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光射す海、星降る大地  作者: 椎名 悠宇
一章 旅立ち
2/59

02

 大勢の人で賑わう政府通りの一角で、サンドウィッチを売る店の前を通る。朝食を食べそこねたことを思い出した途端にお腹の虫がなった。

 誘われるように屋台へ近づき、ルチアよりもいくらか年下に見える少女へ声をかける。

「いくら?」

「百デリーになります」

 言われたとおり硬貨を差し出すとまだ温かいパンを紙袋に入れて渡される。中にはぎっしりと野菜が詰められたパンが入っていた。

「美味しそう!」

「ええ、自信作ですよ」

 胸を張る娘にお礼を述べて受け取った途端に、ルチアの耳に馬のいななきが届き慌ててその方向へと顔を向ける。

 一台の相乗り馬車の御者が、今にも出発の準備をしようとするのを見てルチアは駆け寄った。

「おじさん、わ……僕も乗せてください!」

 御者は手を止めるとルチアをまじまじと上から下まで舐めるような視線を向け、ざんばらな短い髪の毛で目を止めた。

「女の子かと思ったか、その短い髪じゃ坊主か」

「れ、れっきとした男だよ。失礼だな!」

 年頃の少女が一人で相乗り馬車に乗り込むような危険をおかすなど考えづらい。冒険心の強いエレーヌでも、必要時には専属の御者を雇っていた。

(ちゃんと男の子に見えているかしら……)

 ルチアの心配をよそに、恰幅の良い御者は顔を笑みに変える。

「まあ良いや。どこまでが希望だ? 終点はサピエン市になるが、途中下車も可能だ」

 男の言葉にルチアは目を丸くして首をひねった。

 今いる場所から、サピエン市と中央区をつなぐ関所までは二日ほどかかる。そして、ルチアの目的地であるゼノ市はそこから更に三日ほどサピエン市内を進んだ先にあった。

「ここから出る馬車はゼノ市まで行くはずですよね? 僕はそこへ行きたいんだけれど」

「バカを言うな、坊主。今、あそこがどうなってるか知らないのか!?」

「海賊王が制圧しているって話? でも市の封鎖まではされていないはず。行き来は自由ですよね」

 ゴシップ誌がつけた二つ名を告げると、御者があざけるように笑い声を上げた。

「海賊王だって? ゴシップ誌の義賊談を鵜呑みにするな。今ゼノはならず者がたむろしてる。あんな場所に行ったら身包み剥がされて終わりだぞ」

 顔を歪めて吐き捨てる御者の様子を見れば、ゼノ市までの遠乗りは難しそうであった。

(とりあえずサピエンまで行ってから考えるしかないか)

「わかりました……。じゃあ、とりあえずサピエンまで送ってください。その後は自分でどうにかします」

「本当に行く気なのか? ……仕方ねえ、サピエンまでなら一万デリーだ」

 断られなかったことにほっとしたのも束の間、御者の言葉にルチアは眉をひそめた。

「サピエンまでの相乗り馬車の相場は八千デリーのはずでしょう。相場を超えての金銭のやりとりは法で禁止されているのを知らないの?」

 共和国が成立させた商業法では、細かく商品の相場が定められている。それよりも少なく見積もることは店の裁量に任されるが、超えての売買は厳しく禁止されている。

「……世間知らずの坊やってわけじゃねえのか」

 外見から、良いところの子息と判断したらしい御者が舌打ちする。

「仕方ねえ、五千デリーに負けてやる」

「良いんですか?」

 御者の態度に憤慨したルチアだったが、安い値段を提示されあっさりと態度を変える。ある程度所持金はあったが、この先、どこでお金が必要になるかも分からないので節約はしたいところだ。

「このままお役所に告発されたら商売上がったりだしな。口止め料にしおいてくれ」

 苦笑する御者に納得して提示された料金を手渡す。枚数を数え終えた御者に指示され、ルチアは馬車へと乗り込む。

「誰も乗っていないのね」

 海洋国家とはいえ一般市民が船に乗るには値が張りすぎた。そのため相乗り馬車は市民達の一番の足となり混雑しているのが普通だった。しかし、ルチアにとっては幸運だった。男装が見抜かれ、女性の一人旅だと分かれば不埒なことを考える人間は多い。

