ディバイデッド・サンシャイン
甘いお菓子が大波のごとく自分に押し寄せて、その波にもまれる映像を見ていた。
「むにゃむにゃ、こんなに食べたら……ふとっちゃうよお~」
チョコレートに色とりどりのキャンディ、地上の、それも日本製のものばかり。パッケージから心揺さぶられる。
「えへへ、でもまあいっか、いただきまー……」
大口を開けて、チョコレートの銀紙をはがし、黒い本体にかぶりつこうとする。
しかしそこで頭が急速に回転しはじめる。
ここ、どこだ。
お菓子、なんでだ。
「じゃない!!」
跳ね起きた神子を、まぶしい朝日と鳥のさえずりがお出迎えした。
「ぬぐおおおおお! 頭痛い頭痛い! 頭痛が痛いー!」
起き上がったばかりのベットに再び突っ伏し、頭を抱えて神子はのたうち回る。
過去体験したことのない鈍痛が頭の中をぐちゃぐちゃにかき回してきていた。
「なによこれ! イタ、自分の声でかすぎ……。なによこれなんでよお~」
罵倒した後小声になり、最終的にはぐずりはじめて、神子は自分のベッドを見つめる。
どうにも記憶が混濁している。
何故自分は部屋で寝ているのか、エンリと対峙していて本名が強襲してきて、
「それから、なんだっけ……」
目を回していると不意に自室の扉が開けられた。
「あ、起きてたね紅花」
「り、りゅうお・・・・・・!」
見慣れた橙色の少女が入ってきて、その一瞬だけは頭痛を忘れ神子は飛び上がった。
枕をつかみあげたが投げるのを必死にこらえる。
「じょ、女子の部屋に勝手に入って来ないでほしいかなあ!」
赤い顔をして枕を抱きかかえる。しかし龍王はにこにこしたまま、
「大丈夫。ほら僕も女子だし」
「体だけじゃない、認めないわ」
「厳しいな……。じゃさ、まあこれお水持ってきただけだから、置いて退散するよ。お大事に」
「え、み、水? えと、あの、わたし……」
「もしかして覚えてない? 昨日飲みすぎちゃったんだよ」
言われてもぴんとこない神子の前で龍王は頭をかいた。
「いやごめんごめん、テュラノスだから大丈夫だろうって止めなかったんだ。でも初体験のことじゃ対処のしようがないものね、次からはアルコールを分解すれば大丈夫、吐くことはないからね」
「吐……く……?」
「気持ち悪かったろう。あんなに吐いたもんね、まだ寝てなよ。じゃ」
ぱたん、と閉まった扉を神子は呆然と見つめる。
数拍遅れて、頬に朱がのぼってくる。
今聞いた話から推察するに、記憶が無い部分、神子は飲酒をして、はてには龍王の前で吐いた、となる。
「う、あ……」
そしておそらくあの龍王のことだ、神子のことをほうっておけずに、かいがいしく面倒を見たに違いない。
神子はいつも龍王と話す時緊張をする。それは自分の良いところを見せたいわけであって。明確に自覚しているわけではないが、少なからず龍王に憧れのような好意を抱いていた。
そんな相手が、吐いている自分の背中をさすっている姿が容易に想像できた。
「うああああああああああああ! い、痛い……!」
自らの悲痛な叫びに痛がり、神子はまたベッドに倒れ込んだ。
龍王から差し入れされた水を飲み込み、神子は窓から外へ飛び出した。
このまま龍王が訪れるかもしれない部屋にいることはできない。頭痛はおさまっていないので、よろよろと飛びながらカラスの王の居城を後にする。
つい昨日、火龍や鹿の王が来襲してきたとは思えない。燦燦たる陽光が中天にさしかかっていて、島内はいつも通り賑やかに平凡のようだった。
行くあてもなく空をさまよっていると、白い巨体が眼下に潜んでいることに気が付いた。
「なにあれ……」
幾分げっそりした彼女がちょうど羽休みもしたかったので、その公園へと降り立った。
「だーからそこはそうじゃないっての。ほら頑張れ!」
(よくわからない、なんなの。寝たい)
「だめだ、もうちょっと頑張ろう! お前ならできるできる!」
軽く巨木並の巨躯を誇るその蜥蜴に、なにやら声をかけているのは新野だった。
新野は神子に気が付いて心配そうに声をかけてくる。
「おうお前寝てなくていいのか? 昨日あんなに吐い」
「それはもういいから。十分わたしの乙女心は傷ついたから、ほっといて」
乙女心って、と新野は小さく吹き出していることに、普段の神子なら罵倒を飛ばしていたところだが、生憎今そんな元気も余裕もない。
しなびたおっさんよろしく、神子はベンチに這うように座り込んだ。
「わたしはちょっと外の風にあたりたかっただけ。お兄さんこそなにしてるの。そしてその怪物くんは、なに……」
「ああこいつな、昨日神子は酔っぱら……いや具合が悪かったから知らないか。まあ簡単にいうと迷子でこれからはここに住むそうだ」
「へえ、そう……」
気になる点は多々あるが、神子は相槌をうつ程度の気力しかなかった。
「で、食い扶持を稼げるように芸でも覚えようってなってさ。こいつに見合うでかい餌がトロントにはないらしいから、カラスの王から買うしかないんだ」
「それは、ご愁傷さまね」
「いやでもこいつ覚えいいしさ。ついつい教えるほうも熱入っちゃって」
からからと笑う新野の顔を神子はぼうっと見ていた。
「なんか、珍しいねお兄さん……」
「ん?」
「なんだか楽しそうだから」
知り合った時から戦闘や緊張の渦中でしか新野を見ていない神子からしたら、こうしてのんびりと日常を謳歌している彼を見るのは珍しいことに思える。
