怖いもの
「さあわかった? 覚えたら行って!」
神子の号令に従って、様々なカラスたちが空へ飛び立っていく。
眩しい陽に目を細めながら、新野もそれを見送った。
「これまであったことと、これからやることをみんなに知らせておくの」
カラスたちに情報を教えていた神子は、あまった鳥のエサを地面にまいて手を払った。
「みんなって?」
「お兄さんが知ってるところでは、狼王とかブラウやロットとか。あと本名さんにも一応」
「場所がわかるのか?」
「わからないけど。カラスは世界各地に点在してて、どこかに痕跡はあるものだから。それもあってカラスの王は一番情報通なのよね」
「なるほど。あとは?」
「各地の王やテュラノスに。と言っても戦闘に参加できるのは限られてるわ。二年前の戦いで、数はだいぶ減ったから」
二人は並んでカラスの王の居城へと向かう。
神子の声はどこか覇気がなく、憂鬱そうだった。
「それよりお兄さん、もうすぐに出るんでしょう? こんなところで暇していていいの?」
「いやあ、俺は手伝うこともないし、準備することもないから。暇なんだ」
「のん気ねえ……」
やはり気だるげに、神子は嘆息する。
「俺はお前も同行すると思ってたんだけど、違ったな」
「ちがうのよ」
一瞬で反駁した少女は、面と向かって立ち止まった。
「カラスの王がお兄さんたちをバルフに送るから、その間トロントが空くでしょう? だからわたしは残れって、カラスの王が言ったの。わたしだって、一緒に行きたかったのに!」
「そ、そうだったんだ」
「そうなのよ! でもでもそれって、バルフに着いたら龍王とお兄さんだけってことじゃない? それってとってもおっかないじゃない?」
「え、いやあ……」
「だってお兄さんまだどっか頼りないし。龍王はあんなだからお兄さんのこと守ったりして、なのに自分の怪我とかには無頓着で。ああ、心配心配! やっぱりわたしも行きたい!」
「あ、そう……」
どうやら目の前の少女は自分の身を全く案じていないのだ、と新野は再確認して目を閉じた。
しかしその襟を強引につかまれ、驚きに見開く。
「その気のない返事はなによ! つまり龍王を助けられるのはお兄さんだけってことなのよ? しっかりしてよねほんとに! お兄さんは龍王の邪魔にならないように動くのよ、怪我なんてしたら龍王が心配しちゃうから絶対ダメなのよ! わかってんの?!」
「わかりました。大いに、わかりました……」
神子に大きく揺さぶられながら、新野は少し悲しそうに返答をした。
「あ、そういえば聞きたいんだが」
「なあに?」
今までの荒れくれた様子は捨て、きょとんとした顔で神子は新野の襟から手を離す。
「いや、行く前にいろいろ聞いておこうと」
「あらそうよね。お兄さん、聞ける相手はわたしくらいしかいないものね。わたしと離れたらますます話に置いてけぼりだわ」
暗に自身の必要性を強調してくる物言いに苦笑しつつ、新野は城の庭の石塀に腰をすえた。
「バルフってどういうところなんだ?」
「それはわたしも知らなくて。ちょっと調べてみたりしたけど、あんまりわからなかったの」
「わからなかった? 情報が無いってことか」
「そう。ただ二年前にも聞いたことがあったわ。本名さんたちが話してたけど……「攻略すれば、大きな手がかりになるところ」だって」
「どういう意味だ?」
さあ、と神子も首をひねる。
「二年前にもなんらかの形でバルフに接触はしていたってことだろうけど、わたしはそれ以上はわからないわ。でも危険なところではあるようね。なんだかそんな、雰囲気だったことだけ見ててわかった」
「カラスの王いわく、地獄らしい」
「ほんと、気をつけてよね……」
話には聞いていたのだろう、神子は承知したうえで、うなだれた。
「わかってるよ。龍王の邪魔にならないようにしますって」
「うん。それはそうだけど、お兄さんも……ね」
「あ、ああ」
いつもの元気な神子とは裏腹に、静かにそう告げられると、なにやら可愛らしく思えてきて、
「お前いつもそんなおとなしくしてればもっと龍王にも好かれるのに……」
と率直に言ってしまった新野のみぞおちに、瞬間全身のばねを利用した肘鉄が炸裂。
悶絶する新野の横で、頬を赤らめた神子がふん、と鼻を鳴らす。
「だから、お兄さんの怪我は龍王の精神の怪我につながるんだってば! べつにお兄さんのことを心配したわけじゃないんだからねっ!」
「わ、わかりま、いだい……」
