暗雲が見えている
チチチ、と朝日のむこうからさえずりがこだまする森。
それよりも多く、カラスたちの鳴き声が遠くから、いや近くからも。とにかく身をとりまく空間のそこいらから聞こえてくる。
新野はその声に不安を覚えるというよりも、どこかなつかしさを感じる。
今でははるか遠い故郷、地上ではよく聞きなれていたからだろう。
目のはしから黒い鳥が数羽飛び立った。
茂みをかきわけて、その場所を確認すると狸が一頭死んでいる。
ふてぶてしくもまだ一羽がその死骸をついばんでいた。眼が合うと、あっちへ行けとばかりに一鳴きされて、新野は退散をした。
このカラスの横行する森の王に、呼び出しをくらったのが今朝方だった。
宿泊している部屋の窓を、くちばしで叩く騒音に目を覚ましたのだから。
木々を抜けると少しひらけたところに出る。
燃えカスがいまだ散る、悲惨な風景となった元・公園だ。
そこには光る水晶の箱があり、中には危険な少女が囚われているはずだが――、
「?」
新野は空気がなんだか淀んでいるような、たとえるなら東京の地下鉄のような息のつまる空間に出たような気がした。
直後、ずんと両肩に不可視の重さが乗る。
「な、に……っ!」
体が動かない。
息がうまくできない。
無いはずの心臓が早鐘を打つような切迫感が全身を覆う。
強烈な圧力に、ヘビに睨まれた蛙のごとく固まる。
視界は急速にせばまり自由が効かず、どっと背中に冷や汗がのぼる。
水晶の箱の影から現れたのは、黒衣の少女。
橙の髪が浮いているようだ。黒いフードをかぶっているにも関わらず、存在感はこの場を支配している。
少女の凍えた双眸が、水晶の箱を下から上へねめつけている。
箱が陽光を反射して燦々と輝く。
少女の視線に、箱すらも息をつまらせ背筋をただしているかのように。
尋問をほどこす役者だ。
龍王はその外見とは裏腹の圧力を全身から放出していた。
ポケットに両手をさし、ゆっくりと箱の周りを歩く。
新野のせまい視界がぎしぎしと横に動き、箱の中を視認する。
そこでは火龍の因子を持つ少女、邪龍王の配下であるエンリが、座っていた。
(もう、起き上がったのか)
三日前に見た姿では、自らの槍に腹を貫かれ地面に串刺しになっていたはずなのに。
今その十字槍の姿は無い。
エンリは苦渋の顔で天を仰いでいる。その目は固くつぶっている。
「そう、いい子だ……」
龍王がそんなエンリに優しく冷えた声で告げる。
エンリの体がびくりと跳ね上がった。
「どうした? 俺のいうことが聞こえないのか?」
龍王の声に対してやはり少女の体が反応する。
「…………そう、残念だ」
嘆息して地を這うような声でそう一言、それが落ちた直後、龍王はふっと息を吐いた。
とたん、風船がはじけるように空間の重たい空気もはじけて消えた。
固まっていた全身が自由を取り戻し、新野は思わずころびそうになる。
「ぶは!」
呼吸が正常になりむせって咳き込む。
はあはあ、と息をととのえた後、ようやく新野はその場に龍王だけでなく、カラスの王もいることに気が付いた。
奥の大石に座る若い男、もとい群鴉の王は珍しく笑みを捨てて、むすっとしたふうに龍王を見つめている。
龍王は厳しい顔で水晶の箱に直面していた。中でエンリは昏倒し倒れている。
「おい、今のはいったい……」
冷や汗をぬぐいながら質問する新野に振り返った龍王は、いつもの様子に戻っていた。
力の抜けた橙の瞳を閉じて、唇を突き出す。
「うーむ、困ったことになったのだよ新野くん」
「まだ小芝居を続ける気か、龍王さん」
少女は腕を組んだまま、探偵の真似ごとか無いヒゲを撫でる動作をする。
「小芝居とはなんだい、僕だってやればできる」
「いっつもへらへらしてる奴がよく言うよ」
「君、辛辣に過ぎるのではないかね、仮にも自分の王に」
「信頼の証ですよ、我が王」
仰々しく礼をとる新野に、嘆息する龍王はようやく真似を解いて、
「ま冗談はさておき。今ね、エンリの中の火龍と交信していた」
「交信?! 因子ってのと会話しようってのか」
「元は僕の中にあったものだ、つながりは深い。けれど結果は失敗だったんだけどね」
龍王は肩をすくめる。
「あの朱槍に因子は凝縮していたんだけど、交信をはじめた途端エンリの中へと戻っていってしまったよ。外に出て来い、と説得をしてみたが、だめだ」
「拒否されたってことか?」
「いや、というよりも因子はエンリとよくまざりあっているようだ」
「まざりあってる?」
うん、と龍王は頷く。
「因子ってそうだな、水のようなものだと思うといい。もとは形などなかったが、テュラノスの想像力が基盤をつくり、僕がそれをより明確にする。その情報をテュラノスに流し込むんだ」
「じゃあ、火龍っていう形ある想像は、今エンリに流し込まれたわけだ。邪龍王の手で」
「うんうん。きっとそれぞれの因子と適合できる者を選んでいるに違いないよ。だから相性がいい。溶け合って、離れがたくなっている。だから僕の声が聞こえても自由が効かないんだろう」
「そのまざりあいを分離させる方法を、やっぱり探さないといけないわけだな」
刹那、龍王の顔が苦いものになる。
「気はすすまないけど、やっぱり銀の提案に乗るしかなさそうだ」
「気がのらねえのはこっちだぜ」
「そう言わない言わない」
「提案って?」
「次は孤島に行くよ、新野」
けろりと言ってのけるその言葉に、新野は表情を崩さなかった。
今さらもう、どこへ行こうと驚きはしない。
「絶海……いや、雲海の孤島だ」
「へえー、うん……雲海?!」
二秒で前言撤回した。
「く、雲の上の島ってことか」
「そうだよ」
「それってでかい雷雲の中に突っ込むとかじゃないよな?」
「どこの天空の城だボケカス。雷雲より嫌なもので囲まれてるんだよ。そこへ俺たちで送れっつーアホがお前の王さまだ」
「適任じゃないかあ、送り届けてくれたらあとはなんとかするからさ」
「待った待った待った! いったい俺達はどこに行くんだ?」
なんだか雲行きが怪しいのを肌に感じた新野は、手を振って解説を乞うた。
「空に浮かぶ島、バルフ。龍の亜種たちがひしめいているところだよ」
「龍の亜種?」
「実際見てから教えてあげるよ。そこにいる、虎の王に会いに行くんだ」
「あんな地獄で、生きているとは思えねえけどな」
「え、地獄って」
困惑する新野の様子に、カラスの王はようやくいつも通りに破顔した。
「なあお前、遺書を書いとけよ。なんなら地上の誰かに送るサービスもしてやるぜ」
「え? はは、とんでもない……」
やんわりと断りつつも、頭の中ではその文面を考えてしまう自分がいた。




