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渋谷駅に入ると天井が崩落しており、駅構内は分断されているようだった。
地下鉄への階段は無事で、点滅した電灯が誘っている。
階段を降り、無人のホームに降り立つと、黄色いペンキのようなもので壁面に大きく矢印が書いてある。異様な案内に導かれるまま、新野は線路を歩き出した。
歩いた。歩いて歩いて歩いて、
「ぜんっぜんどこにも着かないんですけど!」
力任せにネクタイを地面にたたきつけた。
いい加減歩き通しで熱くて、スーツの上着も脱ぎ、壁に背中を預ける。
「もーなんなんだよ……」
いったいどれくらいの時間歩いただろう。陰鬱な気持ちで歩いていた新野も、考えまいとしていたことばかり頭がよぎり結局いろいろと考えてしまった。
この世界はいったいなんだ? 流れに身を任せ進んでしまっているが、この先にいったなにがあるのか。
「地獄の窯の入り口だったりして……」
果てのなさそうな地下鉄、この景色だけで気分は最悪。新野は無理に笑ってみせる。とうに戻るのをためらう距離を歩いてしまった、ここまで来たら先に進むしかない。恐ろしいのは途中でこの道が閉ざされていた場合だ。
早い朝飯以降なにも食っていない。今まで緊張に空腹を感じなかったが、一人で静謐の中歩いていたらどんどん自覚して、のども乾いてきた。
壁をずり落ち、座り込んだ。
「ああたいへんだたいへんだ」
真下から聞こえる。座り込まなければ気が付かなかった、足元に鼠が一匹。
ここの動物はみんな口をきくのか。鼠は新野に気づかずおろおろとあたりに目を配っている。
「落としちゃった、だいじなのに~」
「なにを落としたんだ?」
哀れそうな声につい声をかけた。
鼠は文字通り飛び上がった。
「え、人間?」
「そ、人間。なに落としたの? 探すよ、どうせ暇だしな」
鼠があまりにも狼狽するので、なるべくゆっくりと言ってやる。
「き、きみやさしいね、お願いするよ」
やさしい、というフレーズに顔をしかめつつ鼠の言葉を促す。
「でなにを落とした?」
「うん。青いリボンなんだ、友達がくれただいじなものなんだ」
新野は真顔で黙った。鼠のしっぽに青いリボンが蝶々結びで揺れていたから。
(いや、まさかこれではないだろう)
「だいじなものなんだ、ほんとだよ。彼はきみみたいにわたしと話せないんだけど、リボンを首に巻いてくれた」
「お、おう……」
「いつもみたいにこうやっておつかいに出たんだ。朝彼にあいさつをした時はリボンを巻いてたのに。いつ落としちゃったんだろう」
不安げに揺れるしっぽの先でリボンは踊っている。小さな視界を足元に配っているその姿に、嘘があるとは思えない。
新野はリボンを引いてみた、するりと解けたそれを鼠は気づいていない。
「それってこれかい?」
頭の上に落としてやると、鼠は小さい目を見開いた。
「ここここれだー! やった、よかった! ありがとう!」
飛び出す感謝に新野は思わず笑った。
はしゃぐ鼠の首に蝶々結びでリボンを巻いてやる。自慢げにくるりと鼠は回ってみせた。
「似合うな。お前の友達は趣味がいい」
「だろう! わたしもそう思うんだ。ありがとうきみのおかげだ」
とにかく興奮する鼠は新野の人差し指を両手で握った。
それから少し鼠が話すままに彼と友達の思い出を聞く。どうやら友達は人間のようだ。鼠は街で友達に会うらしく、
「そうだお礼をしなくっちゃ!」
と新野の待ち望んだ言葉を放った。
「ごめんね、たくさんしゃべっちゃった。にいのが道に迷ってるなんて思いもしなかったの」
「いいんだ、面白い話ばっかりだったしな」
駆ける鼠のあとに続いて新野は地下道を逆戻りに進んでいた。
「シブヤから落ちてきたヒトだと思わなくて」
鼠は新野の事情を聞くと大変すまなそうに何度も謝った。
「いつもヒトは、狼が案内して街に来るから。この道は一本道だけどどこまでも続いてるんだよ。行きたい街の入り口は隠れてるから、案内人がいないとはじめてのヒトはどうしたって迷う。にいのの狼さんはどうしたんだい?」
「さあ……」
狼の心中はなんとなく予想できた。彼らなりの新野への仕打ちだろう、恨まれている自覚はあった。
「さあここを上がったら到着だ!」
朗々たる鼠の声に立ち止まる。薄暗く見えにくい通路の端にはしごがあった。それは天井に伸び、先は暗闇。
錆びた手すりを握り見上げる。円状にくりぬかれた天上の先の先から、小さく光が見える。
ホームを降りてわずか数百メートルの位置だった。行きではまったく気が付かなかった。
鼠が壁を這い、素早く先行していく。それにあわてて新野も続いた。
「これ、よく映画にあるけど、しんどい!」
マンホールの隙間からそう声がした後、大きく蓋は動きそこから新野は地上に這い出した。
膝をついたまま唖然とした先では、異様な街が広がっていた。
行き来する人通りは多く、道の幅は広い。その真ん中で、新野はまさに自分が異世界に迷い込んだと思い知る。
象がタクシーの看板を背負い闊歩していた。鳥が服を着て飛び、店先から二足歩行の猫たちがランドセルをしょって駆けてきた。
人間の髪や目の色は色にあふれていた。服装は全く統一感がなかった。
建物は渋谷の街並みをでたらめに改造したようで、とても日本のそれとは違う。
原色に満ちたネオンが夕闇の中派手に飾られ、かと思えば見たことのあるコンビニがそのまま営業している。
「ここが、あらゆる自由がウリの街。旧シブヤ、今は「ザルドゥ首都」! ようこそにいの!」
ちっちゃい両手をめいっぱい開いて、鼠が歓迎するその背後で、乗用車が空を飛んだ。
未来の乗り物空飛ぶ車、ではなく、投げたボールのように弧を描いて新野たちの上空を飛んでゆく。
それが一軒家に落ち、轟音と行き交う人々の悲鳴があたりにこだまする。一拍遅れた衝撃と突風、砂塵に鼠があやうく飛ばされかける。小さな体を間一髪新野はつかんでいた。
「まーたやりやがったあのがきんちょども!!」
「うわあああああ!! おれの家があああ!! ローンがあああああ!!」
「誰かさっさと掃除屋呼べー! 警察が来ちまう!」
あたりいったいに怒号が飛び交い、乗用車の警報ががなりたてる。
大変な騒ぎの中、新野の手から鼠は顔を出し、
「まあうららかな日常のひとコマだよね」
と言いのけた。
「か……」
ここまでの道程でぼろぼろになった頭をおさえ、新野はうめく。
「帰りてぇ……」
いろんな意味で、ここにいたらだめな気がした、真実の叫びだった。




