嵐の前の静けさ
夜になった。
電灯が無い村は、陽が落ちると静まるのが早い。
村人は皆それぞれの家に入り、村の門が閉まると一気に静謐に包まれる。
集会場にはかがり火がたかれ、夜半の警備が高台に登っていくのだ。
それを若い衆が交代で見張り続け、なにかがあった場合集会場の番が村中に走って知らせる手はずになっている。
三条が眠っていた場所は結界の中央で龍も迷い込みたどりつくこどができないが、村はそこから幾分か離れている。
もし襲撃があった場合、三条には火の手は届かず、なおかつ女子供が逃げこむ避難所としてあったようだ。
だが三条が復活した今村全体がその結界の中央へと移動すべきだと、昼の集会ではもっぱら話題になっていた。
白熱する論議の末席に同席していた新野は、今また三条の家に戻ってきていた。
縁側に座って膝の上の冴龍の背中を撫でていた。見上げた夜空には大きな月が浮かんでいる。
砂利を擦る音がする。木戸が開いて、薄闇から三条の姿が浮かび上がる。
「よう、おかえり」
戸を閉め外套を脱いだ三条はそう声をかける新野に気が付いた。
「まだ起きていられたか」
「こんな早いうちからあんまり寝たことはないんでな。警護はどうだった?」
「昨日の今日で、今夜はとりあえずは大丈夫そうだ」
「それなら安心して眠れそうだ。ま、こいつは遊ばれすぎて疲れちまってるが」
龍王はすん、すんと穏やかな呼吸をしている。眼はつむり、闇の中だと顔が真っ黒になってしまう。
昼間のうち村の子どもの遊び相手としておおはしゃぎだった。
はじめはおもちゃのようにいじられていたが、本人もそう悪い気はしなかったのだろう、なにしろ子供たちは皆楽しそうに笑っていたからだ。
「子どもたちは村の外には大人とともにしか出られない決まりだ。狩りを始める年齢までは中天の間だけ。村の中だけでは退屈であったのだろう。龍王様には礼を言わねばな」
眠りこける龍王を見下ろし、三条は縁側に上がり新野の隣を抜けていった。
「茶でもいれようか、葵」
「ああ、是非いれかた教えてくれ」
三条はふっと笑う。
「それはまた今度にしよう。今動いては起こしてしまう、待っていてくれ」
「なるほど……」
膝の重みに苦々しい顔をして、新野は三条を見送った。
歩くたびに床板がぎしぎしと鳴る。
静かな夜にはそれ以外に虫の鳴き声しか聞こえなかった。
ほどなくして薄い橙色の茶を用意され、新野と三条は一息をつく。
「ぷはー。あー、お茶って癒しだわ」
「どういう意味だ?」
「んー……美味いってことだ」
「それは良かった」
しばらく温かい茶を飲むだけの時間が過ぎる。
「――なあ、これからどうするんだ」
なんとなしに口に出した後、新野は徐々に大変な質問をしてしまったと思い至る。
想像通り、三条の動きが止まった。
「あ、いや、今する話題じゃなかったかもな。あはは、は……」
空笑いが緊張をともなう空気を更にひどくする。
三条は虎王のテュラノスであり、つい昨日聞いた言葉ではその虎王は裏切り者であるということだ。
だが新野の考えは、テュラノスが信頼する自分の王と敵対することなど本当にできるのかというもの。
その答えを三条本人の口から問いただしているも同じだった。
「……葵ならばどうする」
神妙な声が隣から聞こえる。
「自らの王がもしも止めるべき相手となったら」
「全然考えられないけどな、こいつ馬鹿がつくくらいお人よしだし。でも、もしそうなったら、やっぱ最後まで龍王の真意を知ろうとやっきになるだろうな」
「……」
沈黙がおりる。今までは気にならなかったのに今はこの静謐が痛い、新野は茶をちびちびと飲む。
やがて三条が言った。
「私も、そうだ」
表情は窺えなかったが、その声は静かでしかしはっきりと意志のあるものだった。
緊張で聞こえていなかった虫の声が耳に戻る。
また二人の間に言葉少なく静かな時間がおりてきた。
新野は三条の透き通るような真意をかいま見た気がした。
◆◆◆
ザルドゥ首都の病院を出たとたん、歩みを早くした本名はついてくる狼王に振り返った。
「ついてくるな」
「俺もそっちに行こうと思ってただけなんだが」
にやにやと笑う顔に舌打ちを小さく放ち、本名は眼鏡の位置を直す。
「お前はどこに行くんだ?」
「どこへだろうと貴様には言わん」
「つれないな、長い付き合いだろう? あんなに仲良しだったじゃないか、親友っていいなと思った時期もあったっけ」
「間違ってもそんな時間は無かった。貴様のような獣と友? 少しも笑えん、想像で吐き気がする。おぞましい言葉をまさか狼の口から聞けるとはな、少しは学がついたらしい」
抑揚なく流れる悪態は心底憎憎し気で、狼王は肩をすくめた。
「バルフに行かないのか? お前の目当ての新野はそこだぞ」
「まさか! バルフに行ったのか?」
眼鏡の奥で本名は目を見開いた。
二年前の事実として、バルフは亜龍の巣窟だった。おそらく邪龍王の根源的情報が隠されている土地であろうと、探索を計画した時期もあったが近づくことも非常に危険だった。
無数の亜龍をかいくぐるには虎王の鋭敏な察知能力以外になかったが、それを頼りに入ったものの連絡は途絶え、邪龍王との本格的な争いへと発展する契機になってしまったのだ。
くつくつと狼王は驚いた本名を嘲笑する。
「そうさ。優しい狼が教えてやろう。因子を天魔どもから取り出す方法を得るためにバルフに行ったようだ、どうなったかは知らんがな。俺は行こうと思ってるがお前はどうだ?」
「……!」
本名の眼に徴が浮かび上がる。
もちろん新野を地上に戻したい本名にとっては、バルフに向かいたいところだが、忌み嫌う狼王の言葉の通りになるのは想像しただけで怒り心頭ものだった。
臨戦態勢になりかける、普段は冷徹極まりない鹿王のテュラノスの激情に狼王は腹を抱えて笑おうとしたが、その黒髪の頭により黒い一羽が降りた。
「お、噂をすれば」
鴉は情報を伝えると再び空に舞い上がっていく。
「どうやらバルフには入れたようだな」
本名はきびすを返す。
「おいおいどうしたそんなに急いで、まさかお前も行く気か? それって新野を説得するためにか? あんな過去がある奴が今さら地上に戻りたがると思うのか?」
本名は一度足を止める。が、すぐさま歩き始めた。
向かう方向にはザルドゥの「扉」がある。その扉を抜ければ「天国の扉」と呼ばれる空間に行き、そこからトロントの森や各地の扉へ行くことができた。
バルフには管理者のナワバリヌシがいないので扉は存在しない。
トロントの森に戻り、新野たちと同じ方法でバルフに向かおうと本名は急ごうとした。
しかしぴたりと足を止める。
頭に映像が浮かぶ。
挑戦的に笑う何者かが、横倒れになる鹿の隣で本名を誘っていた。
その何者かがいるであろう森の方角を、本名は見据える。
角の徴を浮かばせた双眸は爛々と輝き、本名はそちらに体を向け地を蹴った。
一瞬でその場を去った鹿王のテュラノスの行先を、狼王はふん、と鼻で笑う。
「どうやらお呼び出しのようだな」