「ああ、そうかもな……。言ってなかったっけ、俺地上では動物園の飼育員だったんだ」
「ふうん……」
「飼育員みんながそうってわけじゃないけど、俺は動物が好きだった。だからこうしてこいつと触れ合うのも、まあ嫌いじゃない。地上の頃に戻ったみたいで……いやこんな非常識な動物いなかったけどな」
「あはは」
神子は笑ったが、当の白蜥蜴は不満そうに体を揺らしていた。
「そういやお前は、地上ではなにしてたんだ? 他のテュラノスがどうやってこの地下に来たのか興味があるんだよ」
「わたしは……そういう運命だったの」
笑顔をひっこめて、嘆息して神子は言葉少なに語る。
神子の一族、大燕家は、いつからかわからないが飛燕の王に仕えていたということ。
「姫」といって選ばれた女性が負う役目があること。
そしてそれに自分がなったこと。
「そりゃびっくりだな……。地上に獣王とのつながりがそんなはっきりあるなんて」
「わたしは飛燕の王のテュラノスになったけど、先々代の姫は孔雀王のテュラノスだったって聞いたわ。鳥類の王のテュラノスを生贄として与えるかわりに、一族はいろんな恩恵を得ていた。燕の巣をもらったり、ね」
取得が困難だがそのため地上では高価なしろものを、鳥類の王たちから与えられ、それを商いの手段としていた一族での生活は豊かだった。
王が納得する娘だけが損失だとしたら安いものだったろう。
気づくと新野が眉根を寄せて黙っていたので、神子は笑いとばしてやった。
「大丈夫よお兄さん、わたしは自分を不幸だなんて思ってない。短い間だったかもしれないけど、地上での生活は幸せだったし。それにわたしたちテュラノスは、そうなった時点でもう、テュラノスでない自分なんてありえないって思える仕様じゃない」
「そう、そうだな。それが、厄介でもあるんだ、俺達は」
「ねえうろ覚えなんだけど、本名さんはお兄さんにテュラノスは地上に戻れるって言ったのよね?」
「ああ。俺は断ったけど」
「うん。それでね、ここトロントにも地上との繋がるポイントがあるのよ。わたしはそこを通ってここに来たの。ちょうど、この空の向こう。塔隧道って呼ばれてた」
新野は驚いたように空を見上げる。青い空に雲がふよふよとただよっている。
「普段は見えないの。翼がないと入り口にもたどりつけない。王しか知らない秘密なんだから」
「じゃあお前は、いつでも帰れたんだな……」
「こっちに来て戦争の渦中にね、一度だけそこを通ったの」
「え……」
神子は自嘲気味に微笑んだ。
「たまらなかったのよ。仲良くなったみんなが倒れていくなか、わたしがなんの役にもたてないことが。逃げ出したい一心だった、だめだってわかってたけど飛燕の王がなんにも言わないから。今思うと逃げてもいいよって言ってくれてたのかも、あいつ」
「それで、戻ったのか」
神子は首を横に振った。
「扉がね、あるの。そこを開けて建物から外に出るまで長い廊下なの。そこを歩いているうちにどんどん怖くなった。でもどうしたいいかわからないまま、泣きながら外へ出たの。夜だった」
身も凍るような冷気に包まれた夜だったのを覚えている。
冬が非常に厳しい土地だった。薄着一枚で出た自分の肌をさするのも忘れ、涙があふれているままにした。
「なつかしかったあ……」
「うん……」
「それでわたし、戻ったの。隧道に」
「え」
「だってすごく静かな夜でね。外にいると死んじゃうくらい寒くなるんだけど、みんな家の中で寝ていたのよ。あたたかい、凍えることのないお家でみんなが生活できているのをわたし、目の当たりにしたのよ」
ああ、と新野が息を吐いた。神子の胸中がわかったのだろう。
少女は自分がこの地下世界に身を置くことで、地上の生活が保たれることを理解したのだ。
「みんなのためにも戻ろうってすんなり思えたわ。さみしくて帰り道は泣きまくったけど。後悔はしてない。わたしがここにいる意味がわかったからいいのよ」
新野が沈黙し、公園に静けさが横ぎった。
急に神子は恥ずかしくなってきた。
「あ、あはは。えーと、よーするに! お兄さんもね、ここにいることに意味があるの。だから本名さんに言われても帰らないお兄さんを見てちょっとほっとしたっていうか、えーと」
「いや、その通りだよ」
きっぱりと新野は肯定する。
「俺だって寂しいし、全くこっちの世界に不慣れなのは変わらないし。でも、お前もそうだったって思えば安心する。ありがとな」
「う、うん……」
穏やかな新野の笑顔から神子は思わず目をそらした。
「でもこっちにとどまることにしたからには、しっかりしないとな」
「そうね。がんばろお兄さん! わたしもなんでもするし!」
「なんでもって……」
新野が苦笑するので、少し大言を吐いたかと神子は恥じた。
「あれ、そういやいつの間にか顔色良くなってるな」
「あれ、そういえば」
「良かった良かった」
心底そう思ったように新野がまた笑う。それはまるで、いつも誰かの身を案じている龍王のようだった。
龍王も先代のテュラノスといるときは、新野のような金髪の男の容貌だったのだ。もっと背が高くて、眼鏡をかけていたが。
「どっちもお人よしだなあ……」
「ん?」
「ううん、こっちの話よ!」
晴れやかな光の下、談笑する二人の間で、白蜥蜴はすやすやと寝息をたてていた。




