ負った様子はなかった。

「あ……今のは」

「正真正銘山賊だろうな。大した金も持ってやしねえ、タダ働きになっちまった」

 いつの間にか山賊たちから金品を巻き上げたバハルが、馬車に乗り込みながら札を数えて舌打ちする。

「じゃあ今度こそ行きますか」

 軽快なシャントの声が響き、馬車は再び動き始める。いまだ怯えた様子のルチアに目を落としたバハルが声をかける。

「俺たちが怖いんだろう」

「それは……」

「お前が行こうとしているゼノはそういう奴らばかりだ。忠告したはずだぞ、行くのは止めておけとな。選んだのはお前自身だろうが」

 姉を探したい一心で男に化け、ルチアは旅に出た。しかし実際に危険を目の当たりにして出来たのは、恐怖に怯えることだけだった。

「なにも、考えていなかったんです。何とかなる……そんな風に思っていたから、実際にこんな目にあってどうすれば良いかなんて分からなくて」

「無鉄砲なのは人のことは言えねえけどな。――強くなりたいか、ルカ」

「はい」

 即答したルチアに、バハルは屈託のない表情を向けるとにやりと笑う。その笑みの意味を理解したのは、その日の夜だった。



 強くなりたいかという問いに頷いたことをルチアは後悔していない。

馬を休ませるために森の中で休憩をとった夜、バハルは無言でルチアへと棒切れを差し出した。訝しがりながらそれを取った瞬間、いきなりバハルが同様の棒をルチアへ叩きつけようとして慌てて避ける。

「強くなりたいんだろ? あと二日しかないが、みっちり仕込んでやるよ」

――こうしてバハルの指導が始まった。

「腰が低い! もっと相手の動きを見ろ!」

 容赦のない打撃でルチアの身体が転がり、擦れた背部が悲鳴を上げる。しかし声には出さずに、黙ってふらつく脚に力を入れて立ち上がった。

 もう今晩だけで幾度地を這ったか数えることも出来なかった。明日には全身痣だらけになっていると予感する。

「お前はどう頑張っても腕力じゃ相手に勝てない。シャントと同じタイプだ、その小ささを利用しろ」

「ええ! オレそんなに小さくはないっすよ。まだ成長期なんだし……」

 二人のやり取りを大人しく見ていたシャントが抗議するが、それは無視された。

「隙を探せ。特に小柄なやつは相手から見くびられることが多い。その油断を利用しろ」

「隙を見つけて一気に打ち込む?」

 しかしバハルは首を横に振る。

「違う。隙を見つけて逃げるんだ」

「はい?」

 強くなるための稽古のはずではないのか、と疑問符を浮かべた少女にバハルが首をすくめる。

「はっきり言うがお前は筋力がなさすぎる。どう足掻いても勝つなんて無理だ、絶対にな。逃走だって一つの戦法だ。強くなけりゃ逃げ切れねえだろ?」

「それは……確かに」

 逃げた瞬間に後ろを取られれば一巻の終わりである。ルチア自身、自分に剣の腕があるとは到底思えず同意する。

「だからお前は打ち合うんじゃなく、避けることを第一に考えろ。ピストル相手じゃどうしようもないが、そんな相手と戦う予定はないだろ」

 射撃の的になるためには海軍を相手にするほかない。ルチアがそれと敵対することはないだろうとバハルは踏んでいるのだろう。

(……それはどうかしら)

 ルチアの行動は海軍の意に反するものという自覚はあった。もしかすれば、彼らを相手にすることもある。

(かといって海軍相手に勝てるわけもないけど)

「というわけで俺はひたすらお前に打ち込む。手加減してやってるんだ、きちんと避けろよ」

 思考を遮るようにバハルの声が飛び、ルチアは必死でその棒を目で追う。彼の言うとおり、山賊を相手に立ち振る舞ったときに比べて遅い動きだ。しかしそれでもルチアには十分な速度だった。

