夜、でっかい獣が笑う
「というわけで明朝ここを発ちまーす」
遠足の引率先生よろしく、龍王の言葉にはーいとよい子にロットが返事をする。
しかしその隣のブラウの顔色は非常に悪い。
理由は簡単だった、彼らの営むなんでも屋アンファに「しばらく休む」という看板をかけたら、即座に電話が鳴りやまない状況になってしまったからだ。
過去の依頼主やら借金取りやらなんやら、一貫して「急に逃げるんじゃねえ」という内容のものばかり。
受話器は既に外された。
電話は止まったが、店の入り口に人混みができたのでこうして四人は街はずれの公園に集まっていた。
パンダのような(しかし足が無数にある)生き物の遊具にまたがるロットが「おやつはいくらまでですか~?」などとふざけているのが最早新野にすら苛立たしい。
アンファの悪名の原因は大部分彼の持ち込んだものだからだ。
それなのに悩まされているのはもう一人の兄弟ばかり。
外見が瓜二つであるにもかかわらず、楽観的と神経質という真逆な性格が災いしている、と思わずブラウに向けて新野は合掌した。
「じゃそれまでは自由時間ということで」
「え」
突然舞い降りた時間に、新野は一人ぽかんとした。
「と言われてもすることねえんだよな……」
混雑している中央通りの食べ物の屋台を見渡しながら、新野は無計画に歩を進める。
どう時間をつぶそうかと思っていると肩がぶつかった。
東京生活が長かったせいで、ついついそれに対して無反応で通り過ぎることがある。しかしここではさすがに、一拍遅れた後はっとして謝罪の為振り向いた。
でかい鰐だった。
(このワニぶつかるの二回目ー!)
「す、すいません」
おっかなびっくり謝ると、紳士的な鰐は会釈して去っていく。
どきどきとしながらも、どこか楽しいと感じている自分がいる。
地上では鰐と肩をぶつけるなんてありえない。
それを自覚したのが、この異界に堕ちてきてから今が初めてだったことに少し驚いた。
「やあにいの! ぼうっとしてどうしたの?」
唐突に肩に乗ってきたのは、青いリボンを首に巻いた鼠だった。
ナスシュの一件で街は相当な被害を被ったはずだが、鼠も街並みも全く以前と変わらない。
「元気だったか」
と問えば鼠は不思議そうに小首をかしげていた。
新野にとって異常だったナスシュとの戦いは、この混沌の街にとってはさほど変わったことではなかったのかもしれない。
「そう、じゃあちょっとお別れなのね」
しゅんと目に見えてうなだれる鼠を肩に乗せたまま、新野は街を散策する。
街に入る前に出会った鼠とも、この街と同じくしばらくの別れとなる。
何気ない会話を鼠として、新野の肩から降りた鼠と別れる時、走り去るその小さな体に並んだ者がいた。
桃色のペイントが遠目に見える。ナスシュとの戦いの時見かけた鼠だったはず。
あとから聞いた話だが、その鼠もあの戦いにおいて仲間を失ったらしい。
「…………」
可愛らしい姿が二つ駆けていく。
その背中を見送った後、新野はまた一人で歩き出した。
「おじゃましまーす」
元渋谷動物園の豹展示場をのぞくと、そこにはじゃれあう母と子がいた。
腹を見せてごろごろ喉を鳴らすクロヒョウの動きが石のように止まる。
「あ、失礼しましたー」
いったん首をひっこめて見えないところに去る。数十秒後なにごともなかったように再度のぞくと、子豹は母豹から離れて頭上の枝に優雅に寝そべっていた。
「…………おじゃましまーす」
「あらニイノ。聞いたわ、大変な騒ぎだったようね」
「あ、ああ……」
非常に今見た光景の説明を乞いたかったが、樹上のクロヒョウが殺気ある睨みを飛ばしてきていたので新野は冷や汗をかくことしかできなかった。
(あのティカも甘えることなんてあるんだな)
ビデオカメラ等の撮影器具をどうして持っていなかったのかとても悔やまれた。
「つーわけでしばらくここを離れるからさ」
笑顔でそう話に区切りをつけると、納得したサラマンカは柔らかい声でこれからの道程を応援してくれた。
しかしクロヒョウは無言を貫く。
「ティカ、最後にお前の声も聞いておきたいんだけど」
真摯に頼んでみても、尾先が細かく揺れるだけで声は落ちてこない。
唐突にクロヒョウは枝の上を軽やかに移動して新野から見えない位置に行ってしまった。幹に重なって黒い体毛がわずかにのぞいている。
「お前なぜその道を選ぶんだ?」
「え?」
「わがままを通すんだろう、邪龍王を殺してお前の望みが叶うのか?」
「あー……」
新野はあいまいな笑いを浮かべたまま目を泳がせた。
「お前の望みの中に邪龍たちは入っていないわけだ」
「哲学者みたいなこと言うな、ほんとお前ただの豹と思えない」
「ふん」
どこか不満そうに鼻を鳴らす。
「まあいいさ、全生物を助けるなんて夢のようなことを言うやつよりは」
答えなかった新野に対して、珍しくティカのほうが折れた。
新野がその問いに対して答えないことがこの豹には想像できたのかもしれない。
それからあたりさわりのない会話をして新野が去っていった展示場で、クロヒョウはしばらく樹上から降りてこなかった。
「豹の王か……ふん、馬鹿馬鹿しい」
激しく尾を幹に打ち付けながらティカはごろんと横になった。
ザルドゥ首都も深夜になるとようやく静けさがやってくる。
見上げると満点の星空。
「地下じゃねえのここ……」
アンファの屋根に寝そべりながら新野は夜風を体に受けていた。
ふと近づく気配に目線を送れば、
「よ」
と片手を上げる少女がいた。
月明かりに輝く橙の髪が眩しい。
「思えば遠くへ来たもんだ……」
「お、それ知ってるよ。名曲だろう?」
「なんで知ってんだよ」
横に座る少女に胡乱げな目を送る。
「この歌、この先どこまでゆくのやら、って終わるんだけどな」
「うんうん」
「ほんと、どこまで行くんだろうな。俺……」
「そうだねえ……」
二人の間に沈黙が落ちる。
不思議とそれが気まずくもない。
「……でもさ、それって一人でがんばる歌なんだよね」
「ほんとよく知ってんね」
「まあね。つまり僕が言いたいことわかる?」
「……わかりませーん」
あからさまにとぼけると、隣で少女が楽しそうに笑っていた。
選択した道は苦行だ。
明日はどっちに向いているのか、その先がなににつながっているのか、わからない。
「生きるのって怖いねえ……」
「なあ新野、死ぬのはどうだろう?」
「さてな。想像ではもっと怖いけどな」
適当に答えると、しかし龍王はにっこりと嬉しそうに破顔した。
新野はその眩しい笑顔から目線を外して、ただ深淵な夜をのぞいていた。




