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光射す海、星降る大地  作者: 椎名 悠宇
一章 旅立ち
3/59

03

「シャント」

 いくらか馬を進めた頃に、御者台に座るシャントは名前を呼ばれ振り返る。バハルが小窓からわずかに顔を出し、その背後に床に座っていたはずのルチアが椅子の上で丸まって眠っているのが見えた。

「なんで椅子で寝ているのかは聞かないほうが良いですかねえ」

 バハルがわざわざ抱きかかえて寝かせたことを知りながら言うと、小窓から伸びた手がシャントの髪を引きちぎる。

「ちょ、男にとって髪はなにより大事なんですよ! お頭もそろそろ気にしたほうが良い歳――待って、いたっ!」

 ぶちりと音を立て儚く舞い散る髪を見て、シャントは涙目になりながら自分の頭を撫でる。

「ひでえや。……それよりお頭。その子どうする気ですか?」

「どうもしねえよ。ゼノまで行こうとするなんて狂気の沙汰じゃないが、そこまでは俺には関係ない」

 二人の視線はひとり静かに寝息を立てる少女へと向けられる。ルチアは眉間に皺を寄せて小さく何かを呟きながら狭い椅子の上で身動ぎした。

「まったく、うちのお頭は本気で人が良いから」

 金銭目的で御者に襲われそうになっていたルチアを拾ったのは偶然だった。元々はくたびれた馬の代わりとなる馬車を狙い、静止していた馬車を襲うつもりだった。ところが馬車の主が震えながらナイフを手にし、扉の前で隙を窺っているのを見つけのだ。

「どうせ目的地は一緒みたいだしな。その前に逃げるなら別にそれも構わないが、どうせゼノまで行くならこの馬車しか方法はないしな」

 危険を冒してゼノまで行こうとする馬車は限られるだろう。本気でゼノを目指しているのであれば、逃げ出すことはありえない。

「良いんですか? オレたちの目的に気づかれて政府に密告するかもしれないっすよ?」

「そのときは容赦はしない」

 バハルの瞳が鋭利な刃物のように細まり、ぞくりと背筋が粟立つのを感じる。バハルを敵に回したら最後、生きてはいられないということはシャントは誰よりも理解していた。




 太陽が昇り始め、白い光が馬車の中を差し込む。ルチアは眩しさに反射的に瞼を下ろした。

「おい、ルカ」

 馴れ馴れしく名を呼ぶ男に嫌そうに瞳を開けるが、バハルは気にする素振りも見せない

「そろそろサピエンに付く。街に入ったら一旦宿を取るぞ」

 偉そうに言うが、その宿のお金はルチアの所持金から出るはずだった。バハルに奪い取られている財布の中には、全員が寝泊まりしても十分なお金が入っている。

「お頭。サピエンが見えたっすよ」

 御者台から声がかかり、バハルが窓から顔を出し半身を乗り出した。

「久しぶりだな、あの街は」

 白いレンガの家が立ち並び、街の中を流れる川の水を反射してきらきらと青く輝くサピエン市が目に入り、ルチアはこっそりと感嘆の声を上げる。中央区から出たことがないルチアにとっては未知の世界だ。

「おいシャント! 馬車は適当なところに隠して、街までは歩いていくぞ。万が一あの野郎が盗まれたなんて吹聴してたら面倒なことになる」

 バハルが元の持ち主のことを言っているのだとルチアも理解した。シャントもそれに応じて馬は街道を外れた。茂みの中に馬車を隠し、馬に十分な水と食料を置いておく。

「持ってやるよ」

 山賊らしからぬ親しげな表情でシャントに声をかけられ、トランクケースを奪われる。拒否しようとするルチアの声も聞かず、シャントは悠々と歩く。

「……バハルさんはどの国の出身ですか?」

 ずっと気になっていた疑問をルチアは投げかけた。ルチアやシャントと違い、褐色の肌は生粋のマービリオン人ではあまり見かけない。

「さあな。そんな昔のことはとっくに忘れたぜ」

 ぶっきら棒な物言いの中に、若干の苛立ちを含んでいるのを悟りルチアは口を閉ざす。触れてはいけないところだったのかと思い悩む少女にシャントが声をかける。

「あんたはこの国が好き?」

「もちろん」

「その理由は?」

「……だって、生まれた国だから。嫌いになる理由がないです」

 それ以外に理由を見つけられず困惑した表情で見上げると、乾いた笑みを浮かべるシャントに見下ろされる。

「単純な理由だなあ。オレは生まれた国だからこそ大っ嫌いだけどね」

「生まれた国だからこそ?」

 謎かけのようなシャントの言葉を理解できず、眉間に皺を寄せて考え込みながら歩く。そのせいで、ドンと目の前のバハルの背中にぶつかった。

 市の境にはルチアの身長を五倍ほど高くした程度の壁がそびえ立ち、中に入るためには必ず関所を通る必要がある。国民登録をしていれば誰でも入手できる手帳を見せて身分を証明しなければならない――はずだった。

