黒葵龍の男
本名を見送った狼王のもとに降り立ったのは、闇色と黄色の大きな狼たちだった。
ジャイアント、イエロウという眷属の二頭は主の後ろに寄る。
「ナワバリに侵入者です、我が王」
「ああ、らしいな。鹿がやられている」
にやりと笑う王に、狼たちは耳をぺたりと後ろにたたみ、体を低くする。
「申し訳ありませぬ。しかし報告が遅れたわけではなく、気づいた時には既に深く這入られており……」
「黒葵龍だ、仕方ない」
侵入者の素性に二頭は眼をみはり尾をぴんと立てた。
「なんと、龍が」
「ああ。ここがどうこうって目的ではないが。奴の周囲一帯鼠一匹残さないよう避難させろ。俺も出るから念入りにな」
「お供いたします我が王よ!」
「結構だ」
意気揚々たる吠え声をぴしゃりと断って、狼王は森の方へと歩き出す。
言外に足手まといだと告げられた狼たちは動きを止めたまま、王の背中を見つめていた。
そこへずしり、と地響きとともに舞い降りたのは、美しく巨大な白狼、ブランカ。
まるで気負いなく歩いていく王の背中と、残された仲間を交互に見て全てを悟った賢い狼は、
「狼王、気をつけて」
「ああ」
とただ一言送り、後ろ手にバイバイと振られた手に合わせて尾をひとつ振った。
◆◆◆
むきだしの気配が森に充満している。
待ち伏せする気がないのは、人質がいるからか。
森の影の中、本名は殺気だった雰囲気のまま静かにその気配の中心に向かって進んでいた。
双眸はテュラノスのしるしを浮かべ、呼吸も足取りも静かではあるが精密すぎるほどに規則正しい。
本名が戦闘態勢である証だ、最善のコンディションになるための儀式。
こうして呼び出しているのだから、罠があるかと警戒をしたが、それは杞憂に過ぎなかったようだ。
(なにをのぞんでいる?)
進んだ先で、陽光が柱になって降り注ぐ、ぽっかりと木が生えていないところに出た。
本名と向き合うように男が岩に腰掛けて、いた。全身漆黒の、布を巻きつけて衣服になっているような奇妙な衣装。フードを深くかぶっていて表情は見えない。
「貴様は……」
言いながら近づく途中で、本名はぴたりと止まる。
男が座る岩の影から、茶褐色の毛並みがのぞいている。
痙攣しているのかぴくぴく動くそれは、横倒している鹿のものだ。
認識したと同時に、本名の背後から発生した白い雷撃が、男を襲う。
ひらりと跳んだ男は横に着地。
岩には巨大な角が深々を突き刺さっている。それは切先以外は白い靄で、本名を包む靄からのびている。
真ん中から角をずるりと抜かれ、がらがらと岩は崩れ落ちる。
白い角は五本に枝分かれして、大きな手のような形になりそっと鹿を拾い上げる。
若い雄の鹿はぐったりとしたまま運ばれ、黒い男から離れた位置に寝かされた。
すると森の茂みからぬうっと現れた者がいる。
蹄の先から壮麗な鹿角の先端まで純白に輝く大きな鹿。
真白の鹿の王は首をかがめ倒れた鹿へ口を近づける。
すると痙攣していた鹿は穏やかな呼吸へと変化した。
鹿の王が命を分け与え、苦痛に苛まれていた鹿を救ったのだ。
それを見とめてから、本名は黒い男へと向き直る。
ぎらぎらと輝く眼鏡の奥の双眸だけが、静かなテュラノスの殺意を映し出している。
「テュラノスの怒りは、王の怒りか」
緊迫感が周囲を包みこみ、男は全身に針先を向けられているような感覚を受ける。
肌に突き刺さるぎりぎりのところに、切先が待機している。そんな冷や汗を浮かばせるような気配を向けられる。
黒い男はすっと手を上げた。
本名がぴくりと反応する。男がもしちょっとでも攻撃してきそうであれば、一刀のもとその首を跳ね落としてやろうとさえ思っている。
しかし男はゆっくりとその手でフードを下ろした。
短い髪は太陽のような明るさの橙色。双眸も同じく橙色。
龍王を思い出させる外見だ。
「まあ待て鹿王とそのテュラノス。わしは」
音もなく本名の角の手が男を薙ぎ払った。
五本の、刃よりも固く鋭い角が地面を深々と抉り取る。
舞った砂塵に本名は目を見開いた。
角は確かに男の胴体を抉り払う予定だった、しかし軌道は地に落ち、地面を掻き壊しただけ。
「あぶな、待てと言っとるだろうが、ちょっとはヒトの話を聞かんかい」
土煙に咳をして、男は服の汚れをはたく。
「まあ怒るのは仕方がないか、悪い許せ」
へらへらと笑う相手に、本名は神経を逆なでされながらも落ち着いた声で言う。
「貴様は邪龍王のテュラノスか」
「まあ、そうなるかな。俗に言う天魔という奴じゃ」
「それにしては見たことがない」
「新人なもんでな。自己紹介しておこうか、これから懇意にしていただきたいし。わしは黒葵龍のシビノ、趣味は情報集めといったところか。そう怖い眼で見んでくれ」
本名の突き刺す視線を正面から受けながら、男は軽い態度で会釈する。そしてちら、と目を上げて笑む。
「今日はとっておきの情報を持ってきたのでこうしてお呼びしたのだ」
「いらん、ここで死ね」
にべもない返答をして、本名の背後にもうひとつ靄から角が生まれる。幾重に枝分かれした白き刃を、花弁のごとく広げて鹿王のテュラノスは眼鏡を外した。
「邪龍王の味方は全員、極刑だ」
男は一瞬呆気にとられた後、肩をすくめた。
「まあそういう展開も、嫌いじゃない」