 適当なところに腰掛けると、御者が馬に鞭を打つ音が外から聞こえた。ゆっくりと動きはじめる馬車の中で窓をみると、見知った街が揺れ動いている。

 少ない手がかりの中、自分の行動が無謀なのはルチアも理解していた。それでも、たった一人の家族を失うのだけは絶対に嫌だった。




 街道には馬のためにいくつか休憩所が設けられている。馬車に乗った翌日、馬の休息と水分補給が目的で作られた、簡素な小屋の椅子に腰掛け、固く強張る足をグッと伸ばした。すでに冷めたサンドウィッチを膝の上に載せて頬張ると、同じようにくつろぐ御者と目が合う。

「坊主はゼノに何の用事があるんだ?」

 一瞬喉を詰まらせるが、彼が気無しに発言したのだと分かり食べ物を詰まらせた振りをして間をもたせる。

「えっと、わ……僕の親戚がゼノにいて、もうすぐ結婚式があるんです。久しぶりに会えるから楽しみで」

 ほんの少しだけ真実を混ぜながら嘘を並べるルチアの額に冷や汗が滲む。彼に対して警戒心を持っているわけではないが、なるべくならルチアが女であることやゼノへ行く理由は知らせたくなかった。

「へえ。ゼノで結婚式なんて、こんな時に良くやるぜ。坊主は結構良いところの子どもだろ? 親戚ってのもそれなりに金のあるやつなんじゃねえのか」

「そんなことは……」

「いいや、だてに色んな人間を乗せちゃいねえ。坊主の服だって良いもんだしな」

 ルチアが今着用している衣類は亜麻で作られている。丈夫という一点だけで選んだ服だったが高価と呼べる程ではない。しかし、それでも下流階級に属す人々にとっては手に入れるのは困難な値段だ。

「しかしよく親は子ども一人旅を許したな?」

「両親はもういないので」

 伏せられた顔を見て、御者がやや気まずそうにした。しかしルチアはつとめて明るい声を出す。

「でも姉が一人いて親代わりみたいなものだから。とても頭が良くて、美人で優しくって」

「はあ。坊主は姉さんが好きなんだなあ」

 自分の姉を褒め称えるルチアに呆れたような表情をされるが、気にせずに姉のことを思い出す。

「でも家事の才能はからっきし駄目なんですけど。特に料理とかは最悪です。何度病院に運ばれたことか」

「……まあ隙のない美人ってのもつまらねえし、いくつか欠点があったって良いんじゃねえの? 坊主の姉さんならかなりの美人だろ。坊主も十年後には良い男になってるんじゃねえか?」

 良い男にはなりたくないが、容姿を褒められれば悪い気はせず照れたようにルチアは笑った。




 日が落ち、あたりが暗闇に包まれた頃にその騒ぎは起こった。

馬のいななく声でルチアはおもむろに瞳を開ける。

 いつの間にか馬車は静止し、出入り口の扉は開け放たれ涼しい風が入り込んでいる。小窓から見える御者台にも見慣れた姿はなく目をしばたく。

「おじさん、どうかしました?」

「子どもか?」

 答えたのは御者ではなかった。初めて聞く、低い男の声にルチアは思わず口を押さえる。しかし馬車の出入り口から覗きこむ瞳とかち合い、息を呑んだ。

 男の顔面は赤銅色の髭で覆われ、判別できるのは榛色の瞳だけだ。露出する肌は珍しい褐色をしている。

 女性として決して低い身長とはいえないルチアですら頭二つほど違う長身の男は、無言で馬車の中を見やり逞しい腕を伸ばす。男の腕に引き摺られるように外へと放り出されると、怯えた様子で震えながら膝を突く御者の姿が目に入る。

 御者に短剣を突きつけた茶髪の男の存在に気付き、ルチアは喉の奥で悲鳴をあげる。

(山賊!? まさか、こんなところで……!)