「ほんとわかってんの?! 今までときっとケタが違うのよ。よくわかんないけど、龍の亜種なんて、みんな神獣クラスの王みたいなもんでしょ?」
ふと出た単語に、新野は涙目で顔を上げる。
「そうだ、その神獣とかってなんなんだよ。たしか本名さんも言っていたな。鹿の王のことを神獣って」
「そうなんだ。まあなんていうか、王の出自のこと、みたいな」
「出自……」
「たとえばわたし、飛燕の王は地上出身。つまり元はただの動物だったわけね。王になっても知性は得るけれど、ステータス的には未熟。成長の可能性はあれど、しょせんは動物、非力で異形もなさない」
「お前の王は、地上で見たことある燕そのものの姿だったのか?」
「そうよ。喋ってはいたけどね。で、その動物の枠を超えたのが狼王やカラスの王みたいな、まあ俗に魔獣なんて呼ぶかな」
新野の脳裏に狼王の姿がうつる。しかしそれはあの傲岸不遜な男の姿でしかない。
カラスの王はどうだろう。巨大で、足が三本に翼が六枚。どう見ても地上では見られないうえに、伝説上の存在ですらある。
「元はただの獣だったのが、この異界で魔の領域に足を踏み入れた。異形も異能も手に入れて、魔獣と化した」
「カラスの王が元はただのカラスだったとか信じらんない……。しかも狼王も? 地上出身? 俺らみたいに普通に暮らしてたってのか」
「想像するだに難しいってやつね。で、それに反して、生まれた頃からそんな獣でいるのが神獣。鹿の王とかね」
「たしかに神秘的だったな。てことは、地上生まれじゃないってことだ」
「その通り。本名さんもよくわからないみたいだけど、たしかに鹿の王はわたしたちの言葉を話さないの。本名さんにだけは伝わるみたいだけど、なんだかぐちゃぐちゃした、呪文みたいな言葉を話すのよね。だからきっと鹿の王は地上じゃなくて、ナハバルの生まれなんじゃないかな」
「ナハバルって、ロットとかブラウが元いたところ、だっけ」
「この異界をはさんで、地上の反対側にある世界って感じらしいわ。見たことも行ったこともないけど。でもわかることがひとつ。龍はそっちの世界の生き物だってこと」
「つまり神獣……」
「亜種だとしても、その格は変わらない」
「まあ、龍ってだけで獣とは違う怖さがあるんだよな」
地上での生活である程度ふれてきた肉食獣や大型の草食獣。飼いならされているとはいえ、付き合い方を間違えれば、簡単に安全圏は瓦解する。
実際、新野が在職中にクマに襲われ死亡した飼育員がいた。
獣はヒトを襲う。ヒトも獣をすぐに殺せる。
決して根本では理解しあえない間柄だと、新野は思っている。
しかしその「動物との危険」と龍と相対した時感じる恐怖は全く異種のものだ。
「龍はヒトみたいな怖さがある」
「龍が人間? それって、全然怖くないんだけど」
神子は新野の感覚に首をかしげた。もとより共有できるものではない、と新野は苦笑する。
その時新野の脳裏によみがえるのは、いつも同じ景色だ。
大きな手に自分の小さな手をひかれている。
上背のあるその男を見上げる。
男の目は優しそうで、穏やかである。
だが新野の手を握っていないほうの手には、赤く染まった包丁が握られていた。
これは子供のころの記憶。
その時男がいったいどんな気持ちでいるのか、新野は当時から不思議でしかたなかった。
優しい目をしている男は本当に優しいヒトだったのだ。
その優しさに幼い頃の新野は「正しさ」を見た。
優しい人間になろう、この人のように。
しかしそのヒトもその手で生き物を傷つけた。
いったいどういうことなのか。
「ヒトは個人によって全然違うから。動物は、種でどっかまとまりがあるんだ、行動も思考も一番根っこは同じだったりする。なのにヒトはそれが無い、独立して、読めなくて、それが怖い」
「龍もそうだってお兄さんは思うんだ」
「いや龍だけじゃないか、今まで会った王も。なに考えてるかわかんねーからさ」
「そんなのあたりまえじゃない」
神子はやはり共感できなくてさらに首を傾げた。
「龍だけじゃない、虎王もいるのよ。大丈夫? お兄さん」
「さあ~」
「もう。わたしは虎王なんて会ったことないんだけど、だからこそ、味方かどうかもわからないじゃない? 気を付けてよね」
「そうだな……」
カラスの王いわく、虎王ならば龍の因子の取り出し方を知っているかもしれないとのこと。
五里霧中の頭の中だったが、そんなものこの異界に堕ちてきた時からずっとそうだ。
新野はもはや不安なくただ少し緊張して、出立の時を待っていた。




