棚からぼた餅は、落ちてなんかこない
「味方だあ……?」
なんて言われても今は疑心しかわかない
「だったらなんなんだ、今までの行為は?! あんたが味方なら、俺の知り合いを傷つけるな!」
新野は自分にも制御できない激昂にとらわれる。
本名はそれにも全く表情を変えなかった。
「それについて謝る気は無い。必要な行為だった、君とこうして話す為にはな」
「……話すって、なにを」
「君の本当の想いについてだ」
「は? 俺の?」
相手の言わんとすることがわからない新野を、本名は一瞥する。
「知っての通りテュラノスは、獣王の隷属。つまりは駒だ。獣王の意思に添い行動することが前提となる。ただし完全に従う傀儡ではない、テュラノスには生前の人格が残される。それには、単独の種である獣王に新たな見解を示すため、思いもつかない新鮮でより良い意見を王に具申できるためという理由がある」
新野は神子を思い出す。王に隷属しながら、王を飲み込むなど、生存本能のある獣には思いもよらなかっただろう。
「テュラノスの存在意義となるとまた話は違ってくるがな。今言いたいことは、あくまで我々テュラノスには自身の意見があるということ。それは獣王の利益を軸としているということだ」
「そんなこと、わかってる……」
「そうだろうな。そして君は先刻、自分の意思で火龍を喰らおうとした。それが自らの王のためだからだ、本当の意思では拒否しているとしても」
確かにその通りだった。図星が余計に、会ったばかりのこの男への苛立ちに変わる。
「あのさあ……、全部わかってるように言ってるが、あんたになにがわかる? 俺のことを知ったように言うのは正直不愉快なんだが」
「ザルドゥの鹿に聞いた」
新野の言葉にかぶさるように本名は告げた。
ザルドゥで出会った鹿、新野が危機に陥れたにもかかわらず、彼を優しいと評価した鹿のことだろうか。
新野が関わった鹿など、その一頭しかいない。
「そして本題に戻るが、私はきみの本当の意思を尊重したいと思っている」
にわかに本名の声色に今までと違う、感情が見えた気がした。
「地上に、現実に帰る選択があるとしたらどうする?」
「え!」
思わず声が上がる。今まで意識しなかったが、その「帰る」という言葉に、新野の頭に過去の記憶が次々に浮かび上がった。
今では遠く懐かしい、繰り返すばかりの毎日。
(帰る…? あの平凡で退屈で、しかしなにより安全だったあの日々に?)
「帰ることができるってのか?!」
とにかく信じがたくて叫ぶと、本名は頷くこともなく淡々と続けた。
「獣王は地上とこちらを行き来できる。ならばテュラノスも不可能ではない。君のテュラノスになった経緯を思い出せ。どこで、龍王に出会った?」
新野は、地上の動物園で出会った。
仕事をしていてふと大きな影が空を横ぎった気がしたのだ。
それをなんとなしに追ってみたら少女が――龍王がいたのだ。
(そうだ、なんで今さら思い出す。龍王は地上に来ていたじゃないか!)
