兎死狗烹
額のしるしが虹の翼を呼び出す。
繭から孵化するように翼が新野の背中に生まれ、安息の光を降り注ぐ。
その光は治癒力を増長させ、新野の全身から痛みが波のように去っていこうとする。
しかし新野はその光を自分よりもブラウに注ぐことに集中する。
虫の息となって倒れる友人の、血の海が体に戻っていくように、時が戻るように徐々に消えていった。
ブラウの思惑を察した新野は愕然としていた。
本名は表情の少ないその顔を苦渋に少し、歪ませる。
「おおかた暴鴉の王にそそのかされたか、自らテュラノスに志願するなど。嘆かわしいな」
はっきりと言葉にされると、余計に心に事実が突き刺さる。
ブラウがカラスの王とどんな話合をしたのかなどわからない。
ただ新野は知っている。力を持つテュラノスは、死ななければなれないと。
新野も一度死んで龍王に甦らされ、テュラノスとなった。
死んでもいいような行動。力を欲する意思。
本名が言う通り、その可能性しかない。
「なんで……」
理由などわかっているのに、困惑が理性に追いつかず呆然と呟く。
トロントの森は獣王の宝庫だ。テュラノスを従えているのは飛燕の王のみ。
「だからって死ぬか、普通?」
感情が整理できず、苦しい笑いが口端を上げようとした。
ブラウの手が動いた。
力をこめて土を握り締める。
意識を取り戻した彼は、ぎこちなく上体を起こした。
ブラウは順番に、冷めた本名の視線を、頭上の虹の翼を、そして答えを求める新野の顔を見た。
その顔を見て、彼は笑う。
「なんだその顔」
本名の角が素早く伸び縮みして、離れた地に落ちていた片刃の剣を拾い、ブラウの前へと突き立てた。
刃は半ばで真っ二つに折れている。
短くなった剣から角を離し、
「取れ」
本名は冷酷な声色で告げた。
「事情は知らない。だが、テュラノスになるというのなら取れ。簡単な死ほど、後悔は大きくなると思え」
幾重にも枝分かれし、その数だけ戦慄する切先を向ける、本名の槍。
その圧倒的な殺意におののきながらも、ブラウは折れた刃の柄を握った。
「ブラウ!」
確実な死へと一歩を踏み出す友人に、新野は声を上げる。
ブラウは本名を見据えたまま言った。
「お前を見て前から思ってたんだよ、それしかねえってな。親父や母さんが死んだ時から本当は分かっていたんだ、強くなるには代償も必要だってな」
「なんで、なんでそんなに……」
「そうでもしないと、仇は取れない。いや、仇より俺は、この鬱憤を晴らす手段が欲しいだけなのかもな、それがくだらないって分かってても、今はそれしか考えられない」
ふつふつとした怒りを持ちながら、ブラウはどこか諦めたように告げた。
彼は決断している。
もうそれは新野に止められる程度のものではない。
(なによりそれを後押ししてるのが、鼠の王の死だ。俺の責任だ)
だったら、と新野もまたどこかで諦めた。
そこから生まれるのは、行動を後戻りしない決意。
新野もまた本名を見据える。
その強い意志の目に、本名は自分の願いが叶わないと確信した。
「…………」
全く視線をそらさない青年が二人本名の目の前にいる。
どちらも渦中に自ら飛び込むことを決めている。
その渦中の中心から、本名は同情と、止められない自分の力不足を痛感していた。
もうそれは、疲れを覚えるほどに。
「無意味だったか」
独り言を落とし、本名は不意に武装を解除した。
白い靄は霧散し、背後に立つ鹿の王が本名に並ぶ。
強力な圧迫感が消えて、ブラウと新野は緊張したままだが、大きく息を吸うことができた。
「考え直すことはなさそうだな」
しるしも消えた瞳に見られて、新野は肯定に頷く。
本名は小さく息をついた。
「テュラノスになった時点で、避けられないものだったか……。貴様も今の生を捨てる前によく考えることだ。力はどんな相手にとっても暴力であり、過ちだ。持てば必ず振るうことになる、テュラノスは王の信頼の相手などではない。奴隷だということをな」
奴隷、とブラウの口がなぞる。
新野の脳裏には龍王が思い浮かぶ。情けない笑顔ばかり浮かべる優しい王。その奴隷と聞いても実感がわかない。
実感がわかない、というところがもうテュラノスであるということなのかもしれないが。
「火龍を食わずとも因子を取り出す方法があるはずだ。それを探せ」
本名はそう言って踵を返す。さらりと残された言葉に衝撃を覚えつつ、その背中に新野は立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんな方法があるのか?」
本名は眉を少し寄せた。
「知らん」
「は、知らんって……」
「あるはずだ、と言った。因子はもともと龍王のもの。テュラノスがそれを無理矢理得ようとするから、食うなどと乱暴な方法をとることになる。だがそれが正当な持ち主に返る、となれば方法もまた変わるのではないか。推測だ。あとは自分で探すんだな」
言い残して男はあっさりとその場をあとにしようと歩き始めた。
「あ……」
止めようにも言葉を見いだせない新野の手が、宙に浮く。
「現実に戻りたくなったらいつでも言え」
本名のその声に、新野は手を降ろした。
「あんたの言う通りにはできない。……次は味方として、会えるといいな」
その言葉が聞こえたかどうか、本名と鹿の王は森の奥へと消えていった。
隣で構えたままだったブラウが、ようやく解く。
「ブラウ……」
新野の視線をブラウは気まずそうに無視した。
機を狙ったかのように羽音がする。
一羽のカラスが空を旋回していた。
カラスの王の迎えだろう。