 海賊が下火になり、船を降りた男が山へと移り山賊行為をすることは珍しくない。しかし、中央区やサピエンは比較的に治安が良い市であるため道中で見かける心配はほとんど無いはずだった。

「子どもがなんでこんなところに一人で馬車に乗ってるんだ」

 男の不躾な視線は少女へ向かい、次いで御者へとうつる。

「そいつは殺しておけ」

 声にならない悲鳴をあげる御者の首元に、命令を受けた男が短剣を振りかざすのを見て思わず叫び髭の男にしがみつく。

「待って!」

「ああ?」

 剣呑な瞳で見下ろされるが、身体を震わせながらもルチアは続けた。

「あなた達は山賊ですよね? 僕を誘拐して身の代金を要求すればお金が手に入る。その代わりに彼は見逃してください」

「おいおい、二人の命を握っているのが誰か分かって言ってるのか? なんならここで二人とも殺したって良いんだぜ」

「ここで僕を殺しても大した金にはなりません。それなら誘拐したほうがよっぽど良いと思いませんか?」

 ルチアの話に山賊は一瞬黙る。その隙を突いて全くの嘘をつらつらと並べる。

「僕はこれからゼノにいる家族に会いに行く予定です。けれど到着予定より遅れています。今頃きっと心配した家族が僕を探しているはず。こんな所で殺人の痕跡を残したらすぐに捕まります」

 ルチアの言葉に、男たちがうろんな顔で見てから悩んだ末に頷いた。

「ひとまずお前の言う通りにしてやる。――そこのお前!」

 急に声をかけられた御者は飛び上がるように返事をする。

「有り金全部置いてさっさとどっかに行け! ただし、俺達のことを口外した日には地の果てまで追いかけて殺してやるからな」

 喉から悲鳴を上げ、御者は慌てて立ち上がる。戸惑うようにルチアに視線を送ったのは一瞬だけだった。脱兎のごとく逃げていく御者の後ろ姿が小さくなり、ルチアはほっと息を吐く。

「おいそこの。さっさと乗れ」

 先ほどまで乗っていた馬車を顎で示す男に、ルチアは黙って従った。山賊たちは奪った馬車で移動するようだった。よく見れば、山賊たちが乗っていた馬はかなりの老齢で限界まで酷使されていたのが分かる。鞍を外し、森のなかへと馬が放たれたあと短剣を突きつけていた男が御者台へとうつる。

 そして、髭の男が一緒に馬車の中に入ってくるのを見て眉を顰める。我が物顔で馬車の中央を陣取って座られ、ルチアは隣に座るのも気が引け床に座りこむ。ルチアの嫌がる表情に気づいた男は一笑した。

「嫌そうな顔すんなよ。しっかし見ず知らずの男を、命を張って逃がすなんて面白いことする。あっちなんて気にもせずさっさと逃げちまったぜ?」

「……別に良いんです。好きでやったことですから」

 ルチアとて正義感にかられて行動したわけではない。いざ逃げようと思ったときに、御者が足手まといになることだってある。自分ひとり勝手に行動できたほうがやりやすいと判断しただけだ。

 ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くが、太い指がルチアの頬を鷲掴みにして無理やり正面に向けさせられる。