驚愕に言葉を失っていると、新野の心を読み上げるように本名が言葉を紡ぐ。
「帰りたいはずだ。そうすれば辛い選択などはなからする必要がないのだから。ほかの生き物をこの手で殺すこともなく、罪悪感もない……」
本名の言葉を、それ以上の発言を新野は手で制した。そうでもしなければ、そのまま続きを聞いていたら、新野の中で郷愁があふれかえってしまう。あえぐようになんとか声を出す。
「待って、くれ。……だからって、戦いが終わるわけじゃない。こっちの争いが続けば、地上の崩落、混沌だって続く。なのに俺が、龍王のテュラノスがのん気にしてていいわけがないだろ?」
(だから俺は、戦わなくてはいけない)
そう必死に自分に言い聞かせているのに、本名がそれすらにべもなく否定する。
「それは私に任せろ。邪龍王はこの手で息の根を止める」
なんとも簡単にそう言った。
新野は黙り込む。本名のその言葉に新野の心が変わることなどないのだから。
本名は急に声のトーンを落とした。
「そもそもテュラノスになりたての、お前のような青二才が1人や2人でばったところで戦況が変わると思ったか?」
突然威圧的な態度に新野はわずかに目を見開く。
「うぬぼれるな、龍王のテュラノス。龍がたとえ神秘の生き物だとしても、もはやその衰退した実力では、神獣一頭にすらこうしてテュラノスを奪われる。君と私には途方もない距離がある。だから安心して去れ、この世界から」
「…………なんだそれ」
本名のやや演技がかった姿に、新野は小さく笑った。
彼が新野の想いを変えようとして、今の態度をとったのだと、会ったばかりの新野にすらわかる。
不味い演技を新野が笑ったので、本名は息をついて肩をすくめた。
「慣れないことをさせるな」
しかしそれほどまでして、彼は新野に現実に帰ってほしいということだ。
「聞きたいんだが、あんたはなんでそんなに俺を帰らせようとするんだ? いくら弱い俺でもいないよりはましじゃないか。龍王の盾くらいは務まるかもしれないだろ? あんたもテュラノスなら、その意見はあんたの王にどう利益があるんだよ」
「これは私の意思だ。鹿の王はこの世界の行く末には積極的でなくてな、私の意見にも傍観をきめている」
「なんだよそれ、あんたが言ったテュラノスの前提全部が、あんたには通用しないのかよ」
「それはわからない。私の意思自体が全て鹿の王の意志なのかもしれない。私が君の戦線離脱を願うのも、本当は鹿の王の意思なのかも……」
言葉を区切り、本名は少し考えた後に続ける。
「先代の龍王のテュラノスも君と同じで優しい人間だった。戦いなど、するべきではなかった。だから君も戦うべきではない。この意思は鹿の王のものでなく、私のものであると、思う」
不意に哀しそうな声で言う。
そんなまるで優しさからくる言葉に、新野は唇を噛んだ。
「勝手だ……! みんな……」
今まで出会った全員が全員、自意識を主張してくる。
そしてそれを新野にも押し付けてくる。
新野は生来の性格から、それに心を揺さぶられ、いつの間にかどれに従うべきなのか悩んでいた。
しかし今の新野は違う。
龍王の意思、本名の気持ち、神子やブラウ、ロット、狼王やカラスの王の望み、全てを目の当たりにしてきて自分がどうしたいか、ようやく少しだけ思えるようになってきた。
他者の意見を尊重することは悪いことではない。
だが自分の意思から目を背けることになるなら、間違っている。
この弱肉強食の世界に来てようやくそう判断できた。
「俺は……」
新野は立ち上がった。自分の意見を貫くことはおそろしい。しかし周りの者に感化されたのだ、自分が自分として生きなければいけないとわかったのだ。
だから自分の気持ちを通さなければいけない。
「俺は、もう部外者になるつもりはない。できることがあるはずなんだ。何もやらないで口だけの奴に戻る気なんて、ない!」
それは本名の望みを、新野は叶える気が無いという拒絶の意思表示だ。
他人からの確かな「優しさ」を、踏みにじる行為だ。
だが新野にはそれが正しいと思えた。
本名はふう、と息をついてから、眼鏡の位置を直した。
「それは、君の言葉ではない。龍王のテュラノスの言葉だ。と言ってもか」
「俺は自分がそれになったって、もう認めてる。今の俺にとってはそれが自然だ」
(そうでなかったら猪の王の死も、鼠の王の死も、俺は責任をとれない。なかったことにはできない)
最早揺らぐことがない新野に、本名はまた一瞥を向ける。今度はとても強い視線だった。
「そうか……残念だ」
眼鏡の奥で、開かれた男の双眸にしるしが浮かび上がっていた。
猛々しい鹿の角を模した、テュラノスのしるし。
その鋭い眼光とともに、新野に不可視の圧力がかかる。目の前の男から向けられる敵意が、全身に負荷をかけてくる。
「お前は自分の弱さをわかっていない」
本名の背後に白い靄が発生していく。新野は無意識につま先を後じさりさせていた。
「その身にたたきこんでやろう、どうすることもできない、暴力の差というものをな」