 先日見た白い詰め襟と同じ服を着用した海軍兵が、関所の扉に立ちふさがるように厳しい目でルチアたちを見る。慌てて手帳を出そうとする少女をシャントが止める。

「しっ。それは仕舞って」

「一万だ」

「三万」

 短い単語で海軍兵とやり取りをしたバハルは、最後に舌打ちして袖から財布を取り出す。赤色のそれは昨晩取り上げられたルチアのものだった。声を上げる前にその中から三万デリーを抜き取られ、それは海軍兵の胸元へと仕舞われる。

 無言で顎をしゃくられ、バハルとシャントは黙って門をくぐる。その後を動揺しながらもルチアも続いた。

(賄賂……?)

 手帳も出さずに関所を通過した彼らの言動は随分と手慣れた様子だった。当たり前のように金銭を受領した海軍兵は、すでにこちらも見ずに次の訪問者と話をしていた。

「あの、今のは」

「あんなの日常茶飯事だろ。世の中清廉潔白に生きている人間のほうが少ないってことだ。お前も簡単に手帳を出すなよ。そこからこっちの足がつくだろ」

 冷笑するバハルの表情を見て、ルチアは静かにため息をついた。あまりにも彼らの存在は彼女にとって異質だった。




 学問の街と呼ばれるサピエン市は、巨大な図書館や資料館、博物館が揃っている。中央区と同じく海に接しない内陸部にあるが、国内外から専門家達がこぞって集まっている。

 しかし、さすがに早朝では歩いている人間はまばらだった。

「ここで良いな」

 バハルの視線が指す方向を見ると、質素な宿が目に入る。同行者の意見など聞く様子もなくバハルが扉の奥へと消え、ルチアたちも後を追う。

宿の中は一階が食堂になっていた。学者らしい男たちが談笑している姿が見かけられ、それなりに繁盛しているようだった。

「いらっしゃい」

「三人。泊まりだ」

 女将の挨拶にバハルが簡潔に答える。一人だけ雰囲気が違う少女を凝視する視線に押され、ルチアはぎこちなく視線を下ろす。

「今、大部屋の空きは一人分しかないよ。あとは特別室が一室空いてる。全員で一晩一万五千デリーだ」

「それで良い。おいシャント、お前大部屋に行け。俺たちは特別室に泊まる」

 その言葉に、シャントは唇を尖らせて不満を漏らす。

「ええ、ずるい! オレ繊細だから大部屋なんて寝れないっすよ」

「嘘もたいがいにしろ。嫌ならお前は野宿だ」

 バハルに鼻で笑われ、不平不満をたらしながらも野宿よりはマシだと判断しシャントは肩を落とす。

「分かりました。はい、これ」

「……ありがとう」

 トランクケースが無事に返される。シャントが本当に親切心から持ってくれていたのが分かり、ルチアもきちんと礼を述べた。

「じゃあこれが特別室の鍵だよ」

 投げつけるように鍵を手渡され、歩き出すバハルの背中をルチアも追った。

 二階の一番奥に用意された部屋は、特別室とは名ばかりの質素な部屋だった。窓には埃がつもり、じめじめした空気が漂う。しかし部屋の中には小さいが浴室が備えられていた。

 ルチアのような中流階級以上の家には当たり前のようにあるが、一般的には公衆浴場を使うのが普通だ。寂れた宿の一室に備えられていることに驚くが、それはバハルも同じだったようだ。