「バハルだ」

「はい?」

「俺の名だ。バハルと呼べ」

 ルチアには聞きなれない発音の仕方だった。それを疑問に思う前に男の力強い瞳に負けて反射的に頷く。

 ゴトゴトと馬車が動き始め、ルチアは小窓からこっそりと様子を伺う。手綱を取ったバハルの仲間が馬を走らせ、次第に速度が上がり床に座るルチアの身体に振動が響く。

「こっちから名乗ったんだ。ちゃんとそっちも名乗るべきじゃねえのか?」

「……ルカ」

 本名ではあまりに女性らしすぎるため、とっさに偽名をつく。不審に思わないか怯えるルチアには気づかず男は笑う。

「そんなに怯えるなって。これから数日一緒に生活するんだ、仲良くやろうぜ」

「どこまで行くつもりですか?」

 ルチアの言葉に、バハルは唇を釣り上げた。

「女と酒と金の街、ゼノさ」

 バハルの言葉に目を見開く。まさにルチアが目指していた名を告げられ、動揺を隠すように首を垂れる。

「今あそこは海賊が占領していると聞きました」

「知ってる」

「……海賊王を知っているんですか」

 彼の相槌に嫌悪の混じった色を見つけて問うと、バハルは忌ま忌ましげに舌打ちする。

「海賊王なんていうふざけた二つ名なら知らねえぞ」

 別に彼らが自ら海賊王と名乗っているわけではないのはルチアも知っている。ゴシップ誌が囃し立てるためにつけたものだが、しかし一般的にはその名前で呼ばれることが多い。

「それよりお前はなんでまた一人でゼノに行こうとしてるんだ?」

「……ええと、学者の両親が外国からゼノ港に帰ってくるんです。驚かせようと思ってこっそり迎えに行く途中で」

 治安の悪いゼノだが、マービリオン近郊の諸島に行くためには一番の近道だ。他の市にある港からも船は出ているが、最短ルートを辿るゼノからの船より数倍の料金が必要とされる。そのため馬車に乗ってゼノへ向かってから船に乗る人間は多かった。

 探るような視線を受け止め、ルチアは顎を上げ嘘だと気付かれないように毅然と言うとバハルは呆れたように肩をすくめる。

「いくらなんでも行き先が犯罪の街だぞ。あんなところに行くなら死んだほうがましだってやつも多いぐらいだってのに」

「……それより僕をどうしますか。帰ってきた両親に身の代金を要求するんですか?」

 ルチアが質問を投げかけるが、バハルは腕組みをしながら唇を釣り上げ舌なめずりをする。

「さあて、どうすっかな。奴隷市場に売り飛ばすってのも手だ。むしろそっちのほうが楽だしな」

「なにを言って……奴隷市場は解体されたはずでしょう」

 君主制だったころ、上流階級の家には奴隷が当たり前のように存在した。非人道的な行いということで、共和国になったとき全ての奴隷市場も解体され、奴隷は自由の身を手に入れた。

「闇市なんて珍しくない。奴隷だって同じさ。共和国になりました、奴隷は禁止です……それですぐさま納得できる人間がどれくらいいる?」

「そんな」

「それに奴隷側も同じだ。生まれた土地を奪われ、そして今度はいきなり自由ですと放り投げられる。金もない、知恵もない、あてもない。そんな奴隷に何が出来るんだ」

 吐き捨てられ、今度こそルチアは押し黙る。なにも、ルチアには反論ひとつできなかった。

「いたっ」

「寝てろ、先は長いぞ」

 俯くルチアの頭を大きな手に無理やり押さえられ、バハルは椅子に横たわると自分のほうが先に寝息を立てる。大きないびきがすぐに響き渡り、ルチアは嘆息する。

「こんな煩くて眠れるわけないでしょう」

 床に座ったまま両足の膝を立てて腕で囲い込み顎を乗せ、バハルの寝顔を見つめる。毛むくじゃら顔面からは彼がどんな顔をしているのか不明だった。

(よりによってこんな時に山賊に捕まるなんて)

 彼らの目的地がゼノならば、このまま北へ直進しサピエンを経由して行くのが最短ルートだ。順調に行けば明日には着くだろう。

(サピエンでなんとか彼らを振りきってゼノまで行くしか……。でも追いつかれたらお終い。それより私が逃げ切れるのかも分からない)

 エレーヌへ宛てられた恋文では、差出人がいう結婚式までわずかしかない。ルチアは逸る気持ちを抑えて膝に顔を埋める。

(お姉ちゃん……今どこにいるの……?)

 心のなかの叫びは、エレーヌに届くことなく霧散した。

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