「あっ……!」

 露出した顔に棒が当たりジンジンと痛み、頬を手の甲で拭うとわずかに血が付着した。キッと睨みつけ、ルチアは腰を低くしバハルの動きを読み取ろうと目を凝らす。

「いい顔だ。行くぞ!」

 疾風のように走るバハルの棒が振りかざされる。ルチアは瞳を閉ざさすことなく彼の一挙一動を目に焼き付けながら重たい身体を横にずらす。間一髪で棒を避けると、耳元で風を切る音が間近で聞こえる。

「やるじゃねえか、その調子だ!」

 間髪入れずに次の打撃が繰り出され、一歩後方に飛び抜く。棒が地面に叩きつけられ、粉塵が舞って思わず咳き込む。

「戦いの最中は音をたてないのが基本だ!」

 ガツンと衝撃が肩を襲うが、痛みをこらえてバハルから距離をとる。

「……なんでルカはそんなに頑張っちゃってるわけ? ただゼノにいる家族に会いに行くだけでしょ?」

 シャントの声が遠くから聞こえるが答える余裕はなかった。探るような瞳は、ルチアが嘘をついていると確信しているようで、真意を分からせまいと顔を逸らす。

「ま、オレには関係ないけどさ」

 ごろんと寝そべり、つまらなそうにシャントは瞳を閉じ眠りに身を任せた。

「まだまだ行けます!」

 ルチアは叫び、なおも迫り来る猛撃を目で追う。

 こうして、バハルによる訓練は太陽が顔を出す時刻まで続いた。




 キキッという音をたてて車輪が停まり、ルチアは筋肉痛の身体を引きずるようにして馬車から降りる。二晩続いた稽古のせいで少女の身体は疲労感に包まれている。

 夜更けに辿り着いたゼノはサピエンとはまったく異なる街の雰囲気を持っていた。白を基調としたサピエンとは対照的に、ゼノは至るところが黒焦げになっている。倒壊している建物も多く、道を歩く人間も険しい顔をしてせわしなく歩いている。

「この建物は海賊王の戦いのときに壊れたもの?」

「違うって。全部とは言わないけど、これのほとんどは二十年前の革命の痕。ここが昔は王都だったことくらい知ってるでしょ」

 シャントが道を塞ぐ瓦礫を蹴飛ばし、崩れそうな建物に当たって砕ける。気だるそうなバハルがひらひらと手を振る。

「ってわけで、お前とはここでお別れだ。せっかくこの俺が直々に稽古をつけてやったんだ、元気でやれよ」

「え、え? 本気で?」

 たしかに彼はゼノまで連れて行ってくれるとは言っていた。しかし本気で何事もなく放り出されるなど信じておらず不安げに顔を上げる。

「なんだよ売っぱらって欲しいのか? あいにくこっちもそんなに暇じゃねえんだ。じゃあな」

「じゃあね、ルカ」

 そして彼らはルチアを一度も振り返ることなく去っていく。

 二人の後ろ姿をぽかんと口を開いて見つめてから、気を引き締めるようにトランクケースを持つ手に力を込める。

(しっかりしなくちゃ、ここで呆けてなんかいられない。とりあえず手紙の差出人か海賊王の手がかりを探して――)