「へえ、こんな宿の部屋で浴室があんのか。さすが高い金を払っただけあるな」

「……そのお金は誰のものですか」

「細かいこと気にすんな。入りたいなら入って良いぞ」

 それは有り難い申し出だ。汚れが肌にまとわりつき、髪もごわごわとしており日ごろなら喜んで入っていただろう。しかし、一つ大きな問題がある。

「バハルさんはどこか行く予定は……」

「あ? せっかく寛げるってのになんで出かけなきゃいけないんだよ」

 そういうことじゃない、という叫びを飲み込む。淑女にとって男の前で肌を曝け出す危険性は避けたい。しかし男と偽っている以上、ここでバハルを追い出そうとすれば怪しまれるのは必至だ。

「……わかりました」

 なかば自暴自棄になりながらトランクケースの中を開ける。金目の物はすでに取られていたが、さすがにルチアの衣装までは奪い取られなかった。

 今着用しているものと似たような着替えを取り出し、こそこそと浴場へと入り着替えも全てその中で行う。

 栓を引き抜くと勢い良くお湯が吹き出す。頭から熱いお湯をかけると、埃や汚れが洗い流されるのを感じ一息つく。石鹸を泡立てごしごしと痛いほど全身をこすると黒いお湯が流れていく。

(これからどうしよう)

 中央区で聞いた御者の言葉振りから、ゼノ市までの馬車を捕まえるのは難しいだろう。いくら隣市とはいえ徒歩での移動では何日かかるか分からないし、また誰かに襲われる可能性もある。バハルはルチアに危害を加えようとはしないが、他の人間ならどうなるか計り知れない。

(やっぱり奴隷市場に売られるのかな……?)

 身の代金など手に入らないことはルチアが一番知っている。今はまだ誤魔化せているが、ゼノに着き嘘が見ぬかれてしまえば奴隷として売られる以外考えられなかった。

 しかしバハルが奴隷について語ったとき、そのような場所を嫌悪しているようにルチアは思えた。

「おい。まだ入ってるのか?」

 バハルの声にはっとルチアは息を呑む。随分長い間湯にあたっていたため思考が朦朧となり頭を振りかぶる。

「すみません、もう出ます」

 もう一度栓をして湯を止め、備え付けのタオルで身体を拭いてから洋服に着替える。

 ふと、ささやかな胸のふくらみが視界に入る。

「ばれなくて良いんだか悪いんだか……」

 諦め心地に呟いてから浴室の扉を開けると、バハルが考え込むように寝台に腰掛けていた。ルチアが出てくるのを見て彼は立ち上がる。

「バハルさんも入りますか」

「ああ。二週間くらい入ってねえし」

「二週間!?」

 思わずルチアが後ずさり距離をとるとバハルは苦笑した。

「たまに川に浸かっちゃいたぞ。そんな汚い目で見んな」

「……早く入ってきてください」

 場所を代わり、急かすように追い立てるとバハルは浴場へと入っていく。その背中を確認してから、ルチアももう一つの寝台の横に立ち窓の外を見つめる。

 太陽が建物の間から頭をのぞかせ、まばゆい光が白を基調としたサピエンの街を美しく輝かせている。

(お姉ちゃんはこんな場所で過ごしていたのね。とっても綺麗)

 姉の通う大学は中央区にあったが、卒業研究のため資料が豊富だからという理由でエレーヌは半年だけサピエンに住んでいたことがある。離れて暮らす姉を恋しく思ったルチアだったが、勉学に励むエレーヌに我がままも言えずに黙って応援していた。

 俯くルチアの耳にカチャリと浴場の扉が開かれる音が聞こえ、顔を上げる。

「もう出た……の……」

 言葉が尻すぼみになっていく。口を開いて浴場から出てきた見知らぬ男を見つめる。

「そんなに熱い目で見んなよ」

 からかうような声と榛色の瞳は紛れもなくバハルのものだ。顔面を覆うように生えていた赤銅色の髭が全て剃られて、年配だと思っていた男の素顔は歳若く見えた。精悍な顔立ちに浅黒い肌が異国的な雰囲気をかもし出している。