 ぐう、と腹の音がなり考えが中断される。お腹を手で押さえ、あたりを見渡すと一件の食堂が目に入る。

「とりあえず腹ごしらえしてから考えよう……」

 立て付けの悪そうな扉を開けると、外見に比べ店内は思ったよりは乱雑としていなかった。ルチアの顔を見て中にいた主人が無愛想に「らっしゃい」と告げた。

「あの……お腹が空いて。スープとパンはありますか」

 カウンターに腰掛けて聞くと、主人は小さく頷く。

「野菜スープとフレンチトーストで良いか。お代は五千デリーだ」

「ええ!? 相場を超えての料金徴収は法に触れるはずです!」

 法外な値段にルチアは飛び上がり、以前にも使った言葉をルチアが投げかけると主人は鼻で笑った。

「馬鹿言っちゃいけねえ。今、この街でまともに機能している店は数えるほどだ。その中じゃうちは良心的なほうだぞ」

「そんな、でもこんな値段で商売しているなんて知れたら……」

「この街で法なんてものなんの役にも立たんよ。強いものが法であり、弱いものは搾取されるのが当たり前なんだ。この街に脚を踏み入れたなら覚えておくんだな」

 ルチアは黙りこみ、しぶしぶ言われたとおりのお金を差し出した。主人は無表情でそれを受け取ると支度を始める。

「あの、この街に海賊王がいるって聞いたんですけれどどこにいるかご存知ですか?」

「あいつなら一ヶ月くらい前に用があるって出かけていったな。それから見てねえ」

「うそ!? 行き違い……?」

 落胆を隠せず肩を落とすが、手がかりはもうひとつあった。懐に入れた手紙を服の上から触れて確かめる。

「それなら、この街で結婚式をしそうなところはありますか?」

「はあ? 結婚式なんてこんなところでやる馬鹿はいねえよ」

 ルチアの予想と同じ結果が返され、エレーヌへ宛てられた手紙を再度読み返す。

『愛するエレーヌへ。こうして手紙を書くのも久しぶりだ。俺たちを祝福してくれる大勢の友がゼノで待っている。結婚式の日まで、あと半年だ。祝福の鐘も待ちきれないように鳴り響いている。……最近手紙をくれなくなった君を、皆心配している。どうか連絡が欲しい。――君を愛する男より』

「それじゃあ祝福の鐘っていうのに心当たりは?」

――祝福の鐘も待ちきれないように鳴り響いている。

 具体的な場所が記されていない以上、鐘があるところが手がかりになるのではとルチアは思う。主人は考えるように視線を上に向けた。

「祝福……かどうかは知らないが、鐘ならきっと神殿だな。廃墟になっちゃいるが、あそこの鐘壊れやがってな。たまに今でも鳴り出す時があるんだ」

 海神の末裔を名乗る王家が崩壊してから神殿の力も衰退し、現在ではほとんどの地域にある神殿が廃墟と化している。中央区にあった神殿跡地も現在は老朽化が進み、浮浪者のたまり場になっていた。

「ゼノの神殿はどこにありますか?」

「ここから南に行けばすぐに分かる……が、今行くのは勧めない」

 神殿について詳細を語るのを嫌がるように背中を向けられ、それきり無言で主人は調理を始めた。

(神殿でなにかあるの? 結婚式じゃなくて、なにか違うことが……)

 ルチアがいくら考えても答えは出なかった。眉間にしわを寄せて考えこむ少女の前に、湯気がたったスープとトーストが出される。

 諦めてトーストを口にふくむと、甘い香りが鼻孔をくすぐり蜂蜜の味が舌の上で広がった。

「おいしい」

「そりゃどうも」

 愛想のない返事だが、主人の顔は心なしか喜んでいるようにも見えた。

「失礼なんですが、この街で店を開いている理由はなんですか? 見たところかなり治安も悪そうだし……」

 柄の悪そうな人間が街を歩いているのをルチアも見かけた。中央区やサピエンとはまったく異なる街の雰囲気にそうそう慣れそうもなかった。

「そりゃあここが俺の生まれた街だからな。寂れたからって故郷を捨てようとは思わないね。それにこんな店でもお得意様がいるもんでな」

 ルチアが中央区を恋しがるように、彼もこの場所を愛しているのだと気付かされる。汚れた器具を洗い始めた主人の背中にルチアは謝罪する。

「すみません。故郷を悪く言って」

「別に構わない。この街がなんて呼ばれてるのか、住人が一番知ってるからな。犯罪の街――昔は王都としてどこよりも栄えた地域なのにな」

 主人の年齢なら共和国になる前のゼノも知っているはずだった。昔の栄光を振り返るように主人は瞼を閉ざしていた。

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