 下衣だけを身に着けた格好で出てきた男の姿に、思わず顔を赤らめ目を背けようとする。しかし、バハルの胸元に目立つ古傷があるのに気付く。

「バハルさん……それ」

「ん? ああ、これか」

 左胸の傷跡は、明らかに息の根を止めようという殺意が感じられる。引きつったような傷口から思わずルチアは視線を逸らした。

「昔、撃たれたときのだな」

 無表情でバハルは呟き、太い指でその傷をなぞった。

 銃を持つことが公に許可されているのは海軍だけだ。彼らが海軍と敵対する存在なのだと実感する。

「見てて気持ちの良いもんじゃないだろ」

 タオルで髪の毛を乱雑に拭きながらバハルは背中を向ける。その背にもいくつもの傷跡が散見しており、ルチアは一つ一つその傷を目で追っていると扉の外から声が聞こえる。

「お頭、入って良い?」

 バハルが返事をするとくすんだ茶色の髪をした、ルチアとそう変わらない年齢の少年が部屋へ入ってくる。

「……シャントさん?」

「なに?」

 返事をされ、目の前にいる少年が自分の知る人物なのだと判明する。シャントは綻びた衣服を新品に変え、公衆浴場へ行ったのか泥だらけの顔はきれいになっている。バハル同様に人が変わったかのような印象を受け驚きに見を見張る。

「そろそろ夕飯にしません? オレ、腹減っちゃって」

「そうだな。おいルカ、行くぞ」

 二度目の衝撃を受けて茫然としながら、ルチアは小さく頷いた。




「なんだよ、俺の服も適当に見繕ってこいよ」

 テーブルに並べられた豪勢な食事を前に、バハルは不貞腐れたように言う。みすぼらしい恰好なのが自分だけなことにバハルが気付き手下を睨みつけるが、シャントは肩をすくめた。

「自分の服と公衆浴場のお金しかなかったんで。てめえのもんはてめえでどうにかしろ、って良く言ってるじゃないっすか」

「俺の物は俺のもの、手下のものは俺のものだ。覚えておけ」

「なんて横暴な。でもそんなお頭が好きです」

 心酔するような熱い瞳で見つめられ、バハルが頬を引きつらせる。さりげなくその視線を避けて料理を口に運ぶ姿を、ルチアは不思議な気持ちで眺める。

(この人たち、どういう関係なのかしら。二人きりの山賊っていう時点で変だし)

 たった二名の山賊など自滅行為である。よっぽど自分たちの腕に覚えがあるのか、それとも彼らは本当は山賊ではないのか――。

「よく食べるね、あんたたち」

 女将がまた大皿を持ってテーブルに並べる。すでに空いたところがないくらい、テーブルにはたくさんの皿が並べられている。

「たんとお食べ。男の子はそれぐらい食べたほうが良いよ」

 男たちは食事には糸目をつけない性格のようだった。次々に入る注文で懐が温かい女将は満面の笑みを浮かべている。

 思考が遮られたルチアは、情報を集めようと女将へと話しかける。

「あの、ゼノ市の内情を知っていますか?」

「多少はね。とは言っても最低限の話くらいしか聞かないねえ。うちはあまりゼノとは関わりはないし」

 中央区に比べ、ゼノ市に接するサピエンの人間なら情報を持っているのではというルチアの期待は裏切られる。学問の街であるサピエンは、治安の悪いゼノとは関わりは薄いようだった。

「けどゼノ市長の悪名は有名さ。明らかに違法な税を市民から巻き上げ懐に入れて、今回の内乱も天罰ってところだよ。今内政は滅茶苦茶になってはいるが、海賊王の手下たちがならず者を纏め上げてるって話だ。海賊王は知ってるだろう?」

「私は雑誌で知った程度です。見たことありますか?」

「そりゃ六年前のあの時にねえ。髪の色はアッシュグレーをして、涼し気な目元がたまらない美丈夫で……って、おばちゃんに何言わせるんだかこの子は!」

 バンッと勢い良く背中を叩かれ、ルチアは思わずむせこむ。六年前の、という台詞が気になり聞きなおそうとするが、先にバハルが冷酷な声色を出し女将を睨みつける。

「あいつらの目的と市民の利益が重なっただけだ。別に街を救おうなんてこれっぽちも考えてなかっただろうよ」

「それならそれで結構。正義の味方だろうがついでだろうが、どっちでも良いんだよ。大事なのは結果だからね」

 普通であれば怯えるようなバハルの視線にも、女将はそれを鼻で笑う。そして顰め面をする男を気にせず背中を向けて去っていく。

「オレは海賊王が好きですよ」

 沈黙が落ちた場で、一番先に口を開いたのはシャントだった。

「ついでとはいえ市民を救ったのは確かですし。オレにとっては英雄なんです」

 輝く瞳で力説する少年をバハルは見やる。また怒るのでは、と心配するルチアをよそに男は無言を貫いた。

 テーブルに再び沈黙が落ち、今度は誰もそれを破ろうとはしなかった。